生物学はむかしから生物学であったわけではなく、それ以前はいくつかの分野に分化していて統合されていなかった。解剖学と分類学と生理学が別々にあったような具合。19世紀に統合されるようになったらしいが、18世紀では博物学という採集と観察と分類の学があった(これも本草学のような薬理のある有効植物に特化した学問から発展したものだが)。博物学は西ヨーロッパで大いに流行して、生物学につながる知見や考えをはぐくんだ。高校教科書では、一部の先駆的研究が細々とおこなわれたようにしかか記述されないが、実際には多くの人が参加して、意見の交換と批判がなされていた。その成果とか方法とかは、19世紀の生物学とはずいぶん異なるので、18世紀的に考えるのはなかなか困難(自分も荒俣宏「大博物学時代」を再読する前に、ゲーテ「色彩論」やラマルク「動物哲学」を読んだので、歴史的遠近法とか遠近法的倒錯が相当に紛れ込んでいて、彼らの考えを正しくトレースすることができなかったようだ)。
そこで、この本を読む。博物学や進化論の歴史はかつて読んだことがある(八杉竜一「進化論の歴史」岩波新書、八杉竜一「近代進化思想史」中公選書、中村禎里「生物学の歴史」河出書房新社、松永俊男「ダーウィンをめぐる人々」朝日新聞社あたり)。それらの本と異なるのは、著者が海洋魚類の採集と飼育の実践者であること。自身がナチュラリスト(ほぼ博物学者と同意)なので、記述がとても肉感的、種の多彩さとか近縁種との区別の微細な違いを具体に書くことができる。自分の学生時代の友人に貝の収集をしている人がいて、そのコレクションをみながらAという種をBと区別するのがいかに困難かという熱弁を聞いていたから、種の分類や進化を語るときには具体に即した議論であることが重要なのだ(書斎の人たちの記述した上掲書の内容は忘れてしまったが、こちらは細部をよく覚えていた)。
18世紀はニュートンに代表されるように科学の時代。あわせて大航海の時代で世界中の文物を収集した時代(それは西洋資本主義がグローバル化して、非西洋の大規模な搾取を開始した時代でもあり、非西洋の人々に関心を持って人権を拡大していった時代でもある)。図式化すると、聖書の記載や「神」はかっこにいれて、神や超越者の存在や意思を考慮しないで世界は説明可能である。とはいえ、物質の挙動だけで説明するには知見が足りない。そこで、自然と人間と宇宙は人間が観測したことから記述可能な規則や法則にのっとっていると説明できると考える。そうなるのも自然と人間と宇宙は有機的なつながりがあって、どこかで発見された規則や法則はほかのところでも適用されるだろうというアナロジーやシンボリックな関係があると推定される。重要なのは、神や超越者を想定すると、自然や人間や宇宙は固定されていて不変であるしかないのだが、人間が観察する対象はいずれも変化が起きているのである。かつてはプラトンの流出論のように完全なものから不完全なものが生まれると思われたのだが、むしろ単純(不完全)なものから複雑(完全)なものに変化しているのである。変化の動因は種とか個体とかに想定される「意思」による(これも新しい考えかた。神が配置した世界では意思のあるのは人間と神だけだ)。このような方法と理論で観察と研究をするのが博物学で、多くの研究者は自然哲学も検討することになった。
ざっくりとはこんな感じ。ラマルクについていうと、このような考えの上に、彼独自の考えとして、フランスの啓蒙主義や進歩の考えが含まれていたという。なので、進化の要因に個体が器官を動かす/動かさないの選択と意思を見る(ここは個人的には異論があるが、素人考えなので自分のは脇に置いておく)。これは当時の革命思想の反映であるわけで、のちの左翼がラマルクの考えを支持したことの理由になるわけだ。ただ、この当時には生物の変化は横(ヨーロッパとアフリカとか)の広がりで起きているところまでしかつかんでいない。これが縦(高山のふもとと高地とか)で起きているというのは19世紀はじめのフンボルト、時間で起きているというのは半ばのダーウィンまで待たないといけない。「進化(evolution)」の示す概念は18世紀とそれ以降とでは違うのに注意しないといけない。
18世紀の博物学は、こういう自然哲学の話のほかに、彩色図鑑を見る楽しみもあって、ここにもたくさん書かれているけどそちらの話は同じ著者の「図鑑の博物誌」(工作舎)で。
ここには、18世紀の博物学者として、リンネ、ビュフォン、キュヴィエ、ラマルク、ヴォルテール、ルソー、エラズマス・ダーウィンなどが登場。最後の人を除くと、波乱万丈な生涯を送り失意の晩年を迎える。この運命の変転がなんとも物悲しく、にもかかわらず博物学にかける情熱に感動し、人間の好奇心の業の深さに慄然とした。
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