odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

金子隆芳「色彩の科学」(岩波新書) 色をどう見るかは人間の個性がでて科学的な記述にはあまり向かないので、いかに指標化・平準化するかが色彩の科学の歴史。

 色彩学は、物理学、化学、生物学、心理学、哲学などからのアプローチが可能でそれぞれの知見を積み重ねる学際(1980年代に文部省が広めようとした言葉)の学問なのだそうだ。著者は実験心理学の研究者なのだが、この啓蒙書ではもっぱら自然科学の研究史が振り替えられる。


 色の意味や認識についての研究は、それこそアリストテレスまでさかのぼれるが、学問の研究対象になったのは17世紀のニュートンから。以後、ヤング、ヘルムホルツ、マクスウェル、シュレディンガーなどが時代を画する発見や研究をしてきて、現代色彩論に至った。これは高校の教科書にはのらないので、知らない名前も登場した。色をどう見るかというのは、受容者である人間の個性が出るので、科学的な記述にはあまり向かないのだが、それをどうやって「客観的」に数値化するのかが大変だった。それを指標化・平準化するのが色彩の科学の歴史であった。おもしろかったのは、ニュートンはプリズムから出てくる虹の色を数直線に並べ、以後ヤングやヘルムホルツの光の三原色論になると平面にならべる。20世紀になってカラーオーダーシステム(カラーチャート)が要請されると、立体で記述するようになる。自然をモデル化するのが科学の方法なのだが、それを精緻にするほど記述の仕方を工夫しなければならなくなるのだ。
(カラーチャートのような色の記号化は、色彩研究の現場だけでなく、画家の必要で生まれたというエピソードが面白かった。日没のように色彩がどんどん変わるときに、絵具で色を作っては間に合わないので、記号でメモしようということになり、色見本帳が作られた。)
 この本は1988年初出。そのために三原色の説明にブラウン管式のカラーテレビを使う。たしか3色の光電管を使って、色をつくるのだったかな。21世紀になるとブラウン管のモニターはなくなり、液晶パネルになった。そうなると、光の三原色(黄・赤・青)よりも物体色(黄・赤紫(マゼンダ)・青紫(シアン))で色を区別する説明のほうが読者にはしっくりくるようになるかもしれない。
 本書を読んだのは、ゲーテ「色彩論」の解説を読むため。ニュートン以降の自然科学者は色を三原色で考えたが、ゲーテは白と黒の濃淡で説明しようとした(黒の基本色は青と黄色だという)。注目した現象はにじみや残像など。ゲーテは、直観の中に本質や一般的精神を見ようとしたので、観察と一致しない説明は本質ではないと思ったのだとのこと。ゲーテの色の議論はロックやカントの哲学と隣接領域にあるという。ゲーテの考えは自然科学者は無視したが、ショーペンハウエルやシュタイナーのような支持者がいた。文芸のビッグネームが自然科学もやっていたという科学史トリビアを確認できました。一章を割いているが、ゲーテの自然科学は重視されていないのですね。
 
 20世紀の頭に赤と緑の区別がつきにくい「色覚異常」があることがわかった。日本では石原式色覚検査表が作られ、学校ほかで使われた。日常生活では起こりえない配色の表の読み取りで「異常」とされた人は、さまざまな差別を受けた(大学の一部の学部を受験できない、特定の国家資格を受験/取得できない、特定の職業につくことができない、など)。これを撤廃しようとする動きはあるが、鈍い。また、赤と緑を区別しにくい人のためのユニバーサルデザインはなかなか普及しない。こういう古い慣例を日本はなかなか変えない。よくない。