中学生のときに「国名」と「悲劇」のシリーズをひととおり読んだとき、もっとも印象に残った作品。再読すると、たしかに謎の規模は小さいし、複雑でもない。探偵のさえもない。そのあたりは、次のような推理を裏付けるかも。すなわち、1932年に「ギリシャ」「エジプト」とバーナビー・ロス名義で「X」「Y」を書いた。別名義の作は後一冊で終了する予定だったが、思いがけない人気のためにもう一作を急遽書く必要があった。そこで、国名シリーズのためのプロットを「Z」に転用した。今度は国名シリーズの要望に応えられなくなり、中編用のアイデアを転用して、この長編を書いた(ハヤカワ文庫版の解説にそんなふうに書いてあった)。でも、そのような欠点は、のちのクイーンの特徴をあらわにしたものだった。
クイーン親子はカナダから帰る途中、山火事にあい、逃げ場を失って一本道をそのままアロー山に登ることになる。そこにある旧い屋敷には引退し莫大な資産をもつ医師ザヴィアー一家とその弟の弁護士が忠実な召使と家政婦と住んでいる。他にいるのは上流婦人カロー夫人とその息子たちに夫人の秘書。最初は、召使に宿泊を拒否されるが、博士のとりなしでクイーン親子は屋敷に入ることができた。
ここで本の登場人物表をみるとよいのだが、クイーン親子が入館したことによって、屋敷の住民は13人になったのだった。この人数はクイーンの意図だよな。人数が13人になったことが、のちの惨劇を起こす引き金になったのだ。13の象徴的な意味はいわずもがな。厳密にいうと、謎の男スミスはクイーンらが訪問したときいなかったし、帰還したときにはザヴィアーは殺されていて、13人がそろったことはないので、13に強い意味付けをするとおかしなことになる。まあ、ご参考程度に。
さて最初の惨劇は本館の主人ジョンに起こる。クイーン親子が来た夜、拳銃で銃殺されていた。手には半分にちぎれたスペードの6のカード。エラリーは即座にダイイング・メッセージの謎を解くが、みごとに失敗。2回目の謎解きで犯人とされた弟マークが逃げ出したので、クイーン警視が発砲。重症を負い、真犯人をしっていると言い残して失神。その夜に、毒殺され、クイーン警視は頭を殴られる。
こういう屋敷の中で意図のわからない連続殺人が起きる一方、アロー山麓の山火事は消火が追いつかず、徐々に炎が山を登ってくる。食料が底をつき、火災の熱で酷暑になり、人々はいらいらする。こういう登場人物たちでは対処できない大状況があって、その危機にさらされるというのはミステリーでは珍しい。自分が最初に魅かれたのはこのところ。そのうえに、古城の姿を見せない犯人による連続殺人が起きて、二重に恐怖のとりこになる。穴倉(セラー)の中に生き残った11人が閉じこもり、頭上で館が燃えるのを聞きながらエラリーの長広舌に耳を傾ける。とても印象的なシーン。
さて、しばらくぶりの再読で気の付いたところ。
・最初の被害者は館の持ち主であるジョン・ザヴィアー。彼は高名な医師であるが若くして引退し、こんな山奥に一家が移住する。きわめて不自由で不便になることを断固として実行する意思堅固な人物。かれが死ぬことによって、一家と同居者の秩序が壊される。いわば「父親殺し」「王殺し」が起きているわけだ。
・山火事は麓の警察、消防署などの懸命の活動にもかかわらず消火できない。火は次第に山を登り、山頂の13人をいずれ焼き尽くすだろう。これは象徴的な世界破滅と復活のイメージ。まあ「炎による浄化」というわけだ。
因果は不明だけど、「父親殺し」と世界破滅の二つが同時進行。もちろんエンターテイメント小説の常道として、世界の破滅は奇跡によって回避され、「父親殺し」の犯人は判明し犠牲として炎で焼きつくされる。
このような神話がふたつもでてくるところが重要。物語の古い原型がでてきて、最後に恩寵の到来と世界の回復が起きて、読者はカタルシスにふけることができる。クイーンたちといっしょに危機を乗り越えることができて、われわれの不安が解消されるわけだ(一時的にせよ)。そういう物語の力をみることができるかな。
・山火事でふもとの警察は山頂の屋敷に行けない。かろうじてつながった電話で警視は警察権を一時的に預けられる。とはいえ、そこには警察組織も科学捜査の設備もない。まあ、法の通用しない限界状況ないし孤立した状況で、理性がどこまで世界のミステリ(神秘)に光を当てることができるかが問われているわけだ。このモチーフは、のちに「帝王死す」「第八の日」などで反復される。ここでは理性の光はまばゆい。エラリーは神のごとく屋敷の人々の超越的な視点ないし場所にいてミステリ(神秘)を解読しようとする。そのような立場を懐疑することはないので、数回の失敗にもエラリーはめげないし反省しない。
まあ、こんな具合に象徴的・呪術的な考えや仕掛けがあって理性と対比されるのが、初期の作品では極めて珍しく、のちのクイーンはこの作品にちりばめられた意匠を検討することで、1940年以降の作品を書いた、と妄想できる。なるほど「オランダ靴」他の1932年奇跡の年の作品群はすごい。でもすごすぎて、それを乗り越えることは極めて困難。とすると、ミステリーの可能性はいろいろ夾雑物の混じっていて、やっつけな、しかしそれゆえに本性のあらわになったこちらの「佳作」のほうにあった。そう考えるクイーンたちを妄想できる。自分には極めて重要な作品。
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ナショナルジオグラフィックTVの番組「決死の時のサバイバル(Do or Die)」によると、ドライブ中に草原の火災に襲われたときは、アスファルトの舗装道路の上で停車して炎が通り過ぎるのを待つのがよいとのこと。その際、窓は締め、エアコンを動かし、外の空気を入れない設定にする。そうすると炎は数秒で通り過ぎるので助かるという。クイーンの乗っているデューセンバーグはオープンカーで、空調はなし。道路も舗装されていないとなると、この手は使えないか。