大西洋に面した通称スペイン岬。ここに屋敷を構えるゴッドフリー家に奇妙な3組の客が集まっていた。独身のスポーツマンであるクマーが若い娘ローザと夕食前の散歩に出ているとき、クマーが荒くれ者キャプテン・キッドに誘拐される。小屋に閉じ込められたローザがエラリーたちによって救出されたとき、ジゴロとして有名なジョン・マーコが殺されていた。ケープを羽織っただけの全裸で! マーコは有閑マダムに取り入るとともに、卑劣な恐喝を繰り返していることがわかる。屋敷に招かれた互いに知らない客はマーコに恐喝されていたためだった。ローザはマーコと結婚するつもりであった。主要な謎は岬のはずれにある砂浜に面したテラスに残された死体が全裸であること。
1935年初出で、国名シリーズの最終作(「日本庭園殺人事件」をカウントするかは微妙なところ)。パズルとしては完璧。ほとんどの手がかりは前半3分の1に書かれているので、そのあとのメロドラマでめくらましにかからないようにね。そのうえで披露される「さてみなさん」以降の推理の見事さには、中学生のときに度肝を抜かれましたよ。(ちなみに、この舞台設定は探偵小説作家には魅力的らしく、のちに模倣され変奏されている。いくつか作品を思い出せるが、秘密の日誌に書いておくことにしよう。)
前作「チャイナ橙の謎」同様に、死体がモノ、記号と化していて、生前の性格とか会話とかパーソナリティにかかわるところはまったく描かれない。重要なのは何をしたかのプライバシーだけ。そこが次第に明らかになるところは、人間存在のはかなさを感じるねえ。エラリーのような探偵にとって死体は「シンボル」にしかすぎず、「現実の人間」には無関心であるのだから。とはいえ、事件後に「人間の公平は実に大事」というようになったから、反省することになったのかしら。たぶん悪をなしてきた人間を排除する悪は裁けるかあたりの問題にぶつかったせいだろう。その問いは、次第に大きくなっていくので、この長編は「シャム双生児の謎」と同じく、作風と問題意識が変わる分水嶺の作品といえる。
さて、いくつか。
・とても読みやすくて、どんどんページをめくれていく。文学的な修辞もあって、必ずしも平易な文章ではないのだが、にもかかわらずリーダビリティがよい。その理由のひとつは、物語の進行する時間が読書のスピードと一致しているから。会話のテンポがリアルな会話と同じスピードだから。一シーンは人の会話の時間とほぼ一致しているから。このスピード感を持っているのは、クイーンとヴァン=ダイン、それにハードボイルドの開祖の人たち。クリスティやカーでは早すぎたり、遅すぎたり。
・都筑道夫の「探偵小説にはロマンティシズムがある」と笠井潔の「未曽有の大量死が大戦間探偵小説を導いた」を結び付けるのがこの小説にある。すなわち、事件の関係者は19世紀のブルジョアモラルにずっぽりとはまった「群集」。すなわち市民のように政治的でもなく社会参加をするわけでもなく文化の担い手として自己修養するそぼりもみせず、大量消費の快楽の中で主体を埋没している。彼らの薄っぺらで保守的なモラルで覆われた層を切り裂いて、彼らの内部分裂をあらわにするのが批判者としての犯人。その犯罪を解決する理性の側は、「クールヘッド」は持っているけど、「ウォームハート」を持たない。でも、犯罪や謎を明かして犯人を捕らえるとき、社会や共同体の秩序はふたたび19世紀モラルの群集に戻すことになる。まあ、社会の治安を維持するために、ラディカルを制裁する復古の側にある。そこに過去に戻ろうとするロマンティシズムがあるといえる。
・この長編ではクイーン警視は登場しないが、御年76歳のマクリン判事が登場し、エラリーの捜査と推理に付き添う。判事は理性のひらめきはないものの、エラリーの推理が爆走しそうなときに、常識やモラルを持ってなだめ制御する。彼の経験に基づいた叡智があって、エラリーは独善や思い込みによる論理の隘路に行くことがなく、正鵠を射ることができる。エラリーの理性は判事や警視のようなジェントル(あるいは彼を容認し抱擁する父性)に支えられているから、無類の正確さが得られる。このようなジェントル(あるいは父性)がそばにいない事件では、エラリーの推理は暴走し、ときに人を傷つけ、自分も傷つく(「災厄の町」「十日間の不思議」「第八の日」など。「九尾の猫」では警視は忙しすぎてエラリーの話を聞く余裕がなかった)。ここは重要。ことは「探偵」のみならず、生活・労働・活動においても同様。人間の行為がその人の高潔さや公平さなどに支えられていないと、暴走して自他に危害を加えることがあるのだ。
成功と失敗が詰まった奇妙な作。それだけに読みとるべき内容はたくさんあった。
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