前回の感想(ヴァン・ダイン「ケンネル殺人事件」創元推理文庫)では、サマリーがなかったので、10年以上たってから再読した。作者は満足のいく探偵小説は半ダースしかつくれないといっていて、これがその6作目。時代(1932年初出)を考慮しての評価では及第作。
中国陶器の収集家が殺されていた。内側から閂を掛けた密室。上着を脱いでガウンを着ているが、足にしているのは外出用の靴。射殺されたようであるが、実の死因は背中を刺された傷の内出血によるもの。しかも銃弾は死後に撃ち込まれている。なんで、そんなに丁寧に殺さなければならなかったのか。
容疑者は以下の4人。まずは彼の弟。収集家の兄とは折り合いが悪いが、月に一度くらいは訪ねてくる。次に彼の姪。金を収集家に抑えられているので、遊びに使えない。おじへの嫌悪を隠さない。三番目は中国骨董の趣味を持つ友人。殺された収集家の自慢を聞かさている。4番目はイタリアの博物館館員。収集家がコレクションを売却するというので交渉に来たが、価格がおりあわずようやく契約を結んだ翌日に一方的に破棄されている。家には中国人のコックや、大陸から来た執事がいて、それぞれ収集家には我慢がならない様子。事件のカギを握るのは、犬嫌いの一家なのに、事件当日に入り込んでいた一匹のスコッチ・テリア。品評会で賞をとれるほどの世話がされているのに、なぜか傷を負っている。
以上が分かるまでで全体の3分の2。容疑者や関係者の尋問が行われるが、ほとんどはヴァンス、マーカム、ヒースの打ち合わせ。ヴァンスが蘊蓄を語るので、なかなか話が進まない。そのあと、弟が事件当日の夜に殺されてクローゼットに死体遺棄されているのがわかったり、骨董趣味の友人が襲われて傷をおったり、中国人のコックが政治運動にかかわっているらしいのがわかったり。あんまり動きがない。最後になって、ヴァンス一行がテリアの持ち主を探すためにニューヨークを動き回る。
読むのが苦痛になるようなゆっくりしたテンポで、興味が持続しない。風俗描写もないし、読みどころがないのだ。興味を引いたのは、密室トリック。とても有名なもので、解説するほどのこともないのだが、今まで先例は同じ作家の「カナリア殺人事件」と思っていたが、この作品によるとエドガー・ウォーレスの「新しいピンの手がかり」というさらに20-30年前(20世紀初頭のベストセラー)の古い探偵小説に由来するという。へえ、ドイルやルブランのころにはもうあったのか(ルルー「黄色い部屋の謎」1908年の心理的トリックが新しいとされたのは、こういう機械的トリックが陳腐に思えるほど乱立していたからだろう)。あとは念のいった殺し方をした理由。こっちのほうが現代的(とはいえ、21世紀に書いたらたぶんボツになると思う)。ああ、死体検死のために監察医が登場。食事をとろうとすると呼び出されるので空腹で愚痴を吐くというギャグが二回あった。映画かドラマかマンガでこのギャグをみたことがあるが、たぶんこのヴァン・ダイン作が元祖だろう(「グレイシー・アレン殺人事件」でも繰り返される)。
1932年作。この年はエラリー・クイーンの「奇蹟の年」。その諸作と比べると、古めかしい。たった数年でアメリカの長編探偵小説は一気に進化してしまったのだね。ヴァン・ダインは乗り遅れている。不況の時代であるが、作品には微塵もその影がない。中国人やイタリア人に対する差別的言辞が頻出する。ここは気分が悪い。
さて、この作は1933年に映画化された。
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例の密室トリックが映像化されている。ここは見どころだけど、他は室内の会話ばっかりなので、見るのはつらいかも。ファイロ・ヴァンスものの映画で日本版DVDが出ているのはこれが唯一。小説の優秀さと映画の優秀さは一致しないという一例。