odd_hatchの読書ノート

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宇井純「公害原論 補巻I(公害と行政)」(亜紀書房) 自主講座第2期の記録。学者や専門家は役に立たない。物わかりの悪い素人の粘り強い抗議だけが、公害を止めることができる

 サブタイトルは「公害と行政」。 初出は1974年。
 公害を制度と技術は解決しない。むしろ公害を悪化させるように制度と技術は働く。学者や専門家は役に立たない。物わかりの悪い素人の粘り強い抗議だけが、公害を止めることができる。すでに過去の講義で繰り返ししてきたことをもう一度(何度でも)確認する。
 技術者であり教育者であり現場の運動にかかわる著者は以下のように言う。

「いま私たちに必要なのは持続と穂み重ねであって、頭のよくて先が見える、何もやる気の出ないおしゃべりではないということだけは、はっきりといっておいてよかろう。物わかりのよさが、青年の最大の欠点である。(Piii)」
「多くの社会問題において、制度的、あるいは技術的対策はほとんど役に立たないことが多い。むしろ技術的対策が事態を悪化させることさえある。(Piii)」

 

「国際的にいえることは、民衆に無条件に奉仕するという単純な原理が、どこの国でも最も現実的な普遍性を持っていることである。それを抜きにした指導理論や代行主義は、こと住民運動に関しては成立しない。そしてしばしば住民の直観は、どんな専門家の知識や理論よりも正確なことが多い。(Piv)」 

 これらの指摘は21世紀の運動にも有効な知恵である。

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I.公害と行政との関係 1971.11.17 ・・・ 行政は公害問題解決でしばしば解決を遅らせ、時には住民の要望をはねつけてきた。それは、行政が第三者という存在しない立場をとり、現実を無視するので、加害者の立ち場に立ってきたから(手の付けようがなくてしゃくし定規な官僚になるという側面もある)。行政は公害の責任を問われたことはない(せいぜい大臣まで)。官僚は無名のまま栄転し、存在を忘れられる。そして行政や政治の責任者として返り咲く。なので、固有名で追及しなければならない。行政の壁を破るのは、住民による直接行動であり、外部(行政区域や管轄の)からの衝撃である。
(行政が第三者固執するのは、「中立公正な国家」という観念にあるという。後半の行政の監視は重要な問題提起。政治家の追跡はやっても、なかなか行政までは手が回らない。また無知で事なかれの行政や官僚に問題を気づかせるのに、直接行動や外からの衝撃が効果的というのはそのとおり。最後に1971年末に水俣市民がだした中傷ビラが引用される。おなじものが石牟礼道子「天の魚」にも収録。被害者を差別する市民のどす黒い感情に吐き気を催す。それくらいにひどい。)


Ⅱ.官僚と学者の役割 1971.12.15 ・・・ 行政の事なかれは審議会でもおなじ。官僚の言うことを聞く人が選ばれ(住民代表は入らない)、行政のやることが決められる。学者はおとなしく、議論を紛糾させない。官僚と学者は、反省しない、現地や現場を知らず行かない(住民の話を聞かない)、過去の失敗を分析しないし改善提案を行わない(空疎な言葉と一般論や外国の文献を使う)。
(高知パルプ事件、佐渡島でのタンカーの油漏出、東京チッソ本社での患者座り込みなどの現況が抗議者によって報告される。新潟水俣病の訴訟に触発されて、住民運動が盛んになっている時代。)

Ⅲ.工業開発と公害行政 1973.1.11 ・・・ 工業開発は市町村で作成して県から国に上がっていく。計画はしばしば外部に委託され、企業やその意を受けた大学が加わり、環境への影響がなく経済成長があるとされる。住民は参加できず、土地を奪い、水をあるだけ使う。その工業計画で公害が促進する。
(というのは70年代の話。このあと円高で工場は海外移転し、工業開発計画は止まった。)
 地元は中央にすがって生きる根性だし、中央は地方の利益を吸い上げる。なので、工業開発には不要という住民運動が重要。企業と行政の癒着を暴く、企業の資料を再調査するなどの、個人で5-10年同じことをやれ(そうすると誰にも負けなくなる)。何もしないで人の話を聞くだけは止める。というのは公害は制度(役所の担当部門を作る、法を作るなど)や技術では解決しない。住民の直感がもっとも現実的な解。
(中央と地方の自治体と企業がいったいになって土地を奪い、余剰労働力を中央に集める。減反政策も農家の意欲をそぎ土地を手放せるための政策だと宇井純はみる。このような明治政府以来の工業化は80年代の円高によって終了したのだが、21世紀でもまだ生き延びている。なので住民運動は明治政府以来のこの国の政策と思想に抵抗することになり、必然的に正義と公正を考えることになる。)

Ⅳ.公害・技術・住民運動 1973.11.19 ・・・ 公害は制度や技術では解決できない。とはいえ、それぞれのところで頑張っている個人がいるので、支援やネットワークをすることも大事。制度よりも個人の頑張りのほうが効果的なことがあり、とくに市町村の自治体では顕著。また議員はロビイングや教育し、現場に一緒に行くことも大事。どちらも住民に対する最終責任を負うので、協力的であれば味方にし、そうでないときは戦いの相手にする。国、官僚、企業によってどんどん暮らしは悪くなっているが、住民運動があるのは希望。同じことを繰り返せ。現場に行け。歴史に学べ。
(高度経済成長時代のコンビナート事故について報告。大規模プラントでは運転を停止させないようにし、かつ生産量を上げるために設計以上の運転を行う。それを命じる経営や技術畑の幹部のずさんさ、無理を繰りとめるために奮闘する整備チーム。それが破綻すると大事故になる。もともと3年程度で償却するつもりのプラントなので、修理しないで交換・巨大化するのが前提。なので公害が起き、事故が多発する。そういう70年代までの整備や設計も、80年代に工場が海外移転して、雇用人が解雇され、ノウハウが途絶え、教育システムが失われた。なので21世紀にこの国でプラントやコンビナートを再建しようとしても、たぶんできない。あるいはまともに運用できるまでにきわめて時間がかかるだろう。)

 

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