odd_hatchの読書ノート

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アーシュラ・ル・グィン「所有せざる人々」(早川書房)-2

2014/04/02 アーシュラ・ル・グィン「所有せざる人々」(早川書房)-1 1974年

 貧困において平等になり、国家と家族と労働と貨幣を廃絶するオドー主義が徹底された社会。それは近代から構想されてきた社会主義ユートピアを実現した、と一応いえるだろう。しかし、そのような社会においても異端者や批判者が生まれる。それは二つの方向において。
 ひとつは、芸術や科学の運動において。このような自発的な、あるいは「真理」を求める行動。それが社会の規範やルールに抵触すると、個人の行動に制限が加えられる。このアナレスの社会では、モラルやエシックスのような社会活動の中から発生する規範やルールよりも、オドー主義というイデオロギーが優先される。そのイデオロギーでは個人よりも社会のほうが優先度が高く、社会の維持と個人の自由がバッティングするときには、社会の維持を優先する。この小説では、道化た芝居を書いた芸術家が辺境に配置転換され、あげくのはてには精神病院に収容されて行方不明になるという挿話が語られる。主人公シェヴェックは新しい時間理論を構想しているが、それはオドー主義の社会の発展理論に合わないために、指導教授によって発表が制限されるという屈辱を味わう。芸術や科学の活動のもとになる個人主義自由主義が制限される。科学や芸術の求める普遍性やヒューマニティが現在の社会の維持によって抑圧されるという構図が現れるのだ。
 もうひとつは、社会を運営する官僚制や教条主義の蔓延。上記シェヴェックの挿話にあるように、国家や企業がなくとも、社会の運営には組織が必要であり、その運営は平等と公正負担が原則になっていても、実務の習熟に応じたベテランが決定権を有するポストにつく。そうすると、おのずと権力がそこに生まれる。自分の判断とクライアントや利用者の利益がバッティングするときに自分の判断を優先させるという権力が生じる。そのような官僚制は失敗を恐れるから、保守的になり前例主義をとり、オドー主義というイデオロギーを振りかざす。別の権威を借りて権力を行使するというわけだ。そこにおいて、マジョリティの利益が優先され、マイノリティが抑圧されるという構図が生まれる。この惑星では人種や性別の差別はないことになっていても、自由主義個人主義を主張したり、新しい理論やアイデアを主張したりするものはマイノリティにされる。彼らは官僚制の分厚い壁にぶつけられ、マジョリティであるものからの蔑みや見下しをうけ、ときにいじわるや不当な扱いを受ける。
 このような社会の不具合は、オドー主義というイデオロギーの、あるいはその運営の問題であるとは作者は考えない。そのように考えると「アナレスは誤ったオドー主義による支配であり、本来的な真のオドー主義ならば問題は解決する」という問題を棚上げする立場をとることが可能になるからだ。そうではなく、社会主義そのものに内在する問題を摘出しようとする。そうすると、上のような抑圧と差別が自生的に生まれるという、なんとも悲観的な観察結果になる。
 物語は、科学者シェヴェックがこのようなユートピアと、もう一つの惑星ウラスの自由経済資本主義とナショナリズムの国家でそれぞれ挫折を味わう話として進む。シェヴェックは子供のころから利発で、自発的に物理学を学ぶ優秀な生徒-学生として育つ。彼はオドー主義者でもあり、労働やボランティアに熱心である。ところがこの優秀すぎる青年は、彼が自発的に行う物理学の研究ですぐさまアナレスの学者や研究者のレベルを超えてしまう。そのために学校や進学で苦労を重ね、友人たちと衝突したり、無理解にあったり、時に理不尽ないじわるにあう。ここらへんは「勉強ができて、そのためにいじめられる子供」の典型。いくつかの挿話は自分にも当てはまって、とても強く共感した。長じて研究者として立つ頃(20歳くらい)、論文を書いたら主任教授に成果を横取りされる(この教授はウラスの物理学の本を剽窃した論文で、アナレスでは権威になっていたのだ)。より進んだ研究をしているウラスの物理学者に手紙を書き評価されると、教授によって職を奪われ地方に配置転換される。彼はそれを受け入れようとするが、迫害が妻や子供にまで及ぶとなると、決意を示さざるを得ない。
(続く)