odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

宇井純「現代科学と公害」(勁草書房) 科学者・研究者の講演。現場の記録と見せ方が関心を広げるために重要。

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イタイイタイ病(萩野昇) 1971.5.10 ・・・ 萩野医師は敗戦直後にイタイイタイ病を発見し、治療にあたってきた。あわせて、鉱毒説を1957年に発表する。その結果、県、鉱山会社、東京大学その他から研究の妨害や恫喝を受けてきた。風向きが変わったのは、医師らの研究にアメリカNIHが研究資金を提供するようになってから。1968年に日本で最初の公害病と認定され、講演の1971年には民事の裁判が結審するところだった。神通川上流にある神岡鉱山から流出したカドミウムが河川に沿って流れ、水・米などに蓄積し、それを摂取した人間の体内でカルシウムに入れ替わる。その結果、骨から脱灰し、身長が縮み、骨折を繰り返す。意識障害がないので、痛みをずっと感じる。治療法のないときは、家族からも見捨てられるというのが悲惨の一語。
(ここでも科学者は企業の側につき、ウィルス説・栄養説・農薬説などを出して事態解明を遅らせた。それを覆したのは、市井の研究者や外部の協力者による研究であった。)


日本のカドミウム汚染(小林純) 1971.5.31 ・・・ 萩野医師と協力してカドミウム汚染の調査研究をしてきた岡山大学の教授(「川の健康診断」岩波新書の著作あり)。この人も現場に行き、土壌や水や植物を採集して分析し、被害者の話を聞いてまわる。被害地だけでなく、カドミウム鉱山の周辺地にもいく(対馬、安中、黒部など)。東大の教授や学生は本を読んで小難しいことをしゃべるが、現地にいかない、汗を流さない、人の話を聞かない。その結果、公害被害者を抑圧する側に回る。鉱山や県は、公害を隠すために隠ぺい、もみけし、対策しているふり、法律違反の無断操業などを行う。学者や厚生省はでたらめな計算で「許容値」(公害を発生させたと思われる値を許容させる)を作り、人に押し付ける。それを覆すためのコスト(実態調査、原因究明研究など)は被害者の負担になる。神岡鉱山は戦時中に亜鉛と鉛を採掘。その精錬の過程で生じるカドミウムを川に垂れ流し、戦中からイタイイタイ病患者を作ってきた。昭和31年ころにダムや沈殿池を作ってから被害は減少する。初期対応をきちんとすれば安いコストで公害は防げた。それをなまったことで日本の高度経済成長が達成された。
イタイイタイ病は主に女性に発症した。なので、家族内で女性差別があり、地域では公害被害者差別があった。この複合差別には胸が痛む。また小林教授の話は、科学研究の手本となる手順と手間をかけている。これは勉強になる。)


公害と生態学I(宮脇昭) 1971.6.14 ・・・ 植物生態学・植物社会学の泰斗。戦後に輸入された生態学の知見で、公害や環境破壊を批判し、あわせて現代社会を憂うる。だいたい内容は、エコエティカとか環境倫理学などの内容に一致。なので、21世紀に読むと既出のことばかり(当時は先進的)。後半の開発や産業育成目的の環境破壊の実態を撮影した写真のほうがインパクトがある。植物生態学の知見で重要なのは、公害・環境破壊・汚染は生態系の優占種から滅ぶ(なので単一相の画一化された生態系はリスクが高い)。その次に生命集団の大量死がくる。最近は生物の多様性を遺伝子プールの保全で説明することが多いが、この「大量死」の視点を強調することは大事。汚染の影響は三代、百年経過しないとはっきりしない。


公害と生態学Ⅱ(川那部浩哉) 1971.9.13 ・・・ このころ(1960年代後半)から生態学エコロジーが公害や環境破壊に対抗できるという俗説がでてきた。この国で生態学を研究してきた研究者による「そうではない」という説明。環境調査をするといっても、人員は不足、分析機器は貧弱、大量の数値解析を行えない、有効なモデルがない、など学問のツールは貧弱であった。それなのに、政府や官庁や企業などは生態学が有効な対策が可能であると喧伝した。またマスコミもエコロジー的な視点からの意識の変化などをあおった。なので、講座の参加者は宮脇や川那部の学者の話が具体的でないこと、運動に利用できる話をしないことにいらだつ。川那部は、個々には問題を起こさない事象も地球全体になると大きな問題になりうるという。この時は実感のなかった指摘が半世紀後にはオゾンホールや海洋プラスチックごみなどの問題として現れた。また平均は現場や生活には使えない、個体差が重要というのも、重要な指摘。

 

 

 現場の記録が重要であることを再認識。演者の体験談に加えて、現場の写真を公開し説明することで問題が可視化される。数値には入りきらない情報が映像に表れて、それが強いインパクトを与える。表やグラフよりも、素人写真を提示するほうが問題を共有するにはよいツールになる。問題に関心を持たない人に興味を持ってもらうための見せ方の工夫が大事。そういうことを考えた。
 東大自主講座の設立の目的は、学問や教授が体制保持に利用されていて(すり寄っていて)、国民や市民の利益や正義に立たないのを批判することも含まれていた。後半の二人の学者は、体制順応はしていないが、積極的に被害者の側に立とうとはしなかった人(でも、宇井純との交友はあったので講演に応じた。まあ良識派とでもいえるか)。なので、運動に関与している聴衆からすると、期待外れというか迂遠な話になって、苛立っている。それは俺もかんじたことではあるが、川那部などの超長期的な指摘が実際に現実化しているのをみると、現在の問題に役立たないという理由で科学者や科学を弾劾するのもよろしくない。となると、市民や国民の側からは運動の邪魔をするな、ときには現場に出てこいとしつこくいうことと、過度な期待をしないほうがいい、あたりか。2015年安保では憲法学者社会学者などが学問の良心にしたがって市民のデモに参加したりもするのだから、そういう期待でいいのだろう。もちろんダメな学者や学問の成果はたたきますよ。
 初出は1971年。

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