2019/10/08 宇井純「公害原論 I」(亜紀書房)-1 1970年の続き
日本の公害の歴史をまとめる。一般的状況で「自治意識の強いところでは公害がでにくい」という指摘があったが、水俣病などの公害病が発生するまで汚染されたところでは、自治が強くない。水俣市のように企業城下町として企業の恩恵を受けているところでは、被害者である漁民は企業の恩恵とは別に生計をたてているので、企業城下町の住民として認識されていない。そのために1959年にチッソの工場に漁民が乱入したとき、最初に反応したのはチッソの労働組合で、漁民の「暴力」を非難し、彼らの行動に敵対した。このあとも被害者や漁民の陳情などの行動にカウンターを仕掛け、排除し、暴力をふるったのは労組。そして市内の商店会なども敵対し、市長は警察の暴力を容認した。
公害病は差別を誘発する。その問題を全国に公開することになったのは、この工場乱入事件だった。乱入した漁民はバッシングされ、安価な見舞金で沈黙を強要され、市民の差別を受けた。最初に抗議をあげたものが非難され排除されるのは、ほかの問題でもいっしょ。ローザ・パークス事件が典型。しかし、社会に迷惑をかける行動が社会をかえるきっかけになる。
水俣病 ・・・ 水俣病の歴史。ただの漁村であったが、水力発電所の余剰電力を使う場所として、水俣にカーバイト工場ができる。以来、化学製品を多種多様に製造。その結果、水俣市は日本窒素の企業城下町になる(市民の大半は企業の関係先になる)。1956年ころ最初の発症例。企業の医師や熊本大学医学部は有機水銀が原因であることが分かっていたが、公表されない。漁民が補償交渉と改善要求を出すが無視される。1959年11月、漁民乱入事件が起き、全国で報道。企業は見舞金を出しておしまい。1963年、ふたたび工場排水からメチル水銀が検出され、猫を使った実験で水俣病の再現に成功。この成果も公表されない。
(この過程で著者は公害の三原則を見つける。(1)起承転結。発見(起)、原因判明(承)、質より量のいい加減な反論(転)、中和・うやむや(結)。(2)第三者は加害者の立場。科学者、地元有力者などが第三者を名乗るが公害加害者を守る行動をとる。(3)補償金は双方の言い分の余剰平均になる。科学的根拠がないが、心理的に納得してしまう。)
新潟水俣病 ・・・ 1965年、新潟県で水俣病類似の患者が発見される。早い時期でメチル水銀が原因であり、昭和電工の工場から排出されたものとわかる。しかし公害の起承転結と同様にうやむやにされそうになるが、患者家族が民事訴訟を開始。1968年には新潟と水俣の患者の交流が始まる。
水俣から得られる結論 ・・・ (1)ピラミッド型組織は喧嘩に勝てない。幹部を買収して分裂策動。互酬関係の強い共同体では理屈で決めるともめごとが起きる(なので喧嘩両成敗にする)→ 国や企業などの懐柔策に弱い。(2)統一と団結の組織は公害問題に役立たない(「統一と団結」など言わない方がよい)。(3)個人の努力を組織が妨害することがある。(4)孤立している者(本書では公害被害者)の連帯が重要(ネットやSNSはおろか、コピーやFAXも高価で使いにくい時代でした)。
足尾鉱毒事件 ・・・ 明治時代の公害反対運動。足尾は古川家による開拓。銅の採掘。水力発電で自前で精錬。その結果、銅やヒ素の流出、亜硫酸ガスの放出などが起きた。1894年ころから反対運動が起き、国会でも田中正造らが質疑。1897年に地元青年の陳情を官憲が弾圧。同時に谷中村を貯水池にする案が県議会で可決。1907年に谷中村の立ち退き完了。1913年田中正造死去。反対運動が壊滅。戦前は鉱毒のことをしゃべっただけで、憲兵に怒られる。戦後は廃山。
(運動について。(1)(運動の)中心はつくらない。事務をやるグループはあるといいが、組織は不要。(2)個人でもやりたい人がやりたいことをとことんまでやる。(3)自立(ここでは個人もやりたいことを続けること)の手掛かりになるのは、高校までの科学と歴史の知識。)
日本の公害運動(ほかの住民運動でも)が共同体の既存組織を使って行われる場合、企業や政府の弾圧の手口は大体似ている。幹部を個別に買収して組織を分裂させる。あえて条件のわるい和解や示談をもちかけて、分断をはかる。青年のあつまりを力でつぶして逮捕者をだす。危険な組織であるとデマをながす。そういう例がどこにでもみつかる。これは政府や企業で主従関係ができていて、臣下が自発的に上の意図を組んで、組織つぶしに走る。それを受ける共同体の既存組織(漁協とか農協とか自治体とか労組など)も主従関係と互酬経済の組織なので、彼らの分断に抵抗できない。
なので、中心をもたない、個人でもやるという人がやりたいことをするというような方法を提案する。21世紀の311以後の社会運動で、このような方法をもつ運動がでてきた。直接宇井純の提言が継承されているわけではない(おそらくほとんどの参加者は知らない)が、過去の運動を見ることによって、同じ方法を持つようになったのが面白い。自分が最初に読んだとき、世の中には統一と団結の組織をつくるという運動ばかりだった。共同体をつくるという運動の方法を自分は継承せず、宇井純の提唱するようなやり方で参加しているのは本書の記憶があったからだろう。
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