odd_hatchの読書ノート

エントリーは2600を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2021/9/25

宇井純「公害原論 I」(亜紀書房)-1

  1970年10月12日に東大工学部の講堂で、夜間公開自主講座が日本初で開かれる。主催は工学部助手の宇井純。その前に水俣病の調査をして、1963年にメチル水銀が原因であることを突き止めた。しかし公開しなかった。1965年に新潟水俣病発生。そのときに被害者の弁護団に加わる。その結果、東大内では講義をすることができなくなった(助手のままにされ昇進しなかった)が、各地から講演依頼が来るようになり、むしろ公開で市民向けの連続講義をして主催者の調査や意見を公表することにした。自主講座は例えば羽仁五郎(「都市の論理」など)が先にやっているが、助手がやるのは珍しい(この後東大では1980年代初めまであった)。
 この自主講座の特長は、立身出世に関係ない学問・市民のための学問を目指すこと。大学の講義が立身出世のための職業訓練や肩書取得にあり、政府や企業の側に立っていることを批判する意図もある。なにしろ、主催者が各地の公害被害地を訪れるときに聞くのは、大学の教授や研究者が政府や企業の側に立ち、公害はないと市民を抑圧するような発言や発表をする例が多数あったこと。
 以上は「はじめに」で述べられたことのまとめ。補足すると、戦後の経済成長で日本は重工業化を推進。生産効率を優先したので、廃液・排ガス・廃棄物などの処理には一切金をかけなかった(工場を誘致した自治体も住民の苦情を無視)。その結果、全国各地で公害が発生。煤煙、スモッグ、ヘドロ、水質汚染、土壌汚染、農水産物の汚染など。日本に住むにはガスマスクが必需などと言われたものだった。公害被害者の救済と環境回復、汚染物質の工場内処理などを求める住民運動が起きた。そこで上にのべたような「学問の府」が権力に迎合する例が多数起きた。おりからの大学紛争でも、教授や知識人の権力迎合と市民抑圧の事例が起きる。教授や知識人への不信があり、学問の在り方を変えようという動きがあった。自主講座はその例。ロックアウト中の大学では、学生による自主講座があったというが、あまり長続きしなかったという。こういう地道な運動ではリーダーがしっかりしていることと、学問の訓練を受けている人がいることが重要なのだろう。

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はじめに ・・・ 通常は総論から各論になるが、ここでは個々の事実から共通の問題を引き出すやり方をとる。各論から総論へという流れで。(これは市民運動や社会運動などでみられる例。目前にある個々の事案に対応しながら、普遍的・一般的な認識を持とうとする。「現場」を大事にするとこうなる。) (発生した)公害を解決する技術はあまりないが、公害を発生しないようにする技術はすでにあり使っていなかったのが被害を拡大した。
一般的状況 ・・・ 日本は公害が起こりにくい国。自然条件では、四方が海、潮の干満(があって流れ出てしまう)、大きい降雨量と短い滞留時間(以上へ海に拡散して希釈されるということ)、風(かぜ)。社会条件では国境がなく国際紛争になりにくい(逆に国際紛争の経験が少ないことが自閉的自足的になる理由か)。しかし発生したのは
(1)高度経済成長の理由(廃棄物処理の投資をしないですんだので、低投資と低原価で競争力をつけた)
(2)政治と企業が癒着(これは戦前の翼賛体制で上からの企業編成で強化されたのだろう)
(3)人権意識と自治意識の弱さ(公害被害者を救済するのではなく差別する。自治体の合併によって自治意識が低くなり、企業活動を監視し抗議する力が弱くなった。自治意識の強い保守的なところでは、意外と公害を出しにくい。)
(4)科学技術の遅れと怠慢(科学技術の専門家が公害加害者を代弁し、問題の責任所在をあいまいにし、まともに研究している人、被害者の側に立つ研究者を圧迫する。企業や国家の雇人であって自分の仕事に責任をもたず、現場にいかず、つじつまがあわなくても気に留めない/気づかない。これは効率優先の技術や思想、教育に原因がある。)
などが考えられる。

 

 公害を語る。たんに科学技術の問題として語るのではなく、企業と自治体の歴史、民衆運動の歴史、中央と地方の政治、中央と地方の経済など幅広い知識が動員される。それは個人的な興味で語っているのではなく、問題解決にあたる過程で企業や行政と対峙するとき、そこまで調べないと勝てず、同時に被害者や救援組織などの支持を得られないというところにある。活動することが勉強になるのだ。

 

 

2019/10/07 宇井純「公害原論 I」(亜紀書房)-2 1970年に続く