odd_hatchの読書ノート

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宇井純「現代社会と公害」(勁草書房)

 自主講座の2学期はさまざまな現場のひとたち(現在に限らない)の話を聞く。宇井純による1学期の話を実地でどう使うかを検討する機会になる。当初100人教室で行っていたが、このころには400人を超える。荒畑寒村の回には屋内に収容できなくなり、途中から野外集会になる。情報を得るためには、足を運ばないといけない時代。 初出は1971年。

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東京都の公害(戒能通孝) 1971.4.12 ・・・ 当時、都知事は美濃部(社会党)。そのために先進的な公害対策を行った。公害対策の現場責任者として東京都公害研究所署長に選ばれたのが戒能通孝。民法の学者であって、岩波新書の法律関係の書き手でもあった。公害対策で戒能らがとったのは、技術+法+経済政策+現地調査+運動との連携など。話のほとんどは戒能らが直面している現在の問題点。水質汚染、大気汚染、地盤沈下、ごみ処理など。企業と話し合いをすることもあるが、当時の企業はやる気なし。
(この時代は関東の各地で工場がたくさん建設されていて、その排水や排気、廃棄物などで公害は深刻化していく。振り返るとこの深刻化は1980年代半ばまで続いたが、その後は徐々に解消していく。主に技術的な対策ができたかと思ったが、80年代後半から円高と労賃上昇で、工場は海外に移転していったのだった。工場の廃棄物が減ったのが日本の公害を減少させた理由だ。)


公害裁判 公害と法律家(坂東克彦) 1971.4.19 ・・・ 新潟水俣病裁判の弁護士。4年がかりの裁判の最終弁論前の報告(原告被害者側の勝訴)。公害裁判は科学裁判。企業の責任とともに行政の責任を問えるか。裁判に勝って公害はなくなるか。被害者が被害を隠す構造。労組や地元住民が公害企業の肩を持つ構造。
(この弁護団は「被害者の立場に立って」とはいわない。法律家の立場に立つと明言。これは3.11以降のアンチ・ヘイトの運動と同じ考え方。また公害企業は住民に被害を及ぼすのと同時に、労働者の人権侵害、パワハラを常態化している。それを行政は黙認し、被害者の運動をつぶしていることが報告される。)


公害と経済学(宮本憲一) 1971.5.17 ・・・ 経済学者であるが、1950年代から公害の本も出している(「恐るべき公害」岩波新書など)。公害は企業犯罪であり、人間の生存を破壊している。国家は企業となれあって、それを助長。経済学からみると、高度経済成長は、高度蓄積・集積方式で、国は消費(社会保障)と以上に企業向けの設備投資(高速道路や新幹線、港湾、空港など)を行った。都市に企業と労働者を集中させ、市民向けのサービスや投資をしないで、企業の利益を上げさせ、市民に負担(公害)を強いた。なにしろ公害化会社への助成が被害者への助成を上回る。大量生産・大量消費・大量公害も上を助長。たとえば自動車の個人所有の助長。これらに資本主義の後進性が加わる(というかヨーロッパやアメリカの民主主義や共和主義で市民の政治参加を抑圧して企業と国家の変化を促せないところか)。明治維新からこの国は農村・地方を保守政治の砦にした。都市が革新になっても地方が保守なら返り咲きできるようにした。そのために地方の自治体合併で住民運動をできなくし、公共サービス負担を自治体に強いてきた(例は小学校設置と運営)。そして教育内容に介入し、工業と軍隊のための人民育成を行う。
(この国に民主主義が根付かないという嘆きをよく聞くが、なるほどこの説明によると明治維新以来の政策が、そのような運動をできなくするようにするためであったのか。自然村(ここでは旧来から自治に近い制度があり、一揆その他の抗議運動の拠点になった)を複数合併させ、行政村の中で差別を発生させる。そうすると行政や国家への抗議になるべき運動が、自治体内のいさかいに転化される。そのうえ、村に公共サービスを負担させ、経済的に疲弊させる。この仕組みを変えることが今後の運動に必要。と、壮大すぎるテーマでミッションだが。
 学問をするなら、事実と歴史、住民運動を調べろ。ここが重要だとのこと。さまざまな住民運動にかかわっている人だからこその重み。まあ、自分の経験に基づけば、学問で身を立てようとする人のほとんどは、専門以外を勉強しないし、運動にかかわることを避ける。で、年を取って肩書がつくと権力に絡み取られるようになる。)


公害と青年(荒畑寒村) 1971.6.7 ・・・ 1887年生まれの寒村が社会主義運動史と、社会党批判を語る。講演時84歳は当時としては高齢。寒村は自伝を書いていて、そこにも「谷中村滅亡史」執筆の様子がでてくるが、田中正造の思い出は出てこない。なので、この講演は重要(できれば文庫に収録してほしいくらい)。できごとは置いておくとして(いずれ「自伝」を読むつもり)、寒村は過去の運動が分裂と敵対の歴史であったことを嘆く。その克服は小異を捨てて大同をなすことだという。全国組織を作ると、指揮するもの・命令するものとされるものが生まれるが、それは個人の自由意思を束縛する。なので、小さな組織の緩い連動でよいとする。ここは3.11以降の運動が重視していることだと思う。
(こういう運動のやりかたをアナーキズムと寒村はいう。戦前のアナーキズム運動は大杉栄の個性に支えられていたが、彼の死(虐殺)によってアナーキズムは下火になった。理念と実践はなかなか両立しない。
 寒村はロシア革命史の本をたくさん書いている。ロシア革命血の日曜日から2月革命まで)をリアルで知っていた人であった(驚愕)。彼が社会主義の情熱を失わない理由が「ヴ・ナロード」の運動への共感。ロマン主義社会主義が交錯しているのだ。)

 荒畑寒村「ロシア革命運動の曙」(岩波新書) 1960年