odd_hatchの読書ノート

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宇井純「続・現代科学と公害」(勁草書房)

 「民衆のための科学」という考えがでてくる。大学などの研究者・専門家が体制の側に立って代弁者になる状況で、科学者はどういう研究をするべきか。それにこたえようという考え。本書収録の講演のうち最初のみっつは、そういう実践をしてきた人の報告。成功例もあれば、失敗例もある。
 初出は1972年。

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農薬と目の奇病(石川哲) 1971.6.21 ・・・ 有機リンを使った農薬被害の調査研究報告。農薬中毒は戦前から知られていて、ときに使用禁止になっていたが、1960年代に起きたのは農薬の散布を曝露されたときにあらわれる被害。ここでは近視。ある特定地域に小中学生の近視が多発。調べるにつれて農薬に含まれる有機リンが原因であると思われた。当然厚生省(当時)も農薬会社も農協も自治体も被害を認めない。そういう状況で、科学者や市民はなにができるか。もっとも被害を受けた少数者の利益になるように動け、凡百の理論(海外に先行例はない)よりも現場に行けあたりか。権力からの抑圧や妨害にどこまで抵抗できるかは、なかなか難しいなあ。
(見ないふりをする、権力の側にすり寄るという選択もあるけど、それは人間的ではない、正義や倫理にもとるという決断をするのは、生き方の姿勢とかになる。後、戦後の日本農業では農薬の大量使用があった。)


農民と医学・農薬公害(若月俊一) 1972.4.10 ・・・ 佐久市の農協病院院長の農民のための医学実践の記録(詳細は「村で病気とたたかう」岩波新書参照:未読)。農民らの医学への不信は極めて根強く、医療改革の試みが妨害を受けることもある。でも、彼らの利益になるように動くと、長年の間に信頼関係が生まれる。革命的エネルギーは、地味なひとつひとつのところに費やすべき、気長(10年以上)に楽天主義で、というのが運動を成功させるおおもと。医学の問題は社会性の喪失と器ができたことでエネルギーを失うこと。
(第2次大戦後、ナチスの開発した毒ガス(例えばサリン)の成分をかえたものが農薬に使われた。フェノール水銀も田んぼにまかれた。BHCDDTの薬剤も散布された。アメリカの5倍、ヨーロッパの7倍。その結果、1950年代後半から日本の農民の2-4割に中毒症状がみられ、ほとんどの人の毛髪から水銀が検出されるようになった。日本は農薬被害の人体実験をしている。という若月俊一のレポートが付録。)


公害と科学者(半谷高久) 1971.9.6 ・・・ 塩素、炭素、窒素の地球規模の循環量の推定からみえる、人間の経済活動による影響。(公害の個別問題では具体的な対策はいえるが、地球規模の漠然とした話になると、当時は対策のアイデアがなく、漠然としたことしかいえなかった。あと、科学は価値に中立であると科学者は考えがちで、はっきりした態度を示さない/示せないのだが、被害の当事者からするともどかしい。)

 「民衆のための科学」は1980年ころには理論化され実践も試みられた。未読だけど、たとえば里深文彦「いま、民衆の科学技術を問う」(新評論)。1980年代半ば以降の好景気でフェードアウトした。工場の海外移転が進行して公害被害が見えにくくなったとか、自治体や企業の公害防止研究が進んだとか、公害反対運動に代わる環境保存運動が盛り上がらなかったとか、科学研究の専門化が進んで素人には難しいとか、いろいろ理由が思いつく。研究者が旗振りをしても市民が後ろについていないという状況があった。
(ま、俺も学生時代には住民運動にかかわったが、就職して「社畜」のような生活をしているうちにモチベーションを失ったし。ダメな男でした。)

 

沖縄の公害闘争(宇井純他) 1971.5.3 ・・・ 翌年の「沖縄返還」を前にして、本土の産業資本は沖縄に工場を移転・増設しようとしていた。そこには公害企業(ほとんどすべてがそうだ)があり、沖縄で公害反対闘争が起こる。宇井純らが沖縄に行き(当時はパスポートが必要)、現地のプロテスターと報告会を行う。報告された各地の闘争は本土よりも強く、粘り強い。阿波根昌鴻「米軍と農民」(岩波新書)の系譜を継ぐような厳しく、美しい闘争があった。その経験が2019年の辺野古の基地反対運動に引き継がれているのだろう。

「劣勢な純民運動を支えるのは精神的な高さ」
「一色でいったら負ける。いろいろみんなでやってみる。あいつがあのやりかただったら俺はこっちで。どっちが効くか試してみよう」
「一見なんでもないようなところに摂取すべきものがある」
「遠くから来た人間に助けてもらうという空気がないところは強い」
「権力や企業のやることは荒畑寒村「谷中村滅亡史」にみんな書いてある」