odd_hatchの読書ノート

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フョードル・ドストエフスキー「スチェパンチコヴォ村とその住人」(河出書房)

 ペトラシェフスキー事件のあとの長編。

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 大学を卒業してからのらくらしている「わたし」におじから帰宅せよと連絡が入る。叔父(30代後半)の経営しているスチェパンチコヴォ村がしっちゃかめっちゃかになっているという。もともとこの土地は伯爵が経営していたが、その死ののち跡を継いだ伯爵夫人はすっかり意気地なしに。そこで息子(叔父)が経営にあたることになったが、優柔不断で波風を起こしたくないが気が弱いので他人に強くでられない。学がないことがコンプレックスで、エリート然とした人には頭が上がらないが、女声や農奴のつきあげには衝動的な行動をおこして、すぐに後悔するというなんとも頼りない。というのも、文学志望を挫折したフォマー・フォミッチなる人物(40歳)が伯爵夫人に気に入られ、なんとなく権力をふるうようになったから。この押し出しが強いというと美麗にすぎて、「わたし」の観察によれば醜い自尊心を隠して、予言者や支配者のよう。そのうえ他人の意見や批判を聴くとすぐに「わたしを侮辱した」とわめきちらし、相手が謝罪するまで許さない。こんなに面倒な人物であるのに、なぜか女性には人気がある。なので、食事他いたる機会で、フォマー・フォミッチは叔父を罵倒し嘲笑し謝罪を要求するのであるが、だれにも止められない。
 叔父が「わたし」を呼んだのには目論見があって、孤児だったのに思いがけない遺産をもらったタチャーナ(35歳)と叔父が結婚し、下級官吏の娘ナスターシャと「わたし」を結婚させ、あわよくばフォマー・フォミッチを追い出して、この村を平和にしようというのである。実行に移そうとしたが、すぐに罵倒と嘲笑で返され、叔父の意気は消沈。そのうえ、タチャーナはなびいてくれないし、ナスターシャと二人でいるところをフォマー・フォミッチに見られて、復讐に怯える。そのうえ、この二人の女性には村の有閑な男性が数知れずアプローチをかけていて、それぞれが叔父や「わたし」に入れ知恵や脅しすかしをするもので、事態は錯綜するばかり。「わたし」の進言を聞いて叔父はナスターシャとの結婚に踏み切るが、ナスターシャは断り、フォマーはナスターシャを侮辱する。ついに堪忍袋の緒が切れた叔父はフォマーを殴る(フォマーは読者の感情を逆なでする厭なヤツなので、ここですっきり爽快)。唖然としたフォマーは嵐のなか、村を飛び出そうとする。
 1859年に書かれた長編。「死の家の記録」の前年の作だが、思想の深み、人物造形のすごみはなくて、薄っぺらい人物が狂騒のひと夏を過ごす。そういう点では、フォマーという農奴制ほかの古い体制に依拠し、権力にすり寄ることで横柄になる人物が混乱をうみだすということで、ドスト氏版の「ファルスタッフ」とでも見たほうがよいか。対抗する叔父が情けなさと衝動性のために感情移入ができず、この混乱もフォマーの手のひらで踊らされたとみるしかないのが、残念。
 むしろ、ドスト氏が若い時からドスト氏であったことを確認できることに感心した。全体の設定と構成は「カラマーゾフの兄弟」の第1部みたい。一族の重要な会議、打ち合わせに都会にでていた若者が帰ってくる。そこにおいて権力の中心が喪失している家族に混乱がおこり、それぞれの本生があらわになるところ。あるいは、叔父がナスターシャとの婚約をフォマーに報告するときに、小説の人物のほとんどが一間に集まり、それぞれがパートナーを変えつつしゃべり、噂話をし、叫び声を上げ、泣き出し、くすくす笑いをする。このワルツを踊るような人物の出入りに、次第に混乱が増していき(神棚の前でお祈りをあげるわ、食事と酒の用意をするわ、最後には泥酔者も闖入)、叔父の渾身のパンチが決まるところでクライマックス。そのあとの嵐の中の追跡に、ずぶぬれのフォマーの帰還があって、祝祭的な狂騒がえんえんと続く。エピソードでは叔父と結婚したナスターシャが家族の指導権をもって、フォマーを操縦し、叔父の負担を軽くするのは、「罪と罰」のソフィアの役割が託されている。それ自体独立した作品ではあるのだが、のちの長編の習作みたいに思えましたよ。長編なのにたった二日のできごとであることも。
 残念なのはもうひとつ、語り手の「わたし」の造形の弱さ。彼は都会で大学を卒業したエリートなのに、ここでは完全に観察者に徹し、事態に介入しない。叔父の画策していたナスターシャとの「婚約」にも動じることがない。この傍観者ぶりはフォマーらの狂騒の夏の日々の滑稽さ、無意味さを明かにするが、彼自身が変わらないので、まったく小説の深みがでてこない。丸谷才一は河出書房版の全集月報で「スチェパンチコヴォ村とその住人」を激賞していたのだが、どこに魅かれたのかなあ(全集版解説をみると米川正夫も高評価。フォマーと叔父の造形がリアルでこれまで書かれなかった人物像を創造しているところがよいのだって)。ドスト氏の長編ではこれと「ネートチカ・ネズワーノワ」「伯父様の夢」が文庫で出ていなくて全集版で読むしかないのだが、そうなるのも妥当な判断だと思う。