タイトルは「ドッペルゲンガー」を意味するロシア語だそうなので、米川正夫の「分身」のほうがあっている。岩波文庫のタイトルの「二重人格」は読者を混乱させるな。今なら「ドッペルゲンガー」で通じると思う(オカルト系ではこの現象の人気がなくなっているようだが)。
「我々の主人公」であるのは、中年のゴリャドーキン氏。九等文官というから、役所では下っ端の方。仕事もたいしてできないし(これを読むと公文書の清書が仕事のようなのだが、それが独立した一つの仕事だったんだ!)、コミュニケーションはうまくとれないし、上司の機嫌は損ねるし、同僚にはばかにされているし。役所のえらいさんが自宅で娘を\の誕生日を祝うパーティで、場を白けさせてしまうし、下男のペトルーシカは融通が利かないし、とやることなすことからわまり。失態を演じた(これもドスト氏に定番のシーンだな)あと、深夜の雨のなか、彼は異様な人物を見つける。熱にうかされたようにあとをつけると、自分の部屋にはいっていった。翌日、役所に同姓同名で風貌も似た男が入所する。同じフロアの部署に配置されたその男(新ゴリャドーキン氏)はゴリャドーキン氏(旧ゴリャドーキン氏)よりも仕事ができ、弁舌にさえ、如才なく、同僚や上司のうけがよい。そのうえ、新ゴリャドーキン氏は旧ゴリャドーキン氏の先回りをして、旧氏の手柄や成果をさりげなく自分のものにしてしまう。下男のペトルーシカに新氏への果し状をもっていかせれば、何かを吹き込まれたか下男を止めると言い出し、仕事を首になるかもしれないという噂を聞いて、旧氏は雨のなか町に飛び出す。
いったいこの饒舌で展開ののろい小説をどういうジャンルにおしこめればよいのか。通常はドッペルゲンガーの出てくる怪奇小説とみるだろう。ことに最初に分身を発見するシーン。真っ暗な中に誰かの顔を見つけ、驚愕と逡巡、不安と恐怖を感じながら後を追う描写は圧巻(とはいえ、今日の基準では長すぎる)。あるいは、ある種の精神疾患を微細に描写する病気小説とも。この時代には異常心理の学術研究はやられていないか、ほとんど行われていないか。まして治療など。そういう時期に、ある種の疾患によく似た心理を良くここまで精緻にかけたものだと感心する。
でも、自分が読み取ったのは、これは滑稽な笑いの小説なのだということ。やることなすこと社会や組織に適合できない男が疑心暗鬼と衝動でもって、合理的ではない行動をとり続け、転落していく。わびしく情けないかぎりであるのに、笑いが止まらないそういう小説。この小説には饒舌で冗長という批判があるのだが、そこを改善すると、そうだなあ筒井康隆「俺に関する噂」になるのではないか。そのうえ、ラストシーンの摩訶不思議なこと。雨の中、街中をさまよい続けた(旧)ゴリャドーキン氏、ある邸宅(役所のえらいさんの家で、失態を犯した誕生会のあったところ)の前に佇んでいると、突然中に入るよう促される。そこには小悦の登場した人物が全員そろっていて、彼を迎え入れ、ひややかに眺める。そこに新しい登場人物が現れ、彼に連れられてどこかに収容される。幻影か夢かのように書かれているけど、これは小説のきまりごとをあえて解体して、主人公をメタなレベルに飛ばしてしまった例になりそう。この実験には驚いた(けど、読み込まないとわからないので、仕掛けはうまく了解されない)。
まあ、さまざまな意欲があったのだろうが、空回りして着地に失敗したとみればよい。ドスト氏の小説としてはさほど重要ではない。
このゴリャドーキン氏。およそ読者の感情移入のできる人物ではない。貧相で、貧乏で、皮相的。引きこもり気味で、他人との会話になれていないので、つまらない会話しかできない(というか本題にはいるまえの説明や弁明で、しどろもどろになってしまうのだ)。一方内面では言葉があふれ、いちどなにかに熱中すると言葉がとまらない。それは内話として書かれるので、だれも聞こえない。そのうえ、だだもれることばは論理的でも合理的でもなく、懐疑と猜疑と自己卑下と自尊心のないまじったものなので、およそ聞いて(読んで)楽しいものではない。こういう内話がえんえんと続くので、計画を立てて順序だった行動はまるでできないのに、熱に浮かされると衝動的に他人に介入しようとする。衝動がたかまると、他人が見えなくなり、他人も彼の行動の理由や原因がわからないのでぽかんと眺めるしかない。なんとも厄介な人物。(しかし、自閉的な傾向のある人には納得できる行動性向だ)。
こういう人物は奇矯というしかないが、ドスト氏の手にかかれば、優れた近代や現代の批判者として再創造される。もちろん「地下生活者の手記」やラスコーリニコフなどのことをいっている。
それに、ゴリャドーキン氏のみる分身(ドッペルゲンガー)が平凡な、これといって特徴のない男であったり(「カラマーゾフの兄弟」でイワンの前に現れる悪魔)、手持ちの金は少ないのに馬車を一台貸し切りにして町中を走り回らせたり(「カラマーゾフの兄弟」のミーチャが同じことをやった)。ドスト氏は若い時から「ドストエフスキー」だったのだなあ、と感心した。
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