2021/01/21 柳澤健「1964年のジャイアント馬場」(二葉文庫)-1 2019年の続き
アメリカと日本のプロレスが比較される。大きな違いは、アメリカはレスラーと興行と宣伝は別の組織が行うが、日本では一社が全部行うところ。日本のプロレスは力道山が相撲協会のやりかたをコピーしたため(個人事業主が起業したのでしかたがない)。レスラーがオーナーとなってすべてを行うのはアメリカにもあるが、長続きしない。オリジナル・シーク、バーン・ガニア、フリッツ・フォン・エリックらのプロダクションは2-30年しか持たなかった。日本のプロレス団体も同じくらいの寿命(新日本プロレスだけが例外だが、創業者とその一族が経営から離れて、近代的な会社組織になっている)。興行のプロデュースを一人でやろうとするとアイデアが数年から10年程度しか続かないからだろう。観客とレスラーのニーズをとらえられなくて、自分の成功体験を繰り返す。外から脅威が出てきたときに、保守的になって対抗できない。1984年からWWF全米侵攻に各地の老いたプロダクションは対抗できなかった。K1やプライドのMMAがでてきたとき新日本プロレスは低迷した。UWF、FMW、ECWのイノベーターも数年でマンネリになってしまった。おなじことは1972年にジャイアント馬場の作った全日本プロレスでも起きたとされる。低迷のあと90年代の四天王プロレスが出てくる。馬場が称賛したプロレスではあり、成功もしたが、20年もたって試合を見直すと、彼らのプロレスはとても痛々しい。
という具合にいろいろと知ったことはあるが、どうも再読する気持ちになれない。調べられることを全部だしたために、フォーカスがあっていないのだ。20代の馬場のパフォーマンスは優れているが、30代で自分の団体を持ってからは時代遅れになり、50代になってファンの希望を聞くようになってから興行主として満足した? この評価は馬場に対して妥当か? 70年代の猪木を「馬場を超えた」と持ち上げ、ジャンボ鶴田を下げるのはどうよ。四天王とされる選手には「闘魂三銃士のような華やかさも器用さもなかった(P715)」といいきっていいのか(馬場の方針でメディアに出なかったのが人気の差であったと思う)。
本書ではレスラーの価値を興行で見る。レスリングの技術やケンカの強さで見るのではなく(これはレスラーの中で格付けするときの基準になる)、いかに観客を呼んだか/リピーターにしたか、興行収入を上げたかが重要である。そうすると、ルー・テーズはチャンピオンベルトを持っていることがギミックである中堅より上のレスラーであり、力道山は50年代のプロレスしかできない無名の二流レスラーであり、アントニオ猪木はキャラクターのない前座レスラーであるということになる(1960年代の実績では)。ほかのNWAチャンピオンもほぼ同様の低調なレスラーである。一方観客を熱狂させるゴージャス・ジョージ、バディ・ロジャース、フレッド・ブラッシーはプロダクションと観客からみて最高のレスラーである。
この評価はあんまりだなあ。 ビークマン「リングサイド」や斎藤文彦「フミ・サイトーのアメリカン・プロレス講座 決定版WWEヒストリー 1963-2000」、ルー・テーズ自伝などを読むと、アメリカのプロレスは1950年代に戦後初のブームになる。テレビ中継されたのが理由である。そのときはトップのプロレスラーはアメリカ国内のあらゆるプロアスリートでもっとも所得が多かった。ルー・テーズは当時チャンピオンであるだけでなく、最高収入であった。各州にはローカルチャンピオンがいて、彼らも高収入だった。プロレスラーも全国で数千人いたという。それが1950年代後半から人気が落ちる。全国ネットのテレビがプロレス中継を野球やフットボールに切り替えたのが大きな理由。で、バディ・ロジャースやフレッド・ブラッシーが人気を得たのはプロレスの退潮期において。ルー・テーズ他のアスリートタイプのレスラーの人気が落ちた時に、大げさなパフォーマンスとしゃべりで人気をとっていたのだった。そういう時代の趨勢もレスラーの評価に入れたほうがよいのではないか。
興行収入や観客動員は重要なファクターではあるし、エンターテインメントを重視しているのはそうだけど、スポーツをないがしろにしていないか。なにしろ選手のインタビューも取っていないし、作者の断定することが正しいのか検証しようがない。自分に挑戦状を送り付ける「猪木はアタマがおかしい。馬場はそう考えていた(P547)」。これは本人のインタビュー、他の記者やライターの話で聞いたことがない。他にもスキャンダル好きなところや選手や団体の評価がダッチロールするところ。総じて2019年当時の死者には厳しく、生存者には甘い。
作者はプロレスに熱中したことがあるのか。そうでない研究者であるとしたら、根拠のない断言が多くて客観性にかける。ほかの人のプロレス・スキャンダル本を読んだのと同じような気分の悪さ。
(本書を読んだ後、初めてバディ・ロジャースの試合を見た。1950年代の試合は二流レスラーそのもの。レスリングの技術はないし、ケンカの強さもない。それが、1960年代にはいって変貌した。リング登場から退場までの間、観客の視線を一身に集め、男が羨望と嫉妬を持つような色気を身に着けた。あのNWAチャンピオンでテクニシャンのパット・オコーナーも、試合では自分の良さが消されて、ロジャースしか記憶に残らないのだ。ロジャースのスタイルはその後も継承される。デストロイヤー、リック・フレア、ニック・ボックウィンクル、トリプルHなど。なるほど近代プロレスの創始者といえる。ここは発見だった。)
Lou Thesz vs. Buddy Rogers (1951.1.26)
Buddy Rogers vs Pat O'Conner(1961.6.30)