odd_hatchの読書ノート

エントリーは2400を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2020/10/13

ザ・デストロイヤー「マスクを脱いだデストロイヤー」(ベースボール・マガジン社)

 本名リチャード・ベイヤー(バイヤーのほうが発音に近いらしいが、この国ではベイヤーでとおっている)、通称ディック・ベイヤー。こちらの名でリングに上がったことがある。われわれにとってはジ・インテリジェント・センセーショナル・デストロイヤーあるいは「白覆面の魔王」の方が通りがよいか。
 半生をこの本に書いているのだが、戦後のアメリカとこの国のプロレスを通観できる。1930年生まれで、シラキュース大学でフットボールをしていたら、コーチに見込まれてレスリングにスカウト。NCCという全米選手権で好成績。学校教師の資格を取っているところ、プロレスに誘われて1954年にデビュー。素顔で戦っていたが、ロスアンジェルスのプロモーターにマスクマンになるよう勧められ、フレッド・ブラッシー(例の銀髪鬼、噛みつき魔だね)との抗争で人気を集める。WWAのチャンピオンになり、1963年に日本プロレスに初来日。力道山との凄惨な試合でここでも人気を集める。以後定期的に来日。1972年の全日本プロレス旗揚げ後はここをホームにして、ガイジンなのに日本側サイドという最初のポジションにつく*1。同時に、日本テレビのバラエティショーでコミカルな演技を披露。一時期は、この国で最も知られたガイジンレスラーの一人。1993年に引退(このセレモニーのあった武道館大会を自分は見にいった)。力道山と戦ったレスラーの多くが物故する中、2014年ではまだまだご健勝の様子。慶賀です。
(追記 2019年3月7日死去。R.I.P.
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 これをプロレス史に絡めれば、デビューの1950年代はアメリカではプロレスラーがあらゆるプロスポーツの高額所得者であった時期にあたる。なので、このころレスリングやフットボールの有名選手、その他のスポーツエリートの多くがプロレスラーになった。当時の一流レスラーの前歴をみるとすごいものね。それにテレビ中継の人気番組だったので、アメリカ全土に名を売ることができた。なので、彼らはさまざまなテリトリーを渡り歩く。当時のプロレスラーの人数はルー・テーズの証言によると3000人とも5000人ともいわれる。
 1960年代になるとプロレス人気は低迷。NWAが独占禁止法に引っかかって全米のテリトリーをまとめられなかったのと、野球やアメフトのような視覚的なスポーツに人気が出たことと、大人のファンが消えたあたりが原因ではないかな。ともあれ、かつてのような高収入にならなくなったので、レスラーは世界各地に遠征するようになる。その中で、この国のプロレス団体は高額なギャラを提示したので、一流レスラーが定期的に訪れるようになった。そのうちに、この国を主戦場(営業エリア)とするものが生まれる。デストロイヤーの生き方は、アメリカとこの国のプロレスの勃興と没落のタイムラグをうまく利用して、最適な場所に自分をおくことだった。彼がはしりで、そのあとは、ドリーとテリーのファンクスに、ブッチャー、シンのような人たちが続く。
 彼の成功のもとになるのは、180㎝そこそこの小兵でありながらレスリングのトップになるという身体能力の高さと、プロフェッショナル意識(高い技術を持ち維持する、どんな会場でも手を抜かない、客を楽しませるなど)にありそう。「4の字固め」というほかの人がまねできない必殺技があったのも重要(トップレスラーの必殺技はマネしないのが暗黙のルールのころ)。そこに陽気な人柄と高いコミュニケーション能力(試合中にカタコトの日本語で客と会話するのが楽しい)があって、あの成功があったのでしょう。
 本人の人柄もあるのだろうが、この本には生活の不満や不安、家族との確執などがいっさいない。これはめずらしい。1950-60年代のレスラーは長いロード生活で家庭不和に苦しんでいたし、引退後に資産の不足や副業の失敗などで沈む人がいた。チャンピオンであっても、その後の生活は不安定なのだ。でも、この人は良い家庭をもち、この国の後援者との関係も良好で老後も安心に暮らせた。心残りは、20代半ばからプロレスラーを目指した長男が大成せずにフェードアウトしたことか。奇しくも本人の引退試合は、長男の引退試合にもなってしまった。
 力道山との試合はもちろん、1970年代の全日本プロレスでの試合も、バラエティショーも、自分にはリアルタイムの記憶がほとんどない。四半世紀前に日本テレビが深夜に名勝負集を流したときのでは、ミル・マスカラスとの3本勝負とブッチャーとの野外試合(大阪万博広場)が印象に残った。前者のクラッシックな手や足の痛め技固め技の応酬が見事(その代りフライングクロスアタック2発でフォールされるというあっけなさ)。後者はとんでもなくラフでタフな流血試合。コミカルな試合を持っていないのが残念。

追記 2019/8/1
YouTubeで過去の試合をいくつかみた。vs力道山、vs豊登、vsアントニオ猪木、vsジャイアント馬場、vsヒロ・マツダ、vsドン・レオ・ジョナサン、vsホースト・ホフマンなど。驚嘆したのは、どの相手でも試合をコントロールしていたのがデストロイヤーだったこと。技術で相手を圧倒し(マツダやホフマンのようなテクニシャン相手でも)、試合が膠着してだれてきたら観客を会話や反則であおったり。長丁場の試合でも飽きさせることがない。たいていのプロレス本でこの人が「うまい」「強い」で評価されることはなくて、そういう先入観をもっていたが、そうではなかった。おみそれいたしました。

*1:いえ、その前に国際プロレスビル・ロビンソンがベビーフェイスのトップになりました。