odd_hatchの読書ノート

エントリーは2400を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2020/10/13

ミスター高橋「流血の魔術」(講談社+α文庫)

 著者は新日本プロレスの元レフェリー。退職後に、「プロレス、至近距離の真実」1998年、本書2001年、「マッチメーカー」2002年を出版した。他にも著書は多数あるが、プロレスの内幕を書いたということでは、この3冊が重要。
 中身を見る前に、背景を確認しておこう。古参のプロレス者には不要な知識ではあるが、50年前からの四半世紀に及ぶ話が書かれているので。
 1972年にアントニオ猪木新日本プロレスジャイアント馬場全日本プロレスが設立された。猪木の新日本プロレスは「プロレスは最強のスポーツである」と標榜し、世界最強の格闘技であり、格闘家を養成する場所であるとされた。80年代後半になって、猪木の力が衰えたとき、若い世代のレスラーが別の団体をつくり、より「リアル」な格闘競技を見せた。そこに1994年アルティメット・ファイティング・チャンピオンシップ(UFC)という興業が行われる。より一層、リアルで激しい格闘技を見せたのだった。この国のプロレス者に衝撃を与えたのは、若い世代の団体のトップレスラーがブラジル柔術の「アマチュア」選手に2分かからずに負けたこと。
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 このあとUFCに似た興業も盛んに行われて、日本のプロレスラーが出場したがことごとく負けるという事態になった。新日本プロレスのトップレスラーも数名が挑んだが、返り討ちにあった。同じ時期にK-1という立ち技格闘技の興業もあり、豊富な資金で派手な演出と個性ある選手、凄みのある試合の続出で人気を得た。1990年代はプロレスよりもこれらの格闘技の方が人気があり、「世界最強」はこちらで決まるのではないかという幻想があった。
 もうひとつの変化は、ケーブルテレビの普及でアメリカのプロレス中継がみられるようになったこと。こちらも豊富な資金で派手な演出と個性ある選手たち、なによりも大げさでばかばかしいストーリーを選手他が真面目に演じていることを面白がって、新しいファンが生まれたのだった。アメリカのプロレスを比較すると、この国のプロレスはみすぼらしかった。
 このために2000年前後には、新日本プロレスとこの国のプロレス全体の市場規模は縮小し、ファンも減少していたのだった。なので、著者はプロレスを原点に回帰させようと主張する。それにあわせて、プロレスの仕組みを公開することも提案する。実際に、上記の3つの本でこれまで「秘密」とされていたことを書いた。いくつかあって、ひとつは表のルール(両肩を3秒マットにつければフォール勝ち、反側は5秒以内OK、リングのサイズ規定など)のほかに「闇のルール」があるとされる。これは明文化されない。プロレスのトレーニングを受け、インサイダーになることで口頭や暗黙で教えられる。たとえば、レスラーの格は厳守すべし、マッチメーカーには従うべし、反側でなくてもやってはいけないことがある(カツラには触れないとか、パンチができる箇所はかぎられているとか)、故意でも偶然でも相手にけがをさせない。これができないものは制裁を受けたり、廃業させられたりする(ここはハルク・ホーガンの自伝「わが人生の転落」に具体例がでている)。
 もうひとつは試合の結果はあらかじめ決めておいて、事前に選手に伝えられる。それにあわせて、現役時代のアントニオ猪木がやった異種格闘技や選手権試合ではあらかじめ試合の結末と流れは決められて双方了解の上であり、ときにはリハーサルも行われたことも明らかにされた。試合の結末が決められなかったのはvsアリ、vsペールワンの2試合のみとされる(ファンの間ではvsパク・ソンナン戦もそうだとされていたが、著者は否定する)。
 これらのインサイダーの事情はしゃべってはならず、暴露したものは「闇のルール」破り同様に制裁されたり、廃業させられたりする。
 アメリカでWWF(現在はWWE)が1999年上場するにあたり、目論見書を書いた際、これらの事情をすでに公開していた。この本と同時期の2001年に「ビヨンド・ザ・マット」というドキュメンタリー映画もつくられて、そこにはリングではいがみあっている抗争中のトップレスラー同士が当日の試合の前に談笑しながら打ち合わせるシーンも収録されていた。あるいはハルク・ホーガンの自伝にあるように、リングサイドの席にいると、試合中の選手が小声で次の展開を指示しあうのが聞こえてもいた。
Beyond the Mat - Pro Wrestling Documentary
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 後付けになるが、プロレスでは試合の結末が事前に決められているというのは、力道山の時から言われていた(誰が決めるかはインサイダーでないのでわからないが)。1980年代にも暴露本はあったし、なにより1990年代に電子掲示板でファンの書き込みがあるころからそういう話題をする「会議室」はあったのだ。プロレスの闇のルール、レスラーのみ知っているべきことは、もはやなくなっている。(なのでこの本がでたとき、プロレスファンのみならず興味を持たない人にも評判になった。暗黙のルールの存在にショックを受ける人もいたが、自分はさほど驚かない。すでに知っていることをインサイダーが承認したというくらいの感想だった。)
 では、興業のシナリオが存在し、試合の結末が事前に決められているという事情を知ることは、プロレスの楽しみを半減させることになるか。長年プロレスを見てきて、今でも見る立場からすると、まったく関係ない。自分は「最強」等には興味がなく、だれがチャンピオンであろうとそれ自体に価値を見出さない。プロレスに見たいのは選手の技量に個性だから。
 例えば、古いこの試合にはしびれる。
Billy Robinson vs Nick Bockwinkel(1980)
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 たぶん二人のレスラーには「30分時間切れ引き分けで」の指示しかなく、内容の打ち合わせなど十分にできない(別の重要なタッグ戦が進行中のため)。その環境で、この緊張感をつくり、技の出しあいをする。この技術はすばらしい(とくに全盛期のアントニオ猪木と引き分けるほどの技量の持ち主であるロビンソンをコントロールするニック・ボックウィンクルには感動した。現役時代のニックは試合は地味で、選手権試合は反側で防衛するので、ダーティなのにチャンピオンという低いイメージだったのに。反省します)。これは「プロフェッショナル」の仕事で、敬意を表するに値する技。
 もうひとつ。プロレスの試合の結末には関係なく、鉄骨に板を並べた上にうすいマットを敷いたリングで、100㎏を超える巨漢が受け身をとったり、急所にいれないとはいえパンチやキックをガードなしで受けたり、トップロープから2m下に落下したりする。そのうえ過酷な労働環境を余儀なくされ、身体の故障が長く残るリスクを受け入れる(TAJJIRIやハンセン、デストロイヤーなどの自伝を参照)。そのうえでなお、リングに立つ。これらは、まぎれもないリアル。素人にはできないことをやる選手にリスペクト。

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