odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

カート・キャノン「酔いどれ探偵/ぬすまれた拳銃」(ハヤカワポケットミステリ) メインストーリーの間にはさまれるだらしない大人の未練がましさがこの国の大人の琴線に触れるのだろう。

「おれか?おれは、なにもかも、うしなった私立探偵くずれの男だ。うしなうことのできるものは、もう命しか、残っていない。」

という詠嘆で始まるニューヨークの酔いどれのモノローグ。元は探偵。結婚して楽しい暮らしをしていたが、ある時妻が共同経営者と寝ているのを見つけ逆上して二人を殺す。そのあとアルコールにおぼれ、探偵のライセンスも取り上げられ、浮浪者としてニューヨークの裏町バウァリに住んでいる。しかし、町の貧しい住民はトラブル解決をカートに依頼し、しびしぶ腰を上げざるを得ない。
 エド・マクベインが別名義エヴァン・ハンターで書いたライト・ハードボイルド。単行本になったときに作者名と探偵名を同じにした。アメリカでは人気が出なかったと見えるが、この国では都筑道夫による名調子の翻訳で人気が出た。短編8つと長編ひとつ(本書)がすべて。あまりの人気で都筑道夫は贋作6作を書いた。あいにく、この長編は都筑道夫の翻訳ではない(三田村裕)。なので、冒頭のキャッチは本文にはなく、裏表紙のサマリーにのせてある。

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 真夏のバウァリで飲んだくれていると、クリーニング店の店主がレジの金が盗まれている、共同経営者の仕業と思うので、調べてくれないかとカートに頼む。店に行くと、共同経営者の死体がある。しかも被害者の文字で店主のイニシャルが壁に書かれていた。店主の所有する拳銃は紛失し、どうやらそれで撃たれたらしい。店主はそのまま逮捕。カートは調べに入る。共同経営者の若い妻は浮気が疑われ、ある私立探偵が尾行していたが、それを依頼していたのはなんと店主。共同経営者の妻を訪ねると、同じ拳銃で殺されているのが見つかる。死んだ妻の妹は、歌手を目指していて、クリーニング店のアルバイトと一緒にジャズバンドを組んでいた(彼らの練習やライブハウスの演奏の様子がビ・バップの熱気をよく伝えている)。カートは何ものかに襲われて、重傷を負いながらも、即座に病院から逃げ出し、事件の調査を続ける。昔なじみの警官は悪態をつきながらも、カートの調査を支援する。カートに天啓が訪れ、真犯人がわかる。
 メインストーリーの間に、カートの未練や嘆きが適宜挿入される。そのいじましさ、未練がましさがこの国の大人の琴線に触れるのだろう。時代劇の決戦の前ややくざ映画の殴り込みの前に愁嘆場が必須なのと同じことだな。俺だって、読みながら昔のことを思い出してほろりとするところがあったのだ。
 小説作法でいえば、カートのオブセッションを毎回語らせることで、探偵のキャラクターを際立たせ、読者に記憶させる効果がある。訳者の都築センセーのシリーズ探偵には、こういう紹介文章があって、登場するごとに繰り返される。この技法のルーツは案外カート・キャノンにあるのかもしれない。
 このハードボイルドは犯人あてからすると難しくないし、都会の暗部やロウアークラスの鬱屈を描写するものではないし、社会や家族の不正を暴くものではないし、まあ、探偵のキャラクターで読ませる類型的なもの。2時間で読み終わればそのまま忘れてしまって構わない(そのかわり2時間の間、現実の不幸や問題を忘れることができる)。ありきたりの小説なのだが、そういうのをさらっと短時間で書けるというのが、作者のプロの腕だな。1958年の作で、あの時代のモノクロの犯罪映画を思い出すのにちょうどよい。