同タイトルの光文社文庫を読む。併録は「やぶにらみの時計」。エッセイにもあるように20歳から文章を売ってきたので、どれが最初の作品かはわからない。ここに収録されたのは1958年のものだが、すでに売文のキャリアは10年を超えている。20代後半の作者はすでに腕達者な職人(それより前の作品は角川文庫の「ひとり雑誌」4冊で読める。これですべてではないのがとんでもない)。
女を逃がすな 1958.04 ・・・ 新婚6か月目の夫婦の家に侵入者がいた。女もののライターとピン止めが残してある。夫婦仲が険悪になったとき、逃亡中のギャングが妻を人質にした。夫、どうする。チェイスかアイリッシュのようなストレートな犯罪小説。この時代の貸本マンガや無国籍アクション映画にでてくるようなプロット。それよりも昭和30年代前半に畳のないアメリカ風の家に住むというモダンな暮らしが憧れになっただろう。
黒猫に礼をいう 1958.05 ・・・ 北海道に転勤するので洋館の地下室を手入れしている。そこに妻の不倫相手が来たので、煉瓦をセメントで塗り込める作業を手伝わせる。そして実弾の入ったピストルをみせて(ポツダム中尉だからもっていた:若い読者は意味が解る?)、妻を壁に塗り込んだのだという。ポオ「黒猫」とみせかけてプロットが二転三転する。手記に書いたというのも「黒猫」と同じで、このころから探偵小説の記述を実験していたのだなあ。
妻を殺したか 1958.07 ・・・ 妻を殺したゴダードは家政婦のハンナにそれとなく賃上げを要求される。姉に手紙を書いていて、死んだら開封してと頼んだあるのだ。気楽な生活が一変し、ゴダードはハンナの殺人を計画する。嵐の夜にひとりでハンナの帰還を待つゴダードの恐怖。
銃声 1958.09 ・・・ 結婚二年目の家にギャングが押し込む。午後9時に車の迎えが来るのであと14時間。ギャングの親分は同級生。さらに同級の友人を呼び、4人とギャング二人が家に立てこもる。疑い深いギャングは容易に隙を見せない。どうやって警察を呼ぶか。ちびの子分が寝ている妻にのしかかってからの二転三転。章分けが時計の文字盤(「やぶにらみの時計」「暁の死線」)。
人が死ぬのを忘れた日 1958.09 ・・・ 自信がなくて手術が怖い新米医者。街で見かけた不思議な男に立ち会ってほしい。そいつのいるところではどんな事故でも死者がでないからだ。ふしぎ小説の前駆。
月に罪あり 1958.10 ・・・ 50万円を奪って山に逃げたギャングに脅されて医師が逃避行に付き添うことになる。ギャングの親分はおさななじみで、村に嫁いだ女を連れている。豪雨の中の山道で、いさかいが起きる。最後は黒澤明「羅生門」の女の告白のような次第に。
四十二の目 1959.11 ・・・ サントリィ・バーのバーテンがみたなじみ客のダイス勝負。編集していたサントリーのPR誌にのった。のちに「洋酒天国1」新潮文庫に収録(といっても、こっちは絶版か)。解説によると登場する「山ちゃん」は山口瞳編集長だとか。「若さだよ、ヤマちゃん」の広告コピーも同じ由来という。
クレオパトラの眼 1960年末 ・・・ タイトルの名のついた黒真珠は私のものだという老人の「目」の話。ゴーゴリ「鼻」かドストエフスキー「鰐」か。戦前「新青年」の常連が書きそう。城昌幸とか渡辺温とか。
名作集 1「日本探偵小説全集 11」(創元推理文庫)-2
小栗虫太郎「潜航艇「鷹の城」」(現代教養文庫)所収の「一週一夜物語」
最初の長編探偵小説は1960年の「やぶにらみの時計」だが、それ以前から趣向を凝らす作品をたくさん書いていた。ここに収録されたものの多くが、ギャングに押し入られた親と同居していない夫婦というのが愛嬌(そういう作品が新しくて、読者が要求したのだろう)。それでも凡百な復讐譚にしないでツイストを効かせるし、一人称の手記をなぜ書いたかということに仕掛けをほどこすし。ただ、センセーの作品は文章が上品で、暴力とセックスをあまり丹念に描かない。そこがのちのハードボイルド作家(大藪晴彦や河野典生等)と違うところ。この時期には、すでにプロットや構成は完成している。足りないのは描写に加える比喩か。それができて長編を出版できるようになったのだろうと妄想してしまう。
また多くの主人公は20代で独身か新婚。作者も若かった。
以下は都筑道夫の自伝情報を書いたりしゃべったりしたもの。
著者自己紹介/処女作なし/伊藤照夫原作 ・・・ 1929年生まれで、記憶によると1950年から都筑道夫の名前で小説を書き、1953年に化粧会社の宣伝部に入社し、海外小説の翻訳をはじめ、1954年に初めて原稿料をもらい(長編「魔海風雲録」の出版のことか?)、早川書房で「EQMM」の編集長を3年半やり(ポケットミステリーの選考と解説も)、漫画の原作や少年小説を書き、1961年に作家として独立。忙しく慌ただしい20代だったのだね。
失踪!?名探偵を捜索せよ(生島治郎との対談) 年代不明 ・・・ 元EQMM編集長の回顧。都筑道夫の話をピックアップすると、敗戦で中学をやめて、雑誌社をうろちょろする。19歳から講談、小説などを書き始める。松村善雄(大蔵省→外務省とあるけど、フランス文学の翻訳家としてしょっちゅう見た人かしら;追記。でした。自分は旺文社文庫のガボリオ「ルコック探偵」を読んでいる)のすすめで翻訳をするようになった。編集長になったのは田村隆一や初代編集長の田中潤司などと面識があって、早川書房に出入りしていたのを社長に呼び止められたことかららしい。生島を部下に3年半務めてから退社する。
<参考エントリー> 田村隆一と早川書房との関係はこちらで。
田村隆一「詩集」(現代詩文庫)
以下は都筑道夫の語りをメモ。
・日本の作家は海外小説を読んでいない。最低100冊、できれば500冊読んで、海外ものの技巧や構成などを勉強しなさい(1960年代のころ)。技巧はパテントではないので、援用するべき。
・探偵小説はできるだけ感情をおさえて論理だけで事件を解くという手法。
・日本の作家はリアリティをだす実力が不足。アクチュアリティに頼ってリアリティに力を注がない(センセーが小道具や比喩に凝るのはそのため)。日本の探偵小説は人間心理を無視した子供の小説。
・最近(1960年代後半以降?)のロス・マクドナルドはなぜ事件を解決するのか(わからない)。解決するために無理をしている。「ギャルトン事件(1960年)」以後変わったと思ったが、その間精神治療を受けていた(のを知って腑に落ちた)。
・作家やイラストレーターを育てるのは得意(真鍋博や山藤章二は都筑道夫と組んでから独り立ちした)。いろいろ高いレベルの注文をするから。資料を提供したし、ときに下絵を描いた。新進作家には、具体的な指摘をすることもあった。
・好きな作家はウールリッチ、ハメット、チャンドラー、エドモンド・クリスピン、ジョイス・ポーター、ロイ・ヴィカーズ。
優れた自作解説で、推理小説評論。