odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

国枝史郎「神州纐纈城」(講談社文庫)-1 永禄元年(1558年)、恐怖の源泉・纐纈城と富士教団神秘境を半人前の青年がうろつき、追いかける人が騒動を起こす。

 「纐纈(こうけつ)」は耳慣れない言葉であるが、由来は「慈覚大師纐纈城に入り給ふ事(「 宇治拾遺物語」巻第十三)」にある。作品中に全文引用されているが、読みにくいかもしれないので、リンク先の現代語訳を読んでおこう。聞くだに恐ろしい話。近世より前は人の命は安かったのであるが、それにしても。

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 ころは永禄元年(1558年)。信玄と謙信が国境で争い、信長が尾張の小大名であったころ、富士山のふもとには奇怪な出来事が起きていた。すなわち深紅の布を着飾った武士どもが夜な夜な村を襲い、男女を問わず拉致誘拐していたのであった。一方、富士教団神秘境には信心篤い男女が集まり、敬虔で友愛に満ちた共同生活を送っているのであった。
 さて、甲府在住の信玄家臣・土屋庄三郎はある夜老人から紅巾を買い取ったところから運命が変わる。評議中に突如宙を漂いだした紅巾を追ううちに、富士の裾野に分け入り行方不明になってしまうのである(主人公と目された人物が早々に姿を消すのは、作者の小説で繰り返される)。信玄の命を受けて、庄三郎を追うことになったのは14歳のサディストにして大泥棒の高坂甚太郎。鳥刺しに化けて庄三郎を追ううち、本栖湖の水城(みずま)に潜入することになる。そここそ恐怖の源泉・纐纈城。城主は悪病のために全身を包帯や仮面などで隠し、汚臭を放ちながら、嫉妬と憎悪に怒り狂っている。なんとなれば、今をさかのぼること16年前、弟が美しい乙女を恋仲になっているのを知り、力をもって横取りしたのである。苦痛に生きる弟と乙女であるが、それゆえに兄は二人の仲を疑わざるを得ない。ついに男の子が生まれるにいたり、弟の不義の子であると思い込んで、弟に決闘を申し込むに至る。しかし弟は争いを避けて出奔、妻は死に、男の子は別に預けられて育つのであった。出奔した弟は苦悩の末に役行者の秘法を習得し、富士教団を設立する。二人の対決は肉体の争いから思想の対決になり、兄はますます殺戮と虐待を広げ、弟は人の苦を取り除くことに専念する。兄の苦痛は激しく、弟は自らの力不足を嘆く。すなわち、彼ら兄弟は制限ある肉体を嫌悪し、縛り付けられることから解脱することを望むのである。これこそが作者国枝史郎の小説のテーマに他ならない。
 これまで「蔦葛木曽桟」「八ケ岳の魔人」と、巨大な伝奇小説を書き、着地点を見失うどころか、迷走に次ぐ迷走を重ねてきたのものであるが、ここに至ってようやく本筋から離れることなく、書かれた半分まではつじつまのあう、風呂敷を広げすぎない物語を語ることに成功している。それは霊峰富士の裾野という場所がどっしりと構えているからであって、本栖湖青木ヶ原などの神秘の場所が登場人物たちをとらえて離さないからにほかならない。
 ここで注目は「纐纈城」というシステムだ。城主の悪の意をくんだものらが集まり、謎の紅巾を売ることによって莫大な利益を上げるという近代の資本主義工場のようなビジネスがある。城主と側近と親衛隊のほかに、たくさんの労働者がいる。かれらは近隣の村から拉致誘拐されてきたもの。奇妙なのはその奴隷労働に携わることが幸福であると思っていること。すなわち、常に千人がいるが、毎月50人がくじで選ばれて殺されるが、それ以外は衣食住に満ちているからである。この「マッドマックス」とも「北斗の拳」ともいえそうな場所は、工場ユートピアでありディストピア。近代の工場制労働による搾取を合理的であると思い込むような倒錯が実現しているのだ。
(ここのすさまじいまでの肉体棄損は、登場人物の語りによって伝えられ、現場を実況することはない。そのためにある程度抑制されている。なので、被虐嗜虐をそのまま絵に起こすことは原著者の本意ではないと思うのだ。)
 それに対抗するのが富士教団の農本制ユートピア。前作「蔦葛木曽桟」で垣間見えた共同体が詳しい実態を持って描かれている。これは当時の右翼の農村結社の反映であるのかもしれない(まあ、二宮尊徳の報徳社なり、清水の次郎長の開拓団なりと江戸末期からそのようなユートピア運動はあったのでそちらの影響かも)。作者の筆はこちらの農本制ユートピアに共感しているようであるが、大正の世に地方の小資本が盛んに投資して既存産業をつぶしてのし上がっていったのをみると(21世紀に伝統産業といわれるものは、この時代の新規事業がいまだに設備を変えずに生き延びているものなのだ)、安穏・盤石と思うわけにいかなかっただろう。

 このような思想とビジネスの対立に加え、人を切らずにはいられない陶物師(すえものし)、生まれながらの犯罪者である鳥刺し、人間の五臓六腑から不死薬を作るマッドサイエンティスト集団、決して緩解しない病質に取りつかれた集団(差別的描写なのであまり深入りしません)など深い業をもつ人物も興味深い。纐纈城城主や富士教団の指導者(光明優婆塞:うばそく)と同じように現実からの解脱を願う/必要な人々は救済を得られるのか。彼らには必ず女がついていて、彼女らの存在はこれら業の深い人々の対立概念の具現者であるが、女たちの解脱はいかように達成されるのか(あるいは男の解脱のために利用されるだけであるのか)。興味は尽きない。
 今ある小説の半分(第11回まで)を読んだので、続いて後半に行こう。

 

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2022/02/22 国枝史郎「神州纐纈城」(講談社文庫)-2 1925年に続く