odd_hatchの読書ノート

エントリーは3200を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2024/11/5

国枝史郎「蔦葛木曽桟 下」(講談社文庫) この世の悪を懲らしめ世界をまき直す知恵と力を求める旅はエスカレーションし、いつまでも上のレベルが現れ続け、家に帰りつけなくなる。

2022/2/28 国枝史郎「蔦葛木曽桟 上」(講談社文庫) 1922年の続き

 

 さて下巻。

父の仇木曽義明の寵姫になりすまし、義明を翻弄する美女鳰鳥(におどり)だが、俗界に失望して城外へ脱出する。そして彼女は人外の世界に迷いこみ、不思議な体験をする。一方、御獄冠者のもとには怪盗石川五右衛門、忍術の百地三太夫霧隠才蔵、幻術師のオースチンなどが集結し、敵や盗賊相手に忍術妖術を開陳……。木曽、加賀の深山幽谷を舞台にし、千変万化の物語を豊かな空想力で構築した、鬼才の名作長編。
https://www.amazon.co.jp/dp/4062620685

f:id:odd_hatch:20220225090129p:plain

 続く300ページは3つのパート。ひとつは御嶽冠者再登場。囚われとなったオースチン師と数馬が山塞から脱出するも多勢に無勢。混乱のさなか、塞からの山道で冠者登場。控えるは、裸者武部衛に石川五右衛門らの異能の人物。ここに冠者のもとに英雄たちがそろった。続いて、前のパートで殺された悪党を引き継ぐ天地人の三人左善の確執。ここには貴種流離の若者が人足や飯場の女らの政治革命を画策する。彼のスローガンは「自由、平等、人類愛(!)」。そうはさせまいと粘る封建領主・左善と彼らの戦い。そして久方ぶり登場の鳰鳥(におどり)。ここで上のサマリーにあるように人外の世界で、父と娘の確執を取り繕う。それはすなわち、途中で習得した妖術の修業となるのであった。鳰鳥(におどり)が娘の代わりになるところを決意したところで作者は疲労困憊し、5年の連載を中断する決意をする。
 なるほど、作者は強い封建領主の堕落を見る。それを諫め改革しようとするのはその家来の中から生まれる。あいにく主従関係は強く、重臣であっても放擲され、彼は路上をさまよい、より身分の低いものに異能と知恵の持ち主を見つける。異能と知恵の人物は修業や冒険のさなかに、山中や野で育った自然児たちに圧倒される。自然児に連れられて山奥の庵や隠れ家に行くと、そこには古代や異世界の知恵や技が残っている。そこに自然の精霊や悪霊たちが現れ、妖術でもって彼らを幻惑し、・・・。という具合に、この世の悪を懲らしめ世界をまき直す知恵と力を求める旅はエスカレーションし、いつまでも上のレベルが現れ続ける。その階梯を描くことに熱中するうちに、最初の封建領主の悪はどこかに消えてしまい、旅に出たものはいつまでも家に帰り着くことができない。作者がこの作で意図したところは解脱、それもキリスト教的解脱だというが、どうやら韜晦なのであって、彼のやりたいことは終わらない旅、帰るところのない修業を続けることに他ならないとみた。
 結局、作者は続きを書くことはできず(講談社文庫上下二巻まで書いて構想の三分の一だそうだ、完成したら一体どのくらいの分量になるのか)、1930年に単行本になったときに、蛇足としかいいようのない結末をつけた。最初のテーマであった鳰鳥(におどり)の復讐は肩透かしとなり、御岳冠者も振り上げたこぶしの降ろし先を失ってしまった。集った英雄たちも気まずそうに顔を見あいながらたたずむ次第となる。
 というのも、作者が風呂敷を広げすぎたからであり、いったい作者には広げた風呂敷を折りたたむ技に乏しい。それにでてくる冒険もキャラクターを変えた繰り返しとなり、雪中の剣戟や山塞の襲撃や脱出、妖術使いの幻戯、父の乱脈をいさめる娘の涙、あばら屋に住む妖術の継承者などを何度見たことだろう。新たなシーンを生むことができない筆はおのずと勢いを失っていく。大衆小説は、純文学が懐疑してついに答えを出しえない「人生いかに生くべきか」に保守的封建的とはいえ答えを提示するものであるが、国枝の伝奇小説では答えの出しようがない。生受けたときからおのずと正邪は決まっているように思え、一方改心のすえに正に導かれる道もあるようであるが優れたメンターとの邂逅なければその道は見えない。筋を見失うように、生きる道も見失ってしまいそうだ。それは読者の人生のあり様を象徴しているかのようであり、人生が未完であるように、国枝の小説が未完であって悪いわけではない。 

 以下は気づいたことのメモ。
百地三太夫平安時代の英雄が残した「姿隠しの袋笠」と「烏音聞こえの木笛」を護っているという。これって、「ニーベルンゲンの歌」にでてくる小道具。
・ゲルマン伝説の響きは続く麗人族、奴婢族、獣人らの世界描写にも届いている。このエピソードの筋も「ニーベルンゲンの指輪(@ワーグナー)」のようだ。そこで、読書中、フリッツ・ラングの同名映画を思い出していた。ことに後編のクライマックス。矮人の踊りと奇襲のところ。
・上のまとめにあるように、労働運動を模したシーンもあり。右京二郎なり荒玉梟帥(たける)というリーダーはなりこそ古代日本の英雄であるが、いっていることはマルクスの労働価値説に、社会主義運動のアジだ。
羽志主水「監獄部屋」1925.03では成功しなかった重労働・奴隷労働からの解放がここでは実現している。途中フランス革命のスローガンもでてきたり。蜂起に成功した虐げられた人々は権力の奪取に向かわず、自主運営の共同体設立を目指す。権力からの自由を求めるユートピア運動だ。では作者はリベラルか左翼かというとそうではないと思う。あくまで意匠として持ち込んだもの。

 

国枝史郎「ベストセレクション」→ https://amzn.to/3w3EdQY
国枝史郎「レモンの花の咲く丘へ」→ https://amzn.to/448bTtl https://amzn.to/3xFQiMR
国枝史郎「蔦葛木曽桟」→ https://amzn.to/442jGsG https://amzn.to/3U11hYQ https://amzn.to/3Jq1JuO https://amzn.to/440RR45
国枝史郎「沙漠の古都」→ https://amzn.to/3JInG8B
国枝史郎神州纐纈城」→ https://amzn.to/3JkbXga https://amzn.to/4cYhdnd
国枝史郎「八ヶ嶽の魔神」→ https://amzn.to/3JInG8B https://amzn.to/4456ZNR
国枝史郎「神秘昆虫館」→ https://amzn.to/446nM2Q

 

 なるほどそうかそうだったのか。ぜったいに完結しない国枝史郎の伝奇小説を終わらせるには、小説を圧縮し断片にして、描かれない全体は読者に想像させることであるか。その成果が筒井康隆「驚愕の曠野」(河出書房新社)というわけだ。アクションシーンは国枝が書いているので、筒井は国枝が書かなかったダレ場を書いたのだ。