odd_hatchの読書ノート

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夏目漱石「倫敦塔・幻影の盾」(新潮文庫) 何を書くかよりもどう書くかの実験を行っている時代の習作

 夏目漱石は1867年2月9日〈慶応3年1月5日〉 生まれで、 1916年〈大正5年〉12月9日没。享年49歳。あらためて生没年を見ると、とても若くして亡くなった。作家活動は10年ちょっと。その前には英文学を研究。病弱でしょっちゅう病気をしていた。このあたりの事情は詳しく調べられているので、素人が何ごとかを書くこともない。
 これから夏目漱石の創作を読んでいく。高校時代に新潮文庫のほぼすべてを読んだが、記憶にのこらず、国民作家であることが理解できなかった。それから40年を経ての再読。

 

 まずは1901年に正岡子規の雑誌「ホトトギス」に連載したエッセー。青空文庫に収録。
倫敦消息 ・・・ ロンドン留学中のできごとを気軽に書く。下宿の様子、地下鉄の乗り方。下宿の移動、家主のスケッチなど。異国の風俗を紹介する。素人が気軽に写真や動画を撮影できる時代ではないので、このように文章で残すしかない。漱石は神経質で厭人癖をもっていて気難しい。言語が通じないのはストレスで、引きこもりたいが英国人の会話好きは漱石にそれを許さない。辛い生活。すでに言文一致体は知識人・文化人にはあたりまえに使えるものになっていて、よどみなくすらすらと書けるようになっている。語彙を除けばほぼ現代の文と同じ。同時代の黒岩涙香や宮武骸骨らが候文に近い文体を使っていたのに比べると、漱石はモダン。また当時のロンドンは世界に植民地を持つ帝国主義国家。市内に異国出の別民族が住まうことはあたりまえのことであった(だから漱石は素人下宿に泊まれる)。一方で、白人による異人種差別は起きていて、漱石ヘイトスピーチを投げかけられたことがある。このあたりの事情はアレント全体主義の起源」などで補完しておこう。

 

 続いて1905年に書かれた、漱石38歳のデビュー時期の作。以下は新潮文庫

倫敦塔 ・・・ 留学最初の年に倫敦塔に上る。回廊を回るにつれて、過去の陰惨・悲惨な歴史が思い出され、いくつもの幻影をみる。
(日本最初期の西洋怪談。幻想風景のあとに、霧を晴らすかのような第三者の醒めたコメントを加える構成がよい。後書きで種明かしをしているように、紗翁から始まるイギリスの怪奇物やゴシックロマンスの小説をいろいろ引用している。塔に入る前にはダンテの「神曲」にある地獄門の文句を探すこともやっている。漱石は留学前から英国文学に通暁していて、塔を観る前からすでに詳しく知っていた。そこで塔の内部を見るとき、そのもの自体を観察するより、本に書かれたテキストを思い出す。これは知的スノッブな観光。いまなら動画を撮影して、ナレーションをいれるところを、当時はすべて文章にしなければならない。遠隔の地のドキュメントなので、人は観光案内として読んだのだろうな。以後、日本の知識人が異国を訪れて訪問記を書くときの方法になった。覆したのは、小田実「何でもみてやろう」あたりから。)
漱石は、倫敦塔の虜囚が壁に苦渋の言葉を書き連ねたのをみて、個々人の生命に注目する。そこにはサルトル「壁」フチーク「絞首台からのレポート」ソルジェニツィン「イワン・デニーソヴィチの一日」のような、デュマ「モンテ・クリスト伯」「仮面の男」のような限界状況があった。倫敦塔を政治犯他の監獄・収容所にするのをやめ、人権に配慮するようになった英国の近世と近代の民主主義や自由主義に、漱石は思いをはせない。)

幻影の盾 ・・・ 中世騎士道のころ(放浪楽士トルヴェールのいる時代)。騎士ウィリアムは北方の巨人を退治した時、呪いをかけられた「幻影の盾」を譲り受ける。ウィリアムは白城主ルーファスに仕えていたが、夜鴉の城を攻めると聞いて困惑する。夜鴉の城にはウィリアムが姫と敬慕するクララがいるからだ。彼女の髪を眺めているとき、盟友シワルドが来て、クララのみ逃がす算段をつけようという。船を用意する。普段は白い旗、クララが乗れば赤の旗。攻め入るとき見誤るなと念を押される。ついに攻城の日。船に掲げられる旗は白い・・・。
(中世の騎士道ロマンスが、主人公ウィリアムの内面を書くにつれて、ワーグナー「トリスタンとイゾルデ」のような近代劇になり、不思議な乙女が登場してからはダイセイニ風の妖精譚に。いろいろな趣向がまざったゴシックロマンス。なるほど、漱石がいうには日本を舞台にはできないというが、この十年後には岡本綺堂が西洋風の日本怪談を書き、1930年代には国枝史郎が伝奇小説に書き継いだ。漢語を多用し、漢文書き下し文を模したところもあるとても硬い言文一致体。この文体は人口に膾炙することはなかったが、怪談や伝奇小説に残った。上記の二人がそうだし、なにより石川淳狂風記」「天門」などを思い出した。ゴシックロマンスの翻訳でもこの文体があった。ジェラール・ド・ネルヴァル「暁の女王と精霊の王の物語」(角川文庫)

カーライル博物館 ・・・ トマス・カーライル(1795~1881)は19世紀イギリスの評論家・歴史家。名声があったとみえ、明治から敗戦までの日本人の文章によく登場する。没後20年くらいたったころ、漱石はカーライルの家を訪問する。そのころは博物館(musiumかな。この言葉を博物館と訳したのはだれだろう。荒俣宏の本のどれかで読んだ記憶があるのだが)。漱石はすでにカーライルの著述を読んでいたので、主人のいない部屋を見て往時を偲ぶことができる。あいにく敬慕や哀惜には程遠くカーライルの神経質さや妻の尻に敷かれていることなどを思い起こす。読者はクスっと笑う。
(ここでも自分の観察よりテキストが先行する。「私」が記述するドキュメンタリーなのだが、「私」の愛想のなさと妙なところに気が付く観察眼のために、自意識にあてられてうっとうしくなることがない。これが二回り年下の啄木だと、「私」の自意識はとても大きくて強いものになる。ことに短歌で。)
2016/10/28 石川啄木「一握の砂・悲しき玩具」(青空文庫) 1910年

琴のそら音 ・・・ 文学士で心理学を学ぶ津田と幽霊話(日露戦争に従軍した男の鏡に妻が現れ今生の別れのあいさつで云々)、雨降りの夜道を幼児の葬儀が行われ、帰れば賄いの婆さんが虫が知らせるといい、深夜に警官が何か出て行ったのを見たと注進にきた。どうも気が晴れないと、許嫁のところにいったら、笑われた。
(筋のない話がどうにか最後の数行で物語になる。ここら辺が私小説の始まりになるのだろう。「余」の近代的な意識はそれまで感じたことのない自分の死を恐れる。)

一夜 ・・・ 夏の雨降る夜、ひげの男と白面の男と涼しげな眼の女が、うだうだと語らう。夜が更けたので、三人一度に寝ることにする。「彼らの一夜を描いたのは彼らの生涯を描いたのである」。都筑道夫の言うショートショートの定義そのまま。最後に作者が顔をだして、メタフィクション風の味わいになった。
(英国小説のような男女対等の恋愛を描こうとしても、明治30年代の日本にはふさわしい舞台もキャラクターもいない。漱石はそこで中国の水墨画にでてくるような仙人じみたキャラを漢文の書き下しと言文一致体を交えた文章で書いた。ここから「草枕」までは遠くない。恋愛や芸術を日本で語るには、生活を捨象して、職業についていない人々=高等遊民を想像するしか方法がなかったのだろう。)

薤露行 ・・・ 中世にマロリーが書いた「アーサー王の死」に触発されて、ひとつの幻想をまとめる。ということだが、テニスン詩「ランスロットとエレーン」を「薤露行」に小説化したのだという。マロリー作の一部は読んだ。「薤露行」の背景にあるランスロットとエレーンの話は、下記の「1」の感想にサマリーがある。
2013/12/11 ヨーロッパ中世文学「アーサー王の死」(ちくま文庫)-1
2013/12/12 ヨーロッパ中世文学「アーサー王の死」(ちくま文庫)-2
 アーサー王の妃ギニヴィアに恋慕するランスロットは、馬上槍試合をほったらかしにする。ギニヴィアの言を受けて遅れて参加することにしたが、自分の名と顔を出したくない。途中で立ち寄った郷士に盾をかり、娘エレーンに袖を譲られる。見事優勝を果たしたものの、ランスロット素行不良は騎士にあまねく伝わり弾劾され、エレーンは戻ってこぬことを確信して逍遥と死を受け入れる。
(19世紀は神話や伝説の読み直しがあった時代であり(ワーグナーなど)、本作でも近代化が試みられている。粗暴で単純な騎士ランスロットは憂いの騎士となり、エレーンは世間を顧みないで恋に恋する乙女となる。もちろん、近代的な心理分析などなく、俳優が役を演ずるような紋切り型の形式で物事は語られるのではあるが。漱石の意図は、西洋奇譚をいかに日本語にするかにあり、漢語を多用した美文調とすることであった。この短編の主題をめぐって江藤淳大岡昇平で論争があったというが、江藤のいう「罪と死と破局の物語」というのは西洋の方法の換骨奪胎であって、漱石の主題ではないと思うよ。漱石はあくまで西洋の形式を借りただけ。)

趣味の遺伝 ・・・ 日露戦争が終わり、将軍の凱旋を待つうちに、幼馴染の浩さんを思い出す。彼は1904年12月26日の突撃で戦死したのだった。菩提寺の寺に行くと、先に墓参りをしている娘がいる。浩さんにそういう女性がいたのかと興味を持つ。日記を入手しても特に手掛かりはない。そこで「余」はハタと気づく。これは通常の探偵小説ではらちがあかない。浩の係累で似たような話を聞こう。その「趣味の遺伝」が該当者を見つけるのだ。そこで浩の一族の知恵達者に会おうとする・・・。
(形式的には探偵小説であるが、微妙にずれる。探偵の「余」ははやばやと物理的証拠探しをあきらめ、被害者と犯人の心理に着目する。それも通常科学外の方法で。当時は科学の範疇だったのかもしれないが。「趣味の遺伝」はすなわち夢野久作の「心理遺伝」そのものであって、これは短縮版の「ドグラ・マグラ」に他ならない。メンデルの法則の再発見は1900年であるが、遺伝現象はすでに知られていて、各種の通俗解説書がでていたとみえる。ダーウィン、スペンサーのほかにヘッケルの名がでてきてびっくり!)
(墓地で美しい女に会うというのに、コリンズ「白衣の女」ウィルキンソン「灰色の女」の冒頭を思い出した。漱石はこれらを読んでいたのだろうか。)

 

 ひょんなことから小説を書くことになった漱石、「吾輩は猫である」の連載中の1905年に、ここに収めた7編を書いた。まことに習作というべきで、何を書くかよりもどう書くかの実験を行う。言文一致体もあれば擬古文もあり、美文調もあれば通俗文もある。どの文体もこなせるようになり、擬古文は読み手がいないと見たのかそれは捨てることにして、ほかの文体を使うようになる。でも美文調は「草枕」一作くらいで終わりにして、ほかの作家もつかっている言文一致体に落ち着いていった。
 では何を書くかであるが、漱石には英文学と漢籍の素養がある。記憶に残る素材(倫敦塔の歴史、アーサー王伝説、中世騎士物語など)を縦横に駆使して、コラージュのように、パッチワークのように組み合わせていく。時に勉強中のことや関心事項(遺伝、進化論、幽霊など)を持ち込むと、物語は停滞しても、読者への情報提供というサービスができる。そういう心持で書かれたのではないか。漱石の素養と知識はまことに充実したもので、素人の書き手のような破綻を見せない(ほぼ同時期に書かれた石川啄木20代前半の小説の稚拙さと比べてみよう)。
石川啄木「雲は天才である」(角川文庫) 1906年
 まことに小説好きが小説を引用して書いた小説だ。

 

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