odd_hatchの読書ノート

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トーマス・マン「ブッデンブローク家の人々」(筑摩書房)第7部第8部第9部 普仏戦争勝利、でもブッデンブローク商会は経済成長に乗り遅れる

2023/05/23 トーマス・マン「ブッデンブローク家の人々」(筑摩書房)第5部第6部 三代目トーマスはシトワヤンに加わって「ひとかどの男」になりたい 1901年の続き

 

 物語の折り返し点。第三世代のブッデンブローク家の人々は30代になった。時代は1860年代。このとき、ドイツの上流階級やブルジョアの家庭では家を継いだものを除くと、ほかの人たちは家をでていってしまう。ときどきは連絡を取ったり冠婚葬祭などがあると帰省することがあるが、通常は別に暮らしている。なので、家を継いだトーマスでも、大きな屋敷(雇用人を含めても広すぎると思っている)にはそれほど多くの人はいない。トーマス他には女中や使用人などは存在しないも同然だろうが。



第7部 ・・・ 1861年にトーマスの息子ハノー(ヨハン)が生まれる。誕生後に高熱を発したりと発育不良であり、長じても歩くのが遅れるなど発達障害の兆候がある。1863年リューベックの長老会に欠員が出て、トーマスが推薦される。選挙の結果、ライバルとの激しい接戦でトーマスが選出される(本書やwikiを見てもよくわからないが、長老会の会員になると市議会議員になるようだ)。町の人も歓迎し、トーマスは名実ともにリューベックの名士になる。小高い丘の立派な屋敷が売りにだされたので、トーマスは購入することにした。半年ほどかけて改装し、トーマス一家は引っ越しを行う。これがブッデンブローク家の絶頂であろう。しかし、トーニは「ブッデンブローク家は最後の土壇場に来ているわけじゃない」とつぶやくし、トーマスは下降と終末の予感がして憂鬱である。トルコのことわざに「家ができると死神が来る」というのがあるとトーマスはつぶやくくらい。実際に、ブッデンブロークの家に不吉な連絡が次ぐ次と届く。「もうやっていけなくなった」クリスチャンはロンドンに職を得るが、関節リューマチハンブルグで寝たきりになる。末女クララは結核に罹患し、あっという間に亡くなった。母がクララの夫に遺産相続しようと言い出すのに、トーマスが強く反対するのは、トーニやクリスチャンの後始末、家の新築などで金を使ってばかりであり、事業も思わしくないからだった。おりしも1866年の普墺戦争プロイセンの勝利で終わったものの、オーストリアの勢力下にあったフランクフルトに投資していたので大損をだしてしまった。
普墺戦争

ja.wikipedia.org


 まるでワーグナートリスタンとイゾルデ」第2幕のように、幸福の最絶頂において悲劇や崩壊が起こったかのよう。

 

第8部 ・・・ 1868年にトーマスは42歳になり、自分が疲れ切った男であり、自信喪失や不安や抑うつを抱えていて、祖父や父と比べて動きが鈍く決断が遅くなったことを知る。リューベックの町ではブッデンブローク家は落ち目であり、評価も下がっていた。商会創立100周年の記念祝賀会をすることになっていたが、トーマスは気乗りがしない。実際、式典にはあまり人が来ず、憂鬱なトーマス二は人は寄ってこない。そのうえ祝賀会中に届いた電報を見て、トーマスはショックのあまり失神してしまう。商売がうまくいかないことに加え、一人息子ハンノともうまくいかない。生まれたときから病弱なハンノは勉強ができず、商会をしょって立つような器ではない。でもハンノは音楽に興味を示し、幼少時からピアノをひけるようになり、作曲も始めていた。最初の友人は没落貴族の家の自然児カイだが、彼は物語をどんどん作っていく才能を示していた。そのこともトーマスの不満であり、一方ハンノは父の横暴と無関心に怒りをためている。自己評価が低いハンノはブッデンブローク家の家系図に自分の名前を見つけ、その先を書けないようにした。「自分の代で終わるのだと思った」。
 トーニの娘エリカは1867年にワインショップという40代の男と結婚し、娘エリーザベトを設けた。ワインショップをトーマスの商会の支配人にしたが、トーマスのお眼鏡違いか、詐欺事件の被告として告訴される。保釈金25000マルクをトーニの願いで用立てたが、裁判結果は有罪であった。トーニは自分の不幸な生涯を嘆いている。
 この章では1868年の商会創立記念祝賀会と1869年のクリスマスが描かれる。第1章の1838年ころのパーティに比べると、なんと寂しくなったことか。家族の人数が減り(第3世代は子だくさんではない)、取引先や市議会、長老会などの関係者や知り合いが来なくなった。子供たちがすくなく、年寄りばかりになり、トーマスを除くと、定職についているものがいなくなった。1860年代のドイツは決して経済が縮小しているわけではなく、工業の飛躍的な発展があったのだ。しかしブッデンブローク家は取り残される。決して怠けていたわけではなく、堅実な取引に固執していたのに、衰亡していく。それを押しとどめる力や兄弟親族を結集するシンボルがない(トーニは化けなかった)。

第9部 ・・・ 1871年に二代目ヨハンの妻エリーザベトが肺炎のため高齢で死去した。遺産と形見分けでトーマスとクリスチャンの間でいさかいが起こる。クリスチャンは婚前児をもっていて金がないのに結婚しようとしていた。トーマスは激怒してクリスチャンを攻撃した。冷たい雨のなか葬儀が行われ、古い家を売却することにした。その家は安く買いたたかれ、トーニの幼年時代のライバルの家(最近のしてきた)に購入される。トーニの自尊心は傷つき、恥辱だと感じる(第1部で新築された屋敷に多くの人が集まったパーティが開かれたことを思いだそう。家がなくなることはこの記憶も失なうことなのだ)。人の集まりの少なくなったクリスマスを祝い、翌年になると、家の改築が始まった。トーニはブッデンブローク家の終末を感じて、子供のように泣く。
 この部で1870年の普仏戦争が起こる。プロイセンの勝利であるが、トーマスはこの機に乗じる意欲を持たない。ライバル店の成功を眺めることになる。
普仏戦争

ja.wikipedia.org

 この章で第三世代は40代になるが、老いや活動量の低下を自覚している。トーマスは憂鬱に沈むことが増え、クリスチャンはいくつもの疾患を抱えるようになり、トーニは40歳ですでに娘と孫をもっている(20歳前に子を産み、娘も20歳前で出産するから)。21世紀に読むと、人生の進み方が早い。老成に至る感情の動きも早い。現在の読者の平均寿命は男女とも80歳を超えるくらいになったが、当時はせいぜい50代だろう。40歳になって孫を持てば、すでに人生の大きなヤマを越えているのだった。初代ヨハンが70歳を超えて存命だったのはきわめて珍しい。
 小銭をもっていれば、隠居して俗世や家族から距離を置く生き方になるのは不思議ではない(日本の江戸時代でも、成功した商家の旦那は40歳で隠居して、俳諧なり長唄なり戯作なり・・・の趣味にいそしんでいたものだ)。本書でもゴットホルトやユストウスなどの第2世代が隠居を選んだ。ただプロテスタンティズムの倫理では勤勉に働くことは宗教的な要請であるのだが、それをこの一族の第三世代は実践しなくなった。富がすでにありあまるようになると事業意欲は薄れるのか、宗教的情熱が薄れるのか。


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2023/05/20 トーマス・マン「ブッデンブローク家の人々」(筑摩書房)第10部第11部 没落の予兆、そして誰もいなくなった 1901年に続く