odd_hatchの読書ノート

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トーマス・マン「短編集」(岩波文庫)-2「ルイスフェン」「トリスタン」「墓地へゆく道」「神の剣」 20代後半の短編

 トーマス・マン(1875-1955)はフーゴ・フォン・ホーフマンスタール(1874年2月1日 - 1929年7月15日)と同時代人。マンが持っている保守性はホーフマンスタールによく似ているなあと読んでいたが、二人の生きた時代が重なっているところに理由がありそう。ふたりとも富裕層の出。
2016/11/3 フーゴ・フォン・ホーフマンスタール「選集3 論文・エッセイ」(河出書房新社)-1
2016/11/4 フーゴ・フォン・ホーフマンスタール「選集3 論文・エッセイ」(河出書房新社)-2
 富裕層が芸術に金を惜しまずに使ったので、芸術家が存分に創作に励むことができ、メディアが報道して鑑賞者や消費者(@アドルノ)が増えた。芸術が広く行き渡るのは資本主義の隆盛と大衆社会化が不可欠であるのだが、マンやホーフマンスタール(遅れてきたロマンティストのアドルノも入る)の周りがスノッブばかりになると、彼らは現在の芸術の在り方を嫌悪するようになる。過去への憧れと未来の破滅が彼らのオブセッションになる。

 

ルイスフェン 1900 ・・・ まじめと几帳面だけがとりえな弁護士は若いボヘミアン風の妻を熱烈に愛している。しかし妻は若い音楽家と不倫している。退屈な妻はパーティで、夫を女装させ音楽家が作ったタイトルの戯れ歌を歌わせることを思いついた。やらされるはめになった弁護士は下手な歌を歌うが、ある転調で不意に止め顔をどす黒くする。そのあと・・・。乱歩かルヴェル風の犯罪小説にも読める小品。こういうのがモッブの残酷さ。パロディと嘲笑の音楽を書くロイトネル(音楽家)はアドリアン・レーヴェルキューン@「ファウスト博士」が若いころの姿。
(1900年のミュンヘンではブラックフェイスとケーキウォークが行われていたのか。どちらも、21世紀には黒人差別で禁止されている。)

墓地へゆく道 1900 ・・・ 墓地へゆく道を、妻と子供と職を失った「ほんとうにみじめな失われた人間」であるピイプザアムが歩く。その道を行く若い自転車乗りに「その道を通るな、告訴する」とわめき始め、ついには倒れ人事不省に至る。そこに衛生隊の馬車が来て、ピイプザアムを運び去った。説明がないので意味を読み取れない「ふしぎ小説」。(ドスト氏の「分身(二重人格)」のラストシーンを第三者視点で書いたよう。ピイプザイムは「罪と罰」のマルメラードフかしら。)

神の剣 1902  ・・・ ヒエロニムスという青年はミュンヘンの美術商のウィンドウに飾っている聖母像を嫌悪する。淫婦のような妖艶さとエロティックなポーズ。店に入って撤去を要求するが、叩き出される。タイトルは「神の剣、地の上に夙(と)く早くくだり来よ」とつぶやく青年の負け惜しみから。この時代は、青年は禁欲を余儀なくされていて、宗教的情熱で抑える必要があった。
次のセリフは「ドイツ精神」からみる芸術の端的な説明。

「芸術とは、人生のあらゆるおそろしい深みへも、恥と悲しみとにみちたあらゆる淵の中へも、慈悲深く光を射し入れる神聖な炬火(たいまつ)です。芸術とは、この世に点ぜられた神々しい火です」

トリスタン 1903 ・・・ 療養院マインフリイトに若い夫人が入院した。子供を産んだ後予後が悪く、気管支に問題があるのである。療養院には変わり者の文士シュピネル氏がいて、夫人に興味を持った。みなで橇滑りに出かけた後、シュピネルは夫人にピアノを弾くよう頼む。しばらく固辞した後、ショパンノクターンを弾く。そのあとシュピネルの要望でタイトルの第2幕を弾く。談話室が歌劇場の舞台になったかのよう。翌日、衰弱した夫人は喀血する。シュピネルは夫人の夫に憎むという手紙をだした。彼がおっとり刀で到着しシュピネルを詰問しているとき、夫人の部屋へ来いという医師の命令が届く・・・。ワーグナーのオペラがこの短編のストーリーと小道具に影を落とす。まことに悲劇の2回目はパロディとしてしか現れない。スイスの療養院という舞台からのちの「魔の山」を連想しそう。病人が芸術論で圧倒しようと試みても、俗物の健康は教養を蹴飛ばしてしまうのだなあ。
リヒャルト・ワーグナー「ロオエングリイン・トリスタンとイゾルデ」(岩波文庫)

 

 ドイツ芸術の最良のときは既に過ぎてしまったとき、何が芸術家にできるか。そうすると「トリスタン」に典型的なように、諧謔とパロディ、風刺と言葉遊びになる。先行作品を知っている人が元ネタを見つけたり、変えたりしているのを遊戯のように楽しむのだ。あるいは素朴な民衆の文化を取り込むこと。彼ら無垢なるものの健康と自然が芸術をはつらつとさせる。そのような戦略で創作したのが、トーマス・マンの二回り上のマーラー(1860-1911)。でもウィーンはマーラーを受け入れず、放逐した。たぶんトーマス・マンのような生真面目で厳格で融通の利かないものたちが、俗悪や感傷癖を辞さない創作を嫌悪したのだろう(ユダヤ人であるとか、劇場の独裁者であろうとしたとか、自作を振りたがるとか他の理由もあって嫌われたのもあるが)。


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2023/05/17 トーマス・マン「短編集」(岩波文庫)-3 20代後半の短編 1903年に続く