odd_hatchの読書ノート

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ジェイムズ・ジョイス「ダブリナーズ」(新潮文庫)-1 WW1前、作者20代前半の短編。当時のダブリンの生活様式は今と異なることに注意。

 とても高い山に登るつもりの読書を始めよう。


 ジェイムズ・ジョイスが最初に出した短編集。作者ジェームズ・ジョイスは1882年生まれ1941年没。1914年というとジョイスが30歳を過ぎたばかりだが、最初のほうのは20代前半の作と思われる。


 翻訳は2009年。

The Sisters (姉妹) ・・・ 1895年にフリン牧師が亡くなる。残された二人の姉妹が葬儀の準備を進めている。「僕」は悔みに行って、彼女らのおしゃべりを聞く。(ジョイスには珍しい一人称。たぶんスティーブン・ディーダラスなのだろう。死者を悼む気持ちは深い。同時に、死を前にしても誰も救済しないキリスト教に失望もしている。ドスト氏の「百歳の老婆」、ゾシマ長老の死などを思い出させる。)

An Encounter (出会い) ・・・ 西部劇小説(19世紀末から20世紀初頭にかけてアメリカの安雑誌で大流行)が禁止されるカソリックの寄宿学校生が授業をさぼって河畔で遊ぶ。ウォルター・スコットやトーマス・ムーアを愛好する大人の話を聞く。スティーブンが学校では禁止される文学を愛好しても良いと気付いた「出会い」。「若い芸術家の肖像」Iにありそうな挿話。

Araby (アラビー) ・・・ 隣の家の女の子がとても気になる。ようやく話ができて、週末のバザーに誘う。女の子はいけないと言い、「僕」はじゃあ何か買ってくるよと約束した。それから当日までの陶酔。小学生の初恋の見事な描写。最後に買う気を失うのは、売り手がイギリス人だとわかったからで、子供心でも差別はわかっているんだね。

Eveline (エヴリン) ・・・ 19歳のエヴリンは暴力をふるう父と二人の男の子のせわでくたくた。でも、フランクといっしょにブエノスアイレスに駆け落ちするので、未来が開けているのだ。船に乗ろうという瞬間に、不意に彼女の世界が反転する・・・。脱出を希望しながら抜け出せない(今なら共依存と診断できそうだ)。1904年にスティーブン・デッダラスの筆名で発表した、たぶん最初に金になった小説。

After the Race (カーレースが終って) ・・・ カーレースで優勝した多国籍チームがダブリン市内をパレードし、ホテルで徹夜でバカ騒ぎする。のちのたとえばヘミングウェイ日はまた昇る」、フィッツジェラルドラスト・タイクーン」で読んだ(うろ覚え)、あるいは映画「灰とダイヤモンド」でみたパーティ。20世紀初頭にはカーレース(小説のモデルになったレースは1903年だそう)があり、自動車販売業がベンチャーだった。

Two Gallants (二人の伊達男) ・・・ 伊達男とは名ばかりで、定職につかず、他人にたかったり、娘から金をまきあげたりするケチなやくざ者。今日もダブリン市内をうろついては通りの人々を検分する。レネハンとコーリーの二人組は「ユリシーズ」に登場する。「ユリシーズ」のレネハンはスポーツ紙の記者だとのこと。

The Boarding House (下宿屋) ・・・ 下宿屋の娘が下宿人と色恋沙汰になった。母の視点、下宿人の視点、娘の視点で描く。ジョイスの小説にしては珍しく事件が起こる。ただし解決は書かれない。まあ、ありふれたできごとだからね。解説によると、娘の誘惑シーンは、プッチーニラ・ボエーム」(1896年トリノ初演)のパロディだそう。

A Little Cloud (小さな雲) ・・・ リトル・チャンドラー32歳は生活に不満。どうして家族がいるのか、家の中はよそよそしいのか、幼児は泣き叫ぶのか。いつか詩集をだしてケルト詩人として評価されたい。8年ぶりに友人とあうが、俗物になった彼はもう詩の話はしない。記者になって有名になったというのに(「ユリシーズ」に登場)。どうして俺だけが。こういう悶々の日々。「ユリシーズ」のブルームもこんな日々を送りながら、スポイルされていったのだろうなあ。

Counterparts (写し) ・・・ ある会社の事務員のさんざんな一日。契約書の写しが出来ていないので叱責され、手つかずだった仕事で罵倒され首を宣告され、やってられんとパブにいけばちっとも酔えない。ドスト氏の初期短編にありそうな社会派小説。でも最後に幼児への暴力がでてきて、こんどは読者が散々な目にあう。

Cray(土くれ) ・・・ 一家が破産したので、プロテスタントが経営する洗濯施設に入寮したマライア。気さくな人柄で人気者。休みの日にためておいた給料をもって、家に帰る。一家はマライアを温かく迎えた。マライアはカソリックアイルランド人。洗濯機が普及していない当時は、洗濯は重労働だったので、貧困者が安い賃金でこき使われていた。アイルランドを支配するイギリス人が経営する施設だったので、アイルランド人からするとあまりよい場所ではないのだが、貧困一家を支えるにはこういう施設に入るしかない。ダジャレをいうムーニーは「下宿屋」に登場する一家の一員かしら(同名のものは登場しない)。

A Painful Case (痛ましい事故) ・・・ 規則正しい生活を送る勤め人がいる。あるとき、若い娘に声をかけられ、数回あった後にデートを申し込んだ。彼女は船長の妻で、勤め人の趣味や思想によく付き合った。ある時、女性に情熱的に触れられたとき、勤め人は付き合いを解消する。それから4年後、アルコール依存になった女性が市電にひかれるという事故で亡くなった。勤め人は後悔で孤独にさいなまれるというのだが、自分はこの心理がよくわからない。それくらいに他人に関心をもっていない、ということか。
 この短編の解釈。ゴースト・ストーリーと読んだり、男の自閉的な自己回復と見たり。ピンとこないな。

自分だけの部屋― “A Painful Case” に見る不在の詩学
https://core.ac.uk/download/pdf/71789982.pdf

James Joyce の“A Painful Case” 
https://www.osaka-geidai.ac.jp/assets/files/id/729

 

 WW1前のヨーロッパを舞台にしているので、21世紀の読者の物理現実とはちょっと違う。大きな違いは電化されていないことと、自動車が珍しいこと。煮炊きは薪や石炭。汽車か徒歩で移動する。孤独であろうとしても、一人で全部の家事ができるわけではないので、数人から大勢の人との共同生活が不可欠。孤独になろうと引きこもれる部屋があるわけではない。生まれた街から出ていくのは少数で、多くの人はこどもの時から知っている人と好き嫌いがあろうとも付き合いを続けなければならない。仲間内ではプライバシーはほぼない。21世紀の読者のように、家を出てからどこかにつくまでにだれにも会わず、誰の記憶にも残らないということはないのだ。そういう都市のできごと。

 

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2023/11/02 ジェイムズ・ジョイス「ダブリナーズ」(新潮文庫)-2 WW1前、作者20代前半の短編。ダブリン生まれのジョイスは異邦人としてダブリンを見る。 1914年に続く