odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

ジェイムズ・ジョイス「ユリシーズ II」(集英社文庫)9.10 「ガス状脊椎動物」はヘッケルの引用。補注の付いていないところにも隠しごとはあるよ。

2023/10/23 ジェイムズ・ジョイス「ユリシーズ I」(集英社文庫)7.8 文体パロディの始まり。内面描写よりも言葉遊びに関心が移る。 1922年の続き


 「II」で訳者の一人、永川玲二(この人はグレアム・グリーンの訳者(「情事の終わり」)として名前を知っていた)が「ダブリン気質」という解説を書いている。とてもコンパクトなアイルランド史。有史以前の歴史は、 田中仁彦「ケルト神話と中世騎士物語」(中公新書) 1995年が参考になる。島国だったので、ローマもなかなか入り込めず、そのためにケルト文化が残された。侵略ではなく布教でヨーロッパとつながった(これは日本もそうだと解説者が言っている)のだが、最初にはいったのは東方系教会だったので、あとから入ってきたローマ教会とは敵対的。以後すっとばして、19世紀初頭にイギリスに併合された。もともとケルト人はアングロサクソン人と敵対的だったのに加えて、宗教対立も起きて宗主国と植民地の関係はうまくいっていない。20世紀は独立派が暴力闘争を行ったのでとても政情不安であったが、EUに参加することでうまくいくようになった(しかし2020年のイギリスのEU離脱でまたぎくしゃくしだした)。以上、とてもあっさりしたアイルランド史。ジョイスの生きた19世紀後半から20世紀半ばころまでは、イギリスの影響・支配がとても強い時期。そこに故郷を捨てたスティーブンや放浪するユダヤ人のブルームが首都ダブリンをさまよっていたのであった。この二人の主人公は二重、三重に家族・宗教・祖国から疎外された単独者だったことに注意をむけよう。他の小説の主人公のように、共同体とつながっているわけでもなく、帰るべき共同体をもっているわけでもない。「オデュッセイア」のように放浪しなければならず、いつ終わるかは誰にもわからない。


9.スキュレとカリュブディス
 この章はスティーブン視点。酒屋で一杯飲んだスティーブンらは午後2時に国立図書館に集まる。そこには、年長の、そして名声のある文学者たちがいて、スティーブンは気が大きくなったのか、自分の「ハムレット論」を披露する。でも名うての文学者たちは盛んにチャチャをいれ、脱線してばかり。文学者の集まりだけあって、シェイクスピアの引用のみならず、神学、ギリシャローマ神話、1904年時点で過去20年の流行りの劇・ショーなど。いずれも説明などないものだから、典拠を調べようとすると大変な手間がかかる。たとえば、

 スティーブンはマリガンについて、「やつはぼくの馬鹿まねを抵当に取っているからな」とひとりごとをいう(P15)。原文は

「He holds my follies hostage」

Follyは「あやまり」とか「バカげたこと」だけど、同時に「大金をかけたばかげた大建築」も意味する。人は「馬鹿まね」の理解に苦しむようだが、Follyのもうひとつの意味をみれば、ルームシェアをしている塔のことを言っているのだと知れる。塔の家賃をマリガンが払っているので、スティーブンは頭が上がらないという意味なんじゃね。「1.テレマコス」でマリガンが同居する3人の朝食代をはらったり、金のないスティーブンをからかったりしているから、あながち誤りじゃなさそう。(「やつ」がマリガンを指すのかは自分にはよくわからないが、とりあえずこのページの解釈に従った。
torinojimusho.hatenablog.com


follyの意味・使い方・読み方

ejje.weblio.jp


 follyを建築物の意味で使っている例。

odd-hatch.hatenablog.jp


 他にも皮肉屋のマリガンはことあるごとにスティーブンを小馬鹿にするので、このあとスティーブンはマリガンと喧嘩したようで、有り金はたいて酒を痛飲し、兵隊にぶん殴られたのをブルームに介抱されるに至るのだ。

〈追記〉 この数行後に

Mulligan has my telegram. / Folly. Persist.

とでてくるので、「やつ」はマリガンでいいだろう。スティーブンがマリガンを思い出すと、「Folly」と出てくる。ここを丸谷・氷川・高松訳では「馬鹿まね。やり抜いてみろ」とする。それでいいんだけど、ここには「あの馬鹿げた塔に居続けないといけない」という意味もあるとみたい。そこにスティーブンの反発やあきらめの感情もありそう。

 

 バック・マリガンが登場して、「おまえはいまガス状脊椎動物の話をしていたな」とスティーブンに尋ねる(P46)。

原文は、

"—You were speaking of the gaseous vertebrate, if I mistake not? he asked of Stephen."

 この「ガス状脊椎動物(the gaseous vertebrate)」とは面妖な。いったんなんのこっちゃ。参照したいが、訳注がついていない。

 これはドイツの博物学者で自然哲学者のエルンスト・ヘッケルが神はガス状脊椎動物であると主張したことの引用だ。ヘッケルの説は「Die Welträthsel」1896-1899年、英訳は1900年にロンドンで出版。邦訳は「宇宙の謎」で1906年にでた。どれも入手しがたい稀覯本だが、荒畑寒村が読んでサマリーを書いていた。「寒村自伝 上」(岩波文庫)のP280を参照。

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 したがって、マリガンが「おまえはいまガス状脊椎動物の話をしていたな」といったのは、おまえ(スティーブン)はヘッケルの言う「神」の話をしていたなという含みだ。スティーブンたちカソリックアイルランド人が「神」のことを話しているのを、プロテスタント医学生のイギリス人が神というご大層な話をしているがせいぜい「ガス状脊椎動物」という個別存在にすぎないのだ、と皮肉をこめて小馬鹿にしているのだと読みたい。マリガンはスティーブンと塔に同居している医学生。ヘッケルの人気はとても高かったから、読んでいてもおかしくない。
(マリガンにそう言われた学生たちも「ガス状脊椎動物」がなにかを理解しているので、すぐさま「汝が嘲笑するものに汝はやがて仕えることになる」とドイツの格言を引いてやり返しているのだった。マリガンはヘッケルを引用して神を嘲笑しているが、神から逃れられないぞ、と。)

 

〈追記〉 ヘッケルの「宇宙の謎」邦訳明治39.3が国会図書館デジタルコレクションで公開されています。PDFでダウンロードできます。ただし画像なので、テキスト検索はできません。

dl.ndl.go.jp

 ヘッケル「宇宙の謎」の目次は下記の通り(右の数字はページ数)。

目次
第一章 宇宙の謎とは何そ/1
第二章 人体の構造/21
第三章 人間の生活/36
第四章 人間の胎生学/52
第五章 人間の種属発生学/69
第六章 精神の本性/83
第七章 精神の階段/101
第八章 精神の個体発生学/120
第九章 精神の種属発生学/135
第十章 精神の意識/155
第十一章 精神の不滅/169
第十二章 本質法則/191
第十三章 宇宙の発生学/214
第十四章 自然の帰一/233
第十五章 神及び世界/252
第十六章 知識及び信仰/270
第十七章 科学及び基督教/283
第十八章 吾人の一元論的宗教/305
第十九章 吾人の一元論的倫理学/318
第二十章 宇宙の謎の解/339

 「ガス状脊椎動物」は「第十五章 神及び世界」にあるだろうとあたりをつけてみたら、ありました! 265ページ(画像)。

 

 荒畑寒村の記述はこのページの要約だ。ただ、末尾が「奇怪なる思想となるべし」なので、ヘッケル自身が神は「ガス状脊椎動物」であると主張しているわけではなさそう。この章の終わりは

「自然認識及び神と宇宙は一体(旧字)なりとの一元論的確信が漸々今日の迷信に打勝つに及んでは、如上の迷妄自ら明らかなるに至らむ」P270

である。ヘッケルの主張は「神と宇宙は一体」という一元論哲学にある。そうすると、キリスト教や聖書の記述を今日の科学的知見に照らし合わせると「ガス状脊椎動物」と奇怪な存在になる。キリスト教や聖書はそんな馬鹿な話をしているのですよ、それでも読者は神=「ガス状脊椎動物」を受け入れるのですかという揶揄を含んだ指摘なのだろう。

 栗原古城訳1919年も入手可能。こちらの訳では

「更に一層高等な抽象的な宗教に成ると、以上の形体と云う観念は全く除却されて、神は形体の無い純粋の精神として崇拝されている。けれども此純粋なる精神の活働は、矢張り神人同形的の神と同一なものと思われている。実際は、此物質的な精神も、無形なものとは考えられていないので、唯肉眼で見えぬガス体だと思われているだけのものである。然らば則ち稍々(やや)奇矯の言ではあるが、神は気体の有脊椎動物であると云う結論に到達する訳ではあるまいか。」PDF271ページ

 

「斯(かく)の如き誤謬は、二十世紀に至って、一般の迷信が破れて、合理的知識と、「神と宇宙との合一」なる一元的観念がこれに代るように成ってから、始めて一掃せらるるものであろう。」PDF274ページ

http://fomalhautpsa.sakura.ne.jp/Science/Haeckel/uchu-no-nazo-105R.pdf

〈さらに追記〉

 ヘッケルの原著が販売されていました。タイトルは「Die Welträthsel」

 英訳は「The Riddle Of The Universe」のタイトルで販売されています。

 「Die Welträthsel」のドイツ語wikiページ。

de.wikipedia.org

 wikiにある「神と世界」の梗概を機械翻訳した。

「神と世界」の章では、さまざまな種類の宗教が紹介されています。一神教イスラム教で最も純粋に表現されますが、両神教 (2 つの偶像) は「神と悪魔」という二元論であることがよくあります。「より深いレベルにはカトリック多神教があり、そこでは多数の『聖人』(多くの場合非常に疑わしい評判です!)が下位の神として崇拝され、最高の神(またはその友人であり娘である『聖母マリア』)に慈悲深い仲介を求めます。」ヘッケルはまた、神の三位一体への信仰や、イエスや死者の復活という考えを否定している。汎神論は神と自然の一体性、「現代の自然科学の世界観」を宣言します。ヘッケルは、「汎神論は無神論の単なる礼儀正しい形式であり、汎神論の真実は神と世界との間の二元論的対立の廃止にある。」というショーペンハウアーの声明を支持し、「神と自然の一体性の一元論的確信」を広めるためである。これからの 20 世紀には、「学校は教会の束縛から解放され」、「近代国家は教会体制の束縛から解放される」でしょう。

知識は、人間が量的にも質的にも最も備えていない感覚器官と心を使った科学的研究を通じて生まれます。これとは対照的なのが信仰であり、その無批判な受け入れが多くの害をもたらしています。

 

 「World riddle」という英語wikiページで、ヘッケルの見解が紹介されている。

en.wikipedia.org

 このページの「ヘッケルの見解」を機械翻訳した。

エルンスト・ヘッケルは、世界の謎を「物理宇宙の性質とは何か、そして人間の思考の性質とは何か?」という形式の二重の質問であると見なしました。彼は、1892 年の講演で、人間と宇宙は 1 つのシステム、つまりモノシステムの中に含まれているため、答えは 1 つであると説明しました。

「厳格な」ベルリンの生理学者[デュ・ボワ=レイモン]は、この知識を頭から締め出し、ほとんど考えられないほどの近視眼で、この特別な神経学的問題を、一つの偉大な「世界の謎」、つまり根本的な問題と並べて置いた。物質、物質とエネルギーの関係に関する一般的な問題。私がずっと前に指摘したように、これら 2 つの大きな問題は 2 つの別々の「世界の謎」ではありません。意識の神経学的問題は、すべてを包括する宇宙論的な問題、つまり物質の問題の特殊な場合にすぎません。「物質とエネルギーの性質を理解すれば、その根底にある物質が特定の条件下でどのように感じ、欲望し、思考するのかも理解できるはずです。」高等動物における意識は、感情や意志と同様、神経節細胞の機械的な働きであり、それ自体、神経節細胞の血漿における化学的および物理的出来事に引き戻されなければなりません。

— エルンスト・ヘッケル、宗教と科学を結びつけるものとしての一元論 [6] [7]
ヘッケルは、人間の行動と感情は、物理宇宙の法則の範囲内で、述べられているように「神経節細胞の機械的働き」として説明できると書いていました。

 

 

 ヘッケルの一元論哲学は「生命の不可思議」のエントリーを参照。

odd-hatch.hatenablog.jp

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 最後で、「一人の男がふたりの間を通り抜けた。頭を下げて会釈しながら」とあって、通り抜けたのは「さまようユダヤ人」のブルーム(と解説に書いてあった)。こういう省略が頻出するので、煩わしいけど訳注をみないわけにはいかない。

 

10.さまよう岩々
 午後3時。昼下がりの活動的な時間帯。これまでに登場してきたキャラがダブリン市内に散らばり、それぞれがさまざまなことをしている。最後にアイルランド総督が騎馬で市内を行列し、キャラたちはあいさつする。各断章ではだれがどこにいるかを克明に示していて、アイルランド総督の騎馬行列のルートも書いてある。マニアは地図で確認しそうだ。断章が無秩序に並んでいるのを、最後の行列でひとつにまとめてしまう文学的離れ技。ジョイスの技巧は言葉遊びや造語や引用、パスティーシュだけではない。
 アイルランド総督の説明はリンク先を参照。このころには政治的実権はなくお飾りであったとしても、イングランドの貴族が派遣されて、支配権を見せつける。この時代は表立っての抗議や批判はないようだが、心からの忠誠ではなさそう(ひとりの聖職者が、アイルランド総督が聖職者推挙権を一手に握っているのを苦々しく思いだす)。
アイルランド総督

ja.wikipedia.org

 

 全部で18の挿話がある。そのうちの半分の挿話が終わったが、ページ数では4割に達したかどうか。このあとの挿話がとても長いものになることが予想される(実際「15.キルケ」はそうとうに手ごわそう。これを読み始めるのが怖い)。そのうえ、第10挿話までは近代の小説のような体裁を保っているが、このあとは文体の実験が行われていて、手ごわそう(「14.太陽神の牛」「17.イタケ」「18.ペネロペイア」を読み通せるか、自信がない)。

 それはさておき、不思議だと思うのは、スティーブンにしろブルームにしろ人や人工物をよく観察するのに、あたりにいると思われる小動物や馬車の馬、そこらを飛んでいる鳥などに全く関心を向けない。遠くに見える山や海を記述しないし、天候の話をしない。「ユリシーズ」はダブリンという都市を正確に描写していることで有名なのだが、なるほど通りの名前や建物、商店名は実在のものと正確に一致し、記述を追いかけるとスティーブンとブルームがどのように歩いたかを地図にプロットできるそうだ。その正確さは人と人工物にはそのとおりだが、自然物にはまったくあてはまらない。俺はまるでキャラたちがデカルト幾何学空間・均質な無限空間を歩いているように思えるのだ。あるいはハリウッド映画のような巨大なセットの中にいるような。
 そうすると、「ユリシーズ」の時空間ににているのは、メルヴェル「白鯨」のピークォド号やクラーク-キューブリック「2001年宇宙の旅」ディスカバリー号だと妄想。そういう人工空間で外がないような閉じた空間。
 

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2023/10/19 ジェイムズ・ジョイス「ユリシーズ II」(集英社文庫)11.12 ブルームにとって性と死と食はたがいにつながっている。 1922年に続く