odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

小田島雄志「小田島雄志のシェイクスピア遊学」(白水ブックス) 社会の秩序が乱れ、それまでの価値体系が消滅し、善悪のみきわめができなくなった時代に、外と内でカオス状態になっている人間を描いた。

 原則として小説評論は読まないようにしているが(自分で考えないようになるため、評者の見解に引っ張られるため)、シェイクスピアドストエフスキーだけは自分の読み取りだけでは不安なので、見つけたら読むことにしている。これはたまたま見つけた一冊。著者はシェイクスピアの全作品を翻訳した人なので、安心して読める。実際そうだった。

シェイクスピアと現代演劇 ・・・ 1950年代のニュードラマ(イヨネスコ、オズボーンなど)の演劇観はシェイクスピアにとてもちかい。ドラマの解決が主眼ではなく、過程が大事。問題を提示し、割り切れない人間を示すというところで。シェイクスピアは民間伝承劇とギリシャローマの古典劇の二つのスタイルを融合している。
(イギリスの演劇史が簡単にまとめられる。12.3世紀の中世からあり、途中スタイルを変えていった。シェイクスピアの猥雑さ、なんでもありはあの時代特有のものだったようだ。)

シェイクスピアの生涯 ・・・ 簡単なバイオグラフィー。1564-1616。金持ちの子として生まれ少年時代に貧しくなり、中等教育を受けたくらいで結婚する。ロンドンにでて劇場勤めになり、台本を書き始め、1594ころのペストの最中に詩を書いた。その後、劇場の株主になり座付き台本作者になり、ヒット作が出るごとに収入が増える。最盛期は30代。40代になると売れなくなり、郊外に隠遁。52歳で死去。
(1595年初演の「ロミオとジュリエット」で僧ロレンスがペストのために幽閉されて連絡が取れなくなったのは、同時代のできごとを描いたのだった。)
(ドスト氏、漱石などと同じく夭逝にみえるのは21世紀から歴史的遠近法でみているためだ。)

シェイクスピアの劇場 ・・・ 彼の時代と彼の劇場はどのようであったか。「ウィリアム・シェイクスピアを読む前に:エリザベス朝期の劇場について」エントリーを参照。

劇作家シェイクスピア ・・・ 以下作品論。
第1期は「恋の骨折り損」まで。アクション、行動で統一された世界。一面しか持たないキャラクター。代表作は「リチャード三世」「じゃじゃ馬ならし
第2期は「十二夜」まで。コミックと史劇の時代。コミックでロマンティシズムとリアリズムを持つようになったのが重要。代表作は「ロミオとジュリエット」「夏の夜の夢」「空騒ぎ」「お気に召すまま」「十二夜」。さまざまな対立する要素が対比されるようにでてくる(コメディとトラジティ、アクションと言葉遊び、涙と笑い、エスカレーションと対照)。リアリズムは脇訳に顕著(「ロミオ」の乳母など)。史劇で内的葛藤と自覚した人物があらわれる。「ジュリアス・シーザー」のブルータス。なお当時の史劇は劇中のもっとも身分の高いものをタイトルにする慣習があったとのこと。なので劇の主人公はタイトルと一致しないことがある。たとえば、「ジュリアス・シーザー」の主人公はブルータス。
第3期は1600-1608年ころ。四大悲劇。この時代はイングランドが政治的に不安定だった。社会の秩序が乱れ、それまでの価値体系が消滅し、善悪のみきわめができなくなった。シェイクスピアはそのような風潮にあって、外と内でカオス状態になっている人間を描いた。そこで自分で自分がわからなくなり、肯定と否定が直結している奇妙な事態が起きている。「マクベス」の魔女が言う「Fair is foul, and foul is fair.」であり、ハムレットの「愛している、愛していない」である。カオスに陥ったのは、ハムレットであり、オセローであり、マクベスであり、リア王。彼らは周囲の人間と依って立つ次元が異なる(非日常の次元で夢遊病者のようになる)ので、コミュニケーションの基盤を失っている。彼らには衝動の行動と非行動を行き来する。ドラマの結末よりも過程が大事であり、過程で生じた問題は結末に至っても解決されないことがある。そのためにドラマは閉じていない。内的カオスに囚われる悲劇の主人公たちは自分の一部であると思われ、自分は彼らの一部であるように感じる。
第4期はロマンス劇。人物やドラマは象徴性や寓意性を持つ(ように読まれてきた)。調和を包み込む愛の世界。代表作は「テンペスト

 

 シェイクスピアの知識は皆無に等しかったので、ともあれテキストを読むことだけしようという考えで、だいたい3分の1を読んだところで、本書を読む。評論や評伝を読む前に、まず著者のテキストを読むのはとてもよい。上に書いたのがその理由だが、同時に自分の読みを他人とするあわせることで、自分の足りないところがわかるから。それはたぶん次回の読みに使えるツールになるはずです。で、この読み達者の解説を読むと、自分の読みはそれほど外してはいなかったのではないかな。深みや拡がりには決定的に欠けているとしても(「ハムレット」だけは盛大に誤ったようだが)。
 自分に足りないのは、ドラマの結末にこだわって過程をみないこと。ハムレットマクベスやオセローが「内的カオス」の疾風状態で自我を喪失しているときのことなどほとんど歯牙にかけなかったからなあ。探偵小説を読むようにいつも結末にばかり注目していた。
 その一方で、この評論で不満に思うのは女性を無視していること(細かく分析されるのは「ロミとジュリエット」の乳母だけ)。なるほど「内的カオス」の状態で葛藤するのは男ばかりであるが、そのきっかけになったり巻き添えを食ったりする女性も大きな役割をする。あるいは男装して男を手玉にするキャラクターが無視されている。オセローや「タイタス・アンドロニカス」が黒人であるところもほぼスルーされる。こういう差別の構造に無関心であるのは現代においてシェイクスピアを読むのには不十分ではないか。