odd_hatchの読書ノート

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ゲーテ「若きウェルテルの悩み」(新潮文庫)-2 「嫉妬するわたしは四度苦しむ。(ロラン・バルト)」

2023/05/30 ゲーテ「若きウェルテルの悩み」(新潮文庫)-1 仕事につかないでいい人が暇や退屈の中から〈この私〉という自我を発見する 1774年の続き

第2部 ・・・ ウェルテルくんは実家に帰って、公爵の仕事をするようになる。失恋の痛みは強く、「つまらない仕事」と熱意はもてないし、同僚達とはあわないし、といって狭い社会では顔を合わせないわけにはいかない。次第に公使に疎んじられ、ついには公爵からパーティに来るなといわれる。ここでウェルテルくん、堪忍袋の緒が切れ退官する。それからしばらくは旅に出る。「ぼくは放浪者」「この世の巡礼者」と自己評価は一気に下がる。
(さまざまな理由で失意に落ち込み、いま-ここに居場所がない時、人は放浪にでる。ことに自分の力と才能に絶望し、知っている他人が立派にみえるような場合には。見知らぬ土地で見知らぬ人の間にいることで自己回復を図るのだ。メアリー・シェリーの「フランケンシュタイン」博士もそういう放浪の旅にでた。二人とも自己回復には失敗した。ウェルテルの放浪先には、スコットランドの「フィンガルの洞窟」があった。18世紀はヨーロッパが統合されていてパスポートやビザなしでどこにでも行けた時代だった。旅行も大変だが、可能だった。モーツァルトの手紙ロレンス・スターン「センチメンタル・ジャーニー」など。ゲーテも「イタリア紀行」を書くなど、旅行によく出かけた。ウェルテルくんの観光から約半世紀後にメンデルスゾーンが行き、序曲「フィンガルの洞窟」を1830年に作曲した。)

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 もどるところは、ロッテのいる場所しかない。再びロッテのもとを足しげく通うが、結婚したロッテ(と夫アルベルト)はウェルテルくんに冷たい。かつてのような陶酔の時は訪れない(新婚夫婦からすればあたりまえだわな)。そこでウェルテルくんはロッテが自分を大事にしてくれるという妄想にふける。当然、現実はウェルテルくんの思い通りにはいかないので、かれはロッテに嫉妬する。ここから嫉妬の感情がどのように推移するかの観察が続く。
 嫉妬の分析はこれが秀逸。

「嫉妬するわたしは四度苦しむ。 (ロラン・バルト
嫉妬している人は、自分が排除されたことに苦しみ、自分が嫉妬という攻撃的な感情に囚(とら)われていることに苦しみ、その感情が愛する人を傷つけることに苦しみ、そして自分がそういう凡庸な感情に負ける「並みの人間」であることに苦しむ。いずれの局面でも自分をはずせない。人であるとは難儀なことだ。フランスの批評家の「恋愛のディスクール・断章」(三好郁郎訳)から。」
折々のことば:2098 鷲田清一(2021/7/28付朝日新聞

 これを読んだときに、嫉妬で四度苦しむのは過去を振り返って自分が嫉妬しているとわかった時だと思ったが、ウェルテルくんはまさに嫉妬のさなかにいるので、自分の苦しみ以外はまったく自覚できない。感情がロッテへの「愛情」だけになっているので、理性的・反省的意識が生まれないのだ。なので、ウェルテルくんは一度落ち着き、過去を振り返る時間を持たないといけない。自分の嫉妬の感情が分析できるようにツールを得ないといけない。なのでウェルテルくんはどこか遠くへ行き、シェイクスピアの「オセロー」を読むべきだったのだ。あいにく彼には親身になる親も友人もいない(だから他人への愛情の熱量が異常に多くなったといえる)。
 ロッテ(とアルベルト)はウェルテルくんになるべく会わないようにしたのだが、正解。ただ、やむなくロッテとウェルテルが会うときにアルベルトは同席するべきだったね。

 このあとは詳述しないことにしよう。本書を読んでウェルテルと同じ行動をする者が続出したように、その行動を書くことによって引きずられてしまう人がでてしまいかねないから。ウェルテルくんはサインをかなり前から出していたので、世の人は彼をロッテのいないどこかに行かせるべきだったのだがなあ。まあ21世紀基準で18世紀のできごとを断罪しても仕方がないが、この小説を積極的に推薦するつもりにはなれない。たとえ、近代的自我の形成を記録したほとんど最初の小説だという新奇性があるとしても。

 

 ドイツでこの小説がわきたっているころ、フランスではミラボー伯「肉体の扉」(富士見ロマン文庫)1786年という性愛文学が書かれていた。自分は未読のサドも大量の原稿を書いていた。この二人のフランス人の書くものにはウェルテルくんのようなキャラは入る余地はない。意識の檻に閉じこもることより、身体の解放のほうが重要であったのだ。それが政治への自由を求めるきっかけになったのだが、ドイツで政治への自由を求めるようになるのはゲーテの小説から半世紀たってからのこと。

 

    

 

 トーマス・マンがこの小説の「後日談」を書いている。

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