ロレンス・スターンは1713年生まれ。国教会の牧師になったが特筆にたることはひとつとしてない。それが1760年に本書「トリストラム・シャンディ」の第1巻をだしたところ大評判になった。そのおかげで社交界でちやほやされ、莫大な収入を得ることになり、当時としては珍しい/難しいフランスへの長期旅行もしている。その成果が「センチメンタル・ジャーニー」。「トリストラム・シャンディ」は1767年までに第9巻まで書かれたが、結末をつけることができず(まあ無くてもいい内容)、1768年に死んだ。婦人が大好きで、人にちやほやされるのが大好きなイギリスの成り上がり紳士、とでもいうべきか。その破格な性格はたとえばジョン・ディクスン・カー「ロンドン橋が落ちる」で狂言回しにされるくらいに、後世まで記憶された。
漱石は18世紀イギリス文学を研究した。その成果は「文学評論」にまとめられたが、スターンには一切触れていない。でも「草枕」に一節があるので引用しよう。
「トリストラム・シャンデーと云う書物のなかに、この書物ほど神の御覚召しに叶うた書き方はないとある。最初の一句はともかくも自力で綴る。あとはひたすらに神を念じて、筆の動くに任せる。何をかくか自分には無論見当がつかぬ。かく者は自己であるが、かく事は神の事である。したがって責任は著者にはないそうだ。」
本書のタイトルは「トリストラム・シャンディの生涯と意見」。解説でああと唸ったのは、勃興期のイギリス文学は「生涯と冒険」を書くものであった。典型はデフォー「ロビンソン・クルーソー」1719年、スウィフト「ガリバー旅行記」1726年。主人公に視点を定めて、彼の冒険の一生を書く。そういうスタイルが流行っていた時に、偏屈もののスターンは冒険がなくて意見を書く。解説によると、ジョン・ロック(「人間悟性論」など)の影響を受けた意見ということだが、その知識のない21世紀の極東の偏屈ものには一般常識で日常の瑣事の「徳」を書いているように見える。逆さにすると、18世紀のイギリスの紳士が何に関心を持っていたか(すなわち余暇に何をしゃべっていたか)を推測する資料となる。まあ、研究者ではないので、素人は表層を楽しむことに徹しよう。
ネットではここが詳しそう。
電脳空間のローレンス・スターン
第1巻はトリストラム氏懐胎のシーンから。まだフランスの啓蒙時代ではないので性愛文学にはならず(当時の道徳を思うとミラボー伯やサドの性愛文学の何と先進的なことか)、父母の思惑、産婆や叔父トウビーの性格紹介を行う。のであるが、スターン氏の筆はなにか書きつけた言葉やイメージにとらわれてすぐさま脱線、逸脱してしまう。この章はこの話をすると宣言したとたんに、言い訳や固有名に反応して連想を膨らませていく。18世紀は近代文学の形式が整えられる時代なのだが、すぐにこのような形式を壊す実験作が生まれているところに注目したい。あと書かれた時期はシェイクスピアから150年後。このときにはシェイクスピアはイギリスの紳士には一般教養になっていたようだ。
サマリーが必要な小説ではないけれど、何を書いているのか分かったほうがいいので、メモをつくった。( )内は俺の注釈やつっこみ。
献辞
第1章 「わたくしの願いと申しますのは、父か母、またはやはりその両方が(なにしろどちらも等しくそのことには責任がございますから)わたくしを仕込んでおります時に、自分たちのしていることに注意深くあってほしかったということでございます。」。動物精気について
第2章 ホムンキュルス(精子の小人:通常「はホムンクルス」表記)について
第3章 叔父トゥビー、しこみの日のできごとを語る。
第4章 全体の序。1718年3月第1日曜から第2月曜の間に懐胎した。父のルーティンだった。
第5章 1718年11月5日がトリストラムの誕生日。月でも金星でもなく最も下劣な世界である地球に生を受けた。息をしたとたんにぜんそくになった。
第6章 いつ生まれたかは説明したが、どういう手順で生まれたかは控えましょう。
第7章 父と母の住んでいる田舎に47歳(!)の未亡人の老婆がいたので、産婆にするために尽力した。
第8章 道楽には議論の余地なしということについて。閣下への献辞
第9章 8章の献辞は初めて書いたものであって、金をもらえればもっとよいものにします。
第10章 産婆の援助をしたのが村の牧師だが、この牧師の馬ときたら、ドン・キホーテの馬のようで、え私はドン・キホーテをこよなく愛する者で・・・
第11章 ヨリック(Yorick)が牧師の名前で、デンマークの出でシェイクスピア「ハムレット」の直系と信じていますが、そういえば私1741年にデンマーク旅行に行ったことがありまして、それはさておきヨリックはクソ真面目ですが口が悪くてそれが原因で人を怒らせてばかりで・・・
第12章 ・・・それではいかんよと忠告した者もいましたが、ヨリックは果敢にも戦いを止めなかったが、ついに力尽き亡くなってしまった。「ああ、あわれ、ヨリック(ハムレットの引用)」。追悼のまっくろのページが挿入。
第13章 産婆は少なからぬ名声と勢力とを持った人物でしたが、勢力圏は村全体?教区全体?あれ・・・
第14章 私の話は脱線やじゃまばかりですが、それは調べるほどにしゃべることが増えるせいで・・・
第15章 見つけたて私の母の結婚契約書を読んでみますと、法律用語が満載ですが、要約すると母が望めばロンドンでお産をしてよいで、然し虚偽の申し出の場合の条項があり、それが私の生まれる前で起きたことですから・・・
第16章 ロンドンから帰る途中、父はずっと怒っていて(果樹の収穫月に不在になったので)、母もむかっ腹を立てていて・・・・
第17章 私を仕込んだ夜になってようやく父の思惑(田舎で出産させたい)を母が知った・・・
第18章 父が考えていたのは帝国の国威発揚と道徳化のためにも男の医者が出産に立ち会うべきでありそうしないと我が国の父権が貶められるのであり、母は老産婆でなければならないと考えていて、折衷案で双方が同意した。語り手は公開宝と言って私が女性蔑視ではないと言い訳し・・・(1759年3月9日に書いたというからトリストラムは41歳)
第19章 父は名前は大事だ何となればどの名前を付けるかで品性が決まるからであり、人の名前に優劣をつけていたが、とりわけトリストラムは最悪であると考えていて、聞くたびにむかむかするのだが、なぜその名がついたかは後日説明することにして・・・
第20章 奥さん、前の章をちゃんと読まなかったでしょう。名前の付いた理由を説明しないわけは、母の胎内にいる嬰児は洗礼できないというのがトマス・アクィナスの説明であり教会の決定だからであって・・・
(ここが興味深いのは胎内の嬰児は洗礼できないのであるが、堕胎はダメなのである。人間の尊厳はどこから適応されるのかという問題(中絶、体外受精、遺伝子検診など)の問題に関わるのである。)
第21章 叔父(父の弟)は内気で、昔の戦争で鼠径部に傷を負ったからであり、それからの古都であるが、父は興奮するとそのことをしゃべりだそうとするのを叔父は口笛を吹いて咎めるのだが、私はこの論法に名前をつけようと思う・・・
第22章 私の話がすぐに脱線してしまうことの弁明。いや読書の生命は脱線。これからも本線と脱線を入り混ぜていきますよ。
第23章 人の性格を描写するのにガラス的方法、管楽器的方法、排泄物記述法などがあるが、私はありのままに書いていこうと思う。
(イギリスでは人物の記憶、記録するスケッチが行われる。例「チャールズ・ダーウィンの生涯」)
第24章 では叔父トウビーを紹介しましょう。トウビーが持っていた馬は実に立派でして・・・
第25章 鼠径部に傷を負ったトウビーは除隊したが、看護が必要なので父が家に住まわせた。父はトウビーをしばしば語り込んだが、それが原因でトウビーは非常に困惑してしまった。その困惑というのは(ここで第1巻終了)。
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2023/11/17 ロレンス・スターン「トリストラム・シャンディ 上」(岩波文庫)第2巻 出産の準備をするが男たちは別の話に夢中になってばかり 1760年に続く