odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

大場建治「シェイクスピアを観る」(岩波新書) 戯曲なので舞台や映像を観ましょう。結末だけこだわるのではなく過程に注目しましょう。

 久しぶりにシェイクスピアを読み直したらとても面白かった。知っている話であっても発見がたくさん(なのに20代の読書ではなぜつまらないと思ったのだろう)。でも、50年以上前の解説だけでは情報が不足していると思ったので、2001年刊の本書を読む。著者は英文学の研究者で、舞台の評論家でもあり、シェイクスピア学会の重鎮でもあるみたい。日本で上演・公開されたシェイクスピア舞台や映画の話題が豊富。

第1章 それは『十二夜』ではじまったー日本のシェイクスピア ・・・ 日本でブームになったのは、明治、20世紀後半。リアリズムや自然主義に対する批判効果もあったとの由。文学として読む教条主義から離れて、演劇として発想するほうがおもしろい(なので逐語訳より時事をいれたり若者言葉を使ったりする演出のほうが受けたのだって)。ことに「十二夜」の双子の邂逅という方法が、合わせ鏡として「存在しないが存在する」という舞台の「真実」を開示するのだ、と。あと、当時のシェイクスピア劇団は出前・出張公演をよくやっていた(となると大道具や舞台装置は簡素だったりなかったりしたのだろう)。

第2章 ハムレットはテキストと対決するーイギリスのシェイクスピア ・・・ ハムレット(に限らずシェイクスピアの作品全体がそう)には異稿テキストがたくさんある。おおよそ一致していて異なるところが多数。そこからどのように完成版を作るか。通常そのまま上演すると長すぎるので、カットが慣例的だった。そのため人物像が異なることがあった(ハムレットを内省的とみるか行動的とみるかなど)。全集版を5時間半かけて上演する試みが19世紀末から起きたが、20世紀半ばからは大胆なカット、現代的読み替えなどさまざまな試みが行われるようになった。
(新潮や岩波の文庫の通常版とは別に、光文社古典新訳文庫では「ハムレット Q1」という短縮版の翻訳がでている。)

第3章 『冬の夜ばなし』は腕に覚えの演出家を魅惑するーシェイクスピアという劇作家(一) ・・・ 「冬の夜ばなし(通常は冬物語)」で戯曲家は一世一代のトゥール・ド・フォルスを実行する。内容は本書で。それに対し、初演のときから演出家は様々な工夫をしてきた。「冬の夜ばなし」ロマンス劇のひとつ。ロマンスは恋愛ものという意味ではなく、中世からルネサンスのロマンスという物語群に連なるものという意味。

第4章 映画の中の三人のヘンリー五世ーシェイクスピアという劇作家(二) ・・・ 20世紀半ばから映画が作られた。ここでは歴史劇映画に注目。とくにローレンス・オリヴィエ監督・主演の「ヘンリー5世」。
King Henry the Fift by William Shakespeare (Laurence Olivier )

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 シェイクスピアの時代はイギリスが内乱の時代を経て二流国から覇権を狙う国家にのし上がった(1588年のスペイン無敵艦隊撃破が象徴)。そのさいに、自国の歴史を見直す歴史劇が流行した。民族観が生まれる契機になったし、20世紀の映画も愛国的歴史ものとして熱狂された。その後も、多くの監督やシェイクスピア俳優が映画を作った。(なるほど19世紀のヨーロッパでは民族独立をテーマにするオペラが盛んに上演されたがイギリスにはなかった。そういうナショナリズム高揚の芸術運動は16世紀末からの舞台劇で行われていたからか。そのあとできたイングランドの「国民国家」は植民地を作っていったが、シェイクスピアの作品は帝国主義の後押しになったのだろう。そういえば日本ではたとえば歌舞伎が映画化されて、ナショナリズム鼓舞に使われたことはあったかしら。そういう役割を果たしたのは戦争映画か。 → 追記:いえいえ「忠臣蔵」がありますぞ。)
チャールストン・ヘストンが監督主演した「アントニークレオパトラ」を見だしたが途中で挫折。先にテキストを読んでおかなかったので、3時間の上演にはへこたれた。)

 

 シェイクスピアの原本(とされるものもあやふやだが)にはト書きが少なく、俳優の出入りや心理描写や演技のポイントなどはほとんど書かれていない。そこでセリフからキャラクターを想像・創造することになる。そのときにテキストばかりに固執すると、間違えることがある。特にキャラクターの造形において。そのうえ、上演に当たってはカットや順番の置き換えなどの編集がある。テキストに基づく思い込みを避けるには、舞台を見ることは必要。シェイクスピアも舞台で最大の効果を上げるように書いているのだから。そのようなことを舞台の見巧者に教えてもらった。先達の経験や知恵は参考になりますし、邦訳テキストで読み取った気になったものには、高慢の鼻をへし折ってくれます。
 筋やキャラに興味を惹かれるだけでなく、政治学の教科書になるし(これは俺はなかなか読み取れない)、ナショナリズム民族学から読むことも可能だしと、シェイクスピアはなるほど我らの同時代人(だれかのキャッチフレーズ)。この400年間繰り返しシェイクスピアを読んで解釈してきたイギリスの人々にはかなわないけど。