odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

富原眞弓「ムーミンのふたつの顔」(ちくま文庫) 作家であり挿絵画家である作者のシリーズにはいくつもの「ふたつの顔」がある。

 「ふたつの顔」は多重的。この国ではムーミンはアニメ→児童文学→コミックスの順に知られているが、ヨーロッパではコミックス→アニメ→児童文学の順に知られているそう。アメリカではほとんど人気がない(なのでWWEフィンランド遠征した時、日本出身のTAJIRIは同行したアメリカ人レスラーがムーミンを知らなかったことに驚いている)。作者はフィンランド育ちであるが、人口が少ないので、文芸書は少部数しか刷られずすぐ品切れ絶版になってしまう。なので、トーヴェ・ヤンソンが残したムーミンの仕事が手軽に入手できるのは日本だけらしい。



 トーヴェ・ヤンソン(1914-2001)はWW2直後からムーミンシリーズを書きだした。そのうち「楽しいムーミン一家」の英訳が評判になったので、英国の新聞社からストリップコミックを連載するオファーが入る。そこで1952年から契約が終わるまでの1959年までトーヴェは仕事をし、彼女が疲れてからは弟が引き継いで1970年代まで連載が続いた。これが評判になり、繰り返し転載されたり本になったりした。また日本で作られた二つのアニメシリーズ(昭和と平静)もヨーロッパで放送されて人気を博した(ただし昭和のシリーズはトーヴェが気に入らなかったので封印)。
 これらの事情は児童文学の解説にはなく、おそらく本書で初めて紹介された模様。なにしろ著者はムーミンシリーズにほれ込んで、フィンランド語を学び、未訳の大人向け小説を翻訳し、著者本人と面識も得た方。これほどの打ち込みがあるので、記述は淡々としているが情報量は多い(付け加えると、著者はシモーヌ・ヴェーユの研究者。岩波文庫にあるヴェーユはほとんど著者による)。
 さて「ふたつの顔」。いくつもの意味がある。まず、シリーズの作者トーヴェは作家でありかつ挿絵画家。自作の挿絵を自分で描くので、それぞれが補完しあって作品の多層性を描く。作家としては児童文学およびコミックスの子供向けとポストムーミン期の大人向けの二種類を書く。厳密に分かれているわけではなく、ムーミンシリーズの「海に行く」「十一月」は大人向けでもあるとのこと(やっぱり!)。作品も前半の「夏」シリーズと後半の「冬」シリーズに分けることができる。著者が注目するのは後半の「冬」シリーズ。孤独・不安・老いというテーマがユーモラスに書かれる。人物の的確な観察が素晴らしいし、文章と挿絵にある沈黙・空白が持つ喚起力に目を見張らされる。作品全般には両義性があり(二面性ではないので注意)、意図された曖昧さや言い落としがある。そのぶん読者は想像力を働かせないといけない(その補助になるのが挿絵なので、一緒に読み解きましょう)。
 こういう「ふたつの顔」や両義性などに、俺はこれまで無頓着でした。なので、ムーミントロールのいじいじした性格や歯切れの悪い冒険などに似たような行動性向がある俺をダブらせて読むしかやってこなかった。おかげで、ママやちびのミイやおしゃまさんやモランのような女性キャラの重要さを全く見落としてました。「ムーミンを読む」「ムーミン谷のひみつ」で指摘されていたことを再度確認。
(あとムーミン谷には学校がない。子供は学校に通っている様子はないし、大人が教師をする様子もない。たいていの児童文学では学校に通う生徒であることが前提だけど、これは例外的な作品。作者トーヴェ自身が学校嫌いであったという。学校に行かないでもいいという世界は子供には貴重だね。)
(児童文学ではパパとママとトロールの外見は区別がつかないジェンダーレスだった。コミックスになると、新聞社の意向で読者が混乱しないようにパパとママとトロールジェンダーがはっきりする(パパはシルクハット、ママはエプロン、トロールはとくになし。これも先進的。)
 本書は前掲書ではほとんど触れられていなかった作者トーヴェ・ヤンソンの評伝でもある。これもあまり知られていなかった。彼女自身にも「ふたつの顔」がある。ひとつはフィンランド語が優勢なフィンランドにおいてスウェーデン語話者であるというエスニック・マイノリティであること。もうひとつは本書ではまったく言及されていないセクシャル・マイノリティであること。21世紀の10年代に作られた伝記映画ではこの面が強調されていたはず。

 

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