odd_hatchの読書ノート

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トーヴェ・ヤンソン「ムーミン谷の彗星」(講談社文庫) 突然訪れるカタストロフィに対して日常を守ることの意味と価値。

 小学生のころ、読書は好きだったが、貧しい家だったので本を買ってもらうことはあまりなかった。あるとき、母が移動図書館で借りてきたものを読んでいっぺんに好きになってしまった。小学4年生から卒業するまでに、「ムーミン」「ドリトル先生」「ツバメ号とアマゾン号」の各シリーズを繰り返し読んだ。
 ムーミンは1970年ころからTVアニメになった。吉行和子の声に魅了されて毎週欠かさず見ていたはずだが、それほど好きというわけではなかった。それはきっと、小説のほうにずっと魅かれていたからだろう(いや円谷プロの番組をみていたからだ)。

 「彗星」は1946年にかかれ、1968年に改訂された。ここでは改訂後の版を訳している。それだけお気に入りの作品であることか。出版年から深読みすれば、「赤い彗星」は理由なく現れ、ムーミン谷を衝突地点にし、周囲に災いをもたらすというのだから、ナチスの記憶の反映であるだろうし、あるいはソ連の脅威の象徴であるかもしれない。作者の作品はどれも暗さや孤独感が漂う独特な世界であるのだが、とりわけこの「彗星」は終末感や無力感が強い。「彗星」という外部の圧倒的な力を前にして、適切な行動をとることができないのだから。のちの「冬」「パパ海に行く」「十一月」も暗いがそれは個人の憂鬱感や家族と離れてしまったことなどに由来して、自力の回復が可能なシチュエーションなんだよね。それほどにこの作品は特異な位置にある。個人的には、もっとも好きな作品。
 さて、「赤い彗星」が地球と衝突するニュースがもたらされる。ムーミンとスニフは天文台を訪問する旅にでる。途中、スナフキンと会い、スノークおよびそのお嬢さん(「ノンノン」という名はアニメだけのもの)らも加わって、旅の道ずれは増えていく。天文台の観測によると、衝突するのは4日後。あたりの人はあわてて疎開を開始するが、ムーミンたちは家に帰ろうと決める。スニフの見つけた海辺の洞窟がきっと守るから。海は蒸発し、気温の上がる中、彼らは幾多の冒険ののち、家に帰還する。それは衝突の前日。彼らは生き延びることができるか?
 主題とは関係ないところでいくつかの思い付きを箇条書きで。
・旅の一行は、地球の破滅に対して興味をもたない。ムーミンスノークのお嬢さんは一目あったその日から幼い恋の花開き、互いに思いやることに関心がある。スニフは小さい体で他の人に注目されないから、自分が重要であることを周囲に認めてもらおうと行動する。スノークは破滅よりもこの一行のリーダーシップを取ることに関心があり、スナフキンはまったくの無関心に見える(ちなみにスナフキンは「自由」で気ままな生き方の象徴になっているが、その裏には行き倒れや遭難死する覚悟があるんだ。その覚悟をもって、共同体とか家族と決別しないと「自由」は獲得できない)。それだけでなく、二人のヘルムは昆虫採集か切手収集に現を抜かし、それ以外のことを重要と思わないし、じゃこうねずみはニヒリスティックなデマを撒き散らして周囲を不安にすることを楽しんでいる。ムーミンパパとママの夫婦も自分の家族を守ることが重大事。「地球の破滅」が目前にありながら、その大状況にまっすぐ向き合う人がいないのだ。
・でも、彼らの有様を見ていると、この国におきたカタストロフィーに対する人びとの反応によく似ていることがわかる。あるいは、1939年から45年の戦争でフィンランドでもよく見られたことかもしれない。そのあたりの観察というか、類型化というのは作者のすぐれたところ。
ムーミンパパとママは、ごく気軽に子供たちを旅にださせる(旅に出る二人の言動は小学生の低学年のものだ)。数泊かかる、まず野宿になることが前提になっている旅に出発させる。この国だとちょっとありえないような子供への対応。ちょっと前の海外旅行記を読むと(小田実とか開高健など)、北欧の青年は20歳から大学卒業前あたりにバックパックをかついだ「無銭旅行」にでるというから、それとも関係しているかな。自由とか自立というのは、問題を自力で解決するという経験を経た上で確立するもの、そんな市民意識をみたりして。ゲバラ「モーターサイクルダイアリーズ」と比較するとよい。
破局を迎えることが明白になったとき、2種類の行動が現れる。ひとつは家財道具一式をまとめ家族と一緒に疎開すること。もうひとつは地元に残り、友人たちといっしょに最後の時間を楽しむこと。ムーミンたちは途中の村で祭りをしているのに遭遇。この祭りの雰囲気と挿絵がとってもすてき。ムーミン村に帰った後も、ムーミン一家の洞窟への引っ越しは祝祭的な楽しさに満ちている。ママは花壇を囲む貝殻を星3つ(必ず残すべきもの)に選ぶのだからね。スナフキンはハーモニカに星3つで、それでリストはおしまい、というのも格好良かった。
・1968年の改訂によって、スニフが子猫を見つけ気にするという描写が追加されたという。この子猫はいったいなにを象徴しているのかな。スニフが気にかけるというのは旅の間に何度も繰り返されるが、子猫が現れるのは最後の最後。あと数分で衝突するというのに、子猫がいないのでスニフが探しにでかけ、道を見失ってしまう。子猫は完全に自分のことしか考えていないで、「行きたいときにいくわ」「ね、ほれ、わたし、やわらかいでしょ」。でも、彼女がいること、そしてムーミンたちのいる洞窟に迎えられたことが希望に思えるのだ。
 つぎのところがクライマックスかな。

「『ママ、もう地球は、こわれちゃったの』
『もう、すんだのよ。わたしたちの地球は、こわれたかもしれないけど、ともかく、すんだのよ』とムーミンママは答えました(P196)」


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 追記。「彗星」の前に「小さなトロールと大きな洪水」(講談社)が書かれていて、翻訳もある。読んだけど、手元にないので、感想を書けなかった。