odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

フョードル・ドストエフスキー「賭博者」(河出書房) 賭博に感じる恐怖とふるえ、全生命が凝縮している一瞬、忘我の法悦。自己破壊・自己破滅を望むマゾヒスティックな気分。

 「罪と罰」連載中にどうしても長編を書かねばならなくなり、にっちもさっちもいかないので、速記ができる女性を雇い(のちの妻)、27日間で口述筆記した。すでに構想ができていたのと、舞台がなじみの賭博場であったので取材が必要なかったので、驚異的なスピードで完成したのだろう。

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 25歳の「わたし」はドイツのルーレテンベルク(架空の町)でロシア人の「将軍」の家庭教師をしていた。暇なときには賭博場にいりびたっている。「わたし」は将軍の木を引いているフランス人の金持ちマドモワゼル・ブランシュに色目を引きながら、ロシア人のポリーナとの腐れ縁を切れない。ポリーナも文無しであるが(義父の将軍が彼女の財産を勝手に使っている)、なぜか「わたし」には高飛車である。「わたし」はポリーナの奴隷であると自認し、一方で殺意を抑えることができない。この卑屈とプライドの共存するマゾヒズム傾向の行動性向は新しい。ほかにもこの温泉町兼賭博町の人間関係がだらだらと書き連ねている。そこに将軍のお祖母さんがやってくる。このがみがみやでいじわるなメイトリアートは賭博を馬鹿にしながら、周囲の人を馬鹿にしながらルーレット場に行き「わたし」を助手にバクチに手を出す。ビギナーズラックで1万数千フランの勝ちになったが、翌日からはカモにされ数時間で9万フラン(現在価値にするとどのくらいなのだろう。10億円くらいすったのか)の負けになる。もうバクチはやらないといった車椅子のお祖母さんが周囲の忠告を無視して、賭博場に行くさまはすごみすら感じるほどのすさまじさ。ようやくモスクワに帰るころには、お祖母さんの遺産をあてにしていた将軍他全員が文無しになっているのがわかる。
 ここまでは「スチェパンチコヴォ村とその住人」のようなシチュエーションコメディ。「わたし」とポリーナの痴話げんかから始まり、温泉町にいる誰彼の確執がからんでくる。関係の複雑さ、思惑の多彩さで、鍋のなかが煮立ってきたところに強烈なキャラクターが登場し、さらに電位が上がり狂騒の度が増していく。このお祖母さんがビギナーズラックで大勝するところが最初のピーク、そのあとに大敗するさまがクライマックス。人々が狭いところに集まり、ドタバタが周囲に波及するさまをしつこく書いていく筆はみごと。お祖母さんが失意のうちに退場すると、コメディの余韻が消える。
 そのあと、もうひとつのテーマだった「わたし」と複数の女性とのからみになる。お祖母さんが大敗したために遺産をあてにしていた将軍はにっちもさっちもいかない。将軍が使い込んだ金をポリーナが返済しなければならない。「わたし」はわずかな金を手にして賭博場に突進。それから二日間ほど一睡もしないでルーレットに賭ける。そこに感じる恐怖とふるえ、全生命が凝縮している一瞬、忘我の法悦。実存の姿がそこに出来したかのような集中。この描写はみごと。ギャンブルに興味のないおれは、ここの記述に恐怖を覚える。リスクをとること事態に快感を感じることはできない「堅実」型の生活だからな(とはいえ、いろいろ失敗しているので、そうとも言えないのだけど)。
笠井潔「熾天使の夏」も賭けに実存をみている。こちらでは賭けに負けること、自分を破滅に追い込むことへの快感が主題になる。)
 「わたし」は借金の返済に十分な金を作るが、ポリーナは受け取り拒否(札束を「わたし」に投げつけるという激しい拒絶)。呆然とする「わたし」に将軍のフィアンセは2か月で全部使って見せるといい、パリに行き、その通りの期間が過ぎて蕩尽が終えた後、「わたし」は捨てられる。この二人の女性キャラクターは強烈な印象を残す。ドスト氏の小説(ないし19世紀の小説)では、女性は聖母マリアのような純潔・無垢で、他者奉仕の自己犠牲で、自己主張をすることは少ないのだが(ソーニャ@罪と罰が典型)、この二人は主張する女性。自分で人生を設計して演出し主演になる人。あいにくこの小説の中では、無分別で軽はずみな行動をし、男性を痛めつけることに執心する奇矯さがめだつ(リーザ@カラマーゾフの兄弟の前駆か)。「わたし」による男性目線が彼女らをそのように性格付けてしまったのだろう。
 たいていは「わたし」の自虐的な性向、自己破壊・自己破滅を望むマゾヒスティックな気分に注目するだろう(「ぼく」@地下生活者の手記、ミーチャ@カラマーゾフの兄弟をみるよう)が、おれはこの女性の方が興味深かった。後期長編のような巨大さはないし、深淵な人生と哲学のテーマはないが、ドスト氏の技術と新しい女性像を楽しむ掌編。


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 執筆直前の1863年、ロシアはポーランドの反乱を武力で鎮圧して、ポーランド自治権を奪った。そのため、西ヨーロッパではロシアは不人気で悪者。ドイツの温泉町で「わたし」ほかのロシア人が嫌われるのはそのため。ルーレットにのめりこむお祖母さんのまわりをポーランド人が助手になって、お祖母さんの金を抜き取ったり毟ったりするような悪党に書かれているのも、ドスト氏がロシア人のせいか。新潮文庫のカバー解説で「ロシア人に特有な病的性格を浮彫りにする」とあるけど、ごく少数の事例を集団に広げるのは拡張しすぎ。

 

 ショスタコーヴィチプロコフィエフがオペラにした。

フョードル・ドストエフスキー「永遠の夫」(河出書房) とてつもないエネルギーをもった闖入者が語り手の生活をぐちゃぐちゃにし、冒険に導き、新たな認識に導く。闖入者は失敗して、語り手の周囲から放り出される。

 「白痴」1868年と「悪霊」1871年の間の1870年に出た中編。

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 中年(38-39歳)の独身男ヴェリチャーノフはとみに老いを感じ、ヒポコンデリー(というが記述をみるとうつ病だ)にかかっている。町で帽子に喪章をつけた男が妙に気になり、あとを追いかけていたら、なんと深夜3時にその男が自宅にやってきた(寝ている最中にやってくるというのは、スヴィドリガイロフ@罪と罰か、イワンの前に現れた悪魔@カラマーゾフの兄弟)。妻の忌中なのでこうしているという告白に愕然。すなわち9年前地方に赴任していたヴェリチャーノフは不倫をしていたが、その相手が男パーヴェル・パーヴィロヴィチの妻だったのである。妊娠したと聞いて町から逃げ出したのだが、パーヴェルは知らないらしい。この男は卑屈でありながら、なれなれしくて勤め先を探してくれという。話を聞くと、幼い娘リーザをいたぶっているらしい。ヴェリチャーノフはリーザをパーヴェルから引き離して、知り合いの家に預ける。娘はパーヴェルのいじめにあっているというのに、ヴェリチャーノフの仕打ちに喜ばない。むしろ「あの人(パーヴェル)は首をくくるわ」と不吉な予言(「ネートチカ・ネズヴァーノヴァ」やネルリ@虐げられた人々みたいな娘)。引き取られた1週間後に高熱を発して死亡してしまう(子供は虐げられるというドスト氏の主題の繰り返し)。葬儀の翌日、泥酔したパーヴェルを家に入れる。「接吻してくれ」といわれて、そうするとパーヴェルは寝込んでしまう。ふと目を開けると、パーヴェルはヴェリチャーノフを上から見下ろしていた。
 しばらくして、パーヴェルは婚約した結婚の段取りをつけるので同席してほしいと、ヴェリチャーノフに頼む。その家で老人は同意していたが、若い娘たちはパーヴェルを毛嫌いし、物笑いに。婚約者も結婚する気はないと、プレゼントの腕輪を返すようにとヴェリチャーノフに頼む。軽蔑されたパーヴェルは宴席を途中で抜け出す。ペテルブルクにもどると、娘のフィアンセという青年がやってきて、婚約を破棄しろと迫る。ヴェリチャーノフは青年が帰った後、胸の痛みに七転八倒狭心症?)。パーヴェルに解放されるが、ふと目を覚ますと、パーヴェルはカミソリでヴェリチャーノフを襲おうとしていた。数日後、青年はパヴェルは首をくくったと報告。
 二年後、すっかり復調したヴェリチャーノフは職場復帰。ある時駅で、口やかましい女と結婚したパーヴェルと再会。女にやり込められているところをみられたパーヴェルはさらに卑屈に。でも、ヴェリチャーノフの握手を拒否し、しばらく見つめあう。そのあとの行方は知れない。
 初期大江健三郎の小説にあった「迷惑な闖入者」テーマ。とてつもないエネルギーをもった闖入者が語り手の生活をぐちゃぐちゃにし、冒険に導き、新たな認識に導く。たいていの場合、闖入者は失敗して、語り手の周囲から放り出される。そういうドラマの手法を使ったもの。上のサマリーにあるように、ドスト氏の小説には類例がある。ほかには「分身」もそうか。ドスト氏の場合だと、闖入者は語り手にとても良く似ていて、しばしば区別がつかない。語り手の特徴のある部分(ことに嫌なところ)を誇張し拡大したものだ。だから語り手は闖入者を憎む。でも離れられないので、バカにするか、策を凝らして破滅に導こうとするか。ここでもヴェリチャーノフは自分の分身(なにしろ同じ女の相手だぜ)を懲らしめようと、いろいろ画策する。
 そのひとつが、パーヴェルを「永遠の夫」と名付けること。すなわち、不倫の相手は「不貞の妻」であるが、そのことを知らずに「不貞の妻」に踊らされるアホな夫を「永遠の夫」と揶揄すること。ヴェリチャーノフはリーザを自分の子どもではないかと疑う(だから熱心に預け先を探す)が、パーヴェルは微塵もそのようなそぶりをみせない。ヴェリチャーノフの揶揄と懲らしめは次第にエスカレート。
 では「永遠の夫」はそのようなバカにされるだけの存在であるかというと、そうも言いきれない。ヴェリチャーノフに転任運動をたのんだり、結婚の段取りに同席してもらったりなど依存しているようであるが、ときに不合理な行動を示したりもする。泥酔して接吻を頼むのがその例であり、ねているところを上からみおろしていたり。リーザや青年には「くびをくくる」といわれていながら、ヴェリチャーノフにかみそりで襲おうとしたり。「ネートチカ・ネズヴァーノヴァ」の父親みたいに、仕事で挫折して自己破壊・自己破滅を望むような自暴自棄な人間ではなく、なにか恐ろしいことを考えているのではないかと思わせるのだ。パーヴェルはそのことを一言もしゃべらないので、それだけに不気味。「気」を味わえない性向は、共同体の中にいる人間からは理解不能な存在。みかけは馬鹿でドジな男が妻の死から転落し、その途中で人に迷惑をかけまくる滑稽譚であるが、その人間像は恐怖の対象。内話が記述されなければ、ラスコーリニコフ(あるいはスタヴローギンは、スメルジャコフは)はパーヴェルのように見えるのかもしれない。
 最後のシーン。駅頭で再会したヴェリチャーノフはパーヴェルと握手しようとして、手を引っ込められる。

「『もしわたしが、わたしがあなたにこの手を差し出したら』と彼は左手の掌を差し出して見せた。そこには太い切り傷の痕(あと)がまざまざと残っていた。『そうしたら、あなたは握り返したことでしょうな!』と彼は血の気が失せて、わなわなとふるえる唇でつぶやいた(全集10、P481)」

  太い切り傷はパーヴェルがヴェリチャーノフを襲ったときにできたもの。その傷を見ること、痛みを思い出すことでパーヴェルがどのようなことを考えていたのか。なぜ握手する手を引っ込めたのか。20世紀であれば、ここから一編のサスペンス小説ができそう(たとえば「ゾシマ長老@カラマーゾフの兄弟」のエピソードに触発されて江戸川乱歩が「吸血鬼」の冒頭を書いたように)。


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フョードル・ドストエフスキー「論文・記録 上」(河出書房)-1「ロシア文学について」 言語と土地(ボーチヴァ)を共有するネーションの住民が国家の主人になる。ナショナリズムの発生過程が見える。

 ドストエフスキーが書いた創作・手紙以外で、かつ「作家の日記」以外の媒体で発表したもの。このあとでてくる「ヴレーミャ」はドスト氏の兄ミハイルと一緒に出していた雑誌。収録されたものの多くは匿名であるが、のちになってドスト氏の筆になるものと確認された。
(全集別巻「ドストエーフスキイ研究」によると、「ヴレーミャ」は実質フョードルひとりの編集。第1号から「虐げられし人々」、続いて「死の家の記録」が連載された。ここに収録されている文章は雑誌の編集、長編の執筆と同時進行で書かれていた。この時期、ドスト氏は膨大な仕事をしていたわけだ。)

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ロシア文学について 1861 ・・・ 序論、ヨーロッパにとってロシアはスフィンクスの謎であり、ロシアにはヨーロッパ理念は移植されないという議論。第1章「・・・ボフ氏と芸術の問題」、「政治と文学」vs「芸術のための芸術」。第3・4章「書物と文盲教育」、民衆と知識人の乖離。第5章「最新の文学現状」、西洋派vsロシア派。ライバルの雑誌に出た論文や書籍などをネタにして、以上の話題を語る。論文には程遠い散漫で冗長な文章。
(なので、以下は読みながら考えたこと。ロシアは18世紀後半から近代化が始まる。文化に関してはフランスを規範にする。ルイ王朝風の王侯文化とフランス革命自由主義が同時にはいる。それから半世紀たった19世紀半ば。ヨーロッパに対する違和感がでてきて、このときのドスト氏などがロシア主義というナショナリズムを主張するようになる。これは100年あとの日本でも起きたことで、明治政府が西洋化を進め、言語革命(特に書き文字)を起こしてから西洋派の文学ができる。しばらくして西洋のインパクトが薄れると、日本再発見の回帰や「近代の超克」などのナショナリズムが起きる。共通するのは、ナショナリズムで祖国を発見するには、いったんヨーロッパを受容する体験をすること。西洋(に限らず異国)の文化を導入しようとして、それだけでは現実を説明しきれない、変革できない経験がある。そのような西洋(に限らず異国)に対するアンチやカウンターとして「祖国」を発見することになる。ナショナリズムが依拠するネーションは昔からあるのではなく、異国に対する反論や反発として再発見するのだ。これは江戸時代にもあって、異国の学問である儒教陽明学だったか)が幕府の学問であったので、それに対する反発が国学者にあって、「やまとごころ」「もののあはれ」などの日本古来(とされる)のものを「再発見」したのだた。いったん再発見すると、発見の経緯は忘れられて発見したもの・ことの古さから、ネーションは古来からあるものだと錯覚する。重要なのは、統合のためのネーションはあいまいきわまりない。そこで持ち出すのが、言語と土地(ここロシアではボーチヴァ)。この二点を共有するのがネーションの住人であり、国家の主人となる。以上のような議論をドスト氏は行っていて(とくに序)、ナショナリズムの発生過程をリアルタイムで見ているような感じだった。
 文学問題でいえば、ヨーロッパ文学(おもにフランスとドイツ)を洗礼を受けて、自国語で小説を書いた世代(プーシキンゴーゴリ、ネクラーソフ)の後継世代になると、小説を書く、それにふさわしい言語を作るという問題から、次の問題が浮かんでくる。それが第1章以降の「政治と文学」vs「芸術のための芸術」、民衆と知識人の乖離、西洋派vsロシア派。これもまた20世紀前半の日本文学が議論した問題。日本の作家はこれらの問題に大量の言葉を作ったが、ドスト氏の論文を読んでいれば、すでに議論済だったのがわかったかも。まあ、ドスト氏の議論はそのままでは移植できないが(それは序で言っていることと同じ)。柄谷行人日本近代文学の起源」を使って読むことになるだろう。
 ドスト氏はペテルブルクのインテリや知識人に、ナロードニのにように民衆の中に入る、生活を共にするだけでは民衆を理解できないと啖呵を切る(これも日本の民衆作家がいったのだろうな)。この論文では揶揄しかしていないが、後の長編で実作した。なるほど「罪と罰」のソフィアやマルメラードフ、「カラマーゾフの兄弟」のアリョーシャに集まる子供たちを読むと、ドスト氏は民衆を描いたと得心する。)

 


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