odd_hatchの読書ノート

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笠井潔「熾天使の夏」(講談社文庫)

 熾天使というのは旧約聖書その他に登場する天使の最上位にあるもの。単数でセラフ、複数でセラフィムと呼ばれる。我々は、英EMIのクラシック音楽の廉価レーベル「セラフィム」や映画「マトリックス」の登場人物「セラフ」でなじみがある(かな)。作中では「羽根でランプの硝子を夢中で叩いている蛾にたとえた」、「ランプは神の聖なる光の比喩」、「狂った蛾はランプの灯に喜んで身を焼かれるだろう」と描写される。この比喩を推し進めれば、「バイバイ、エンジェル」で矢吹駆の告発の中で、革命の最中、3日間しかもたないバリケードのなかで灼熱の生を生きて殺される革命参加者にまでのメタファーであると理解できる。

学生運動に伴うリンチ事件の首謀者として、三年間の刑務所生活を終え、ひっそりと男は暮らしていた。ある日彼は、自分が誰かに尾行されていることに気づく。待ち伏せてみるとそれは昔の仲間であったのだが……。頭蓋の奥で響く囁きに誘われるように飛翔を試みた、かつて革命の時生きた男は、何を思い、何を求めるのか。矢吹駆の罪と罰を描いた、シリーズ第ゼロ作としても知られる、笠井潔の原点! 幻の処女長編テロリズム小説。
熾天使の夏 - 笠井潔|東京創元社

 奇数章と偶数章で異なる物語がかたられる。それは最後にひとつにつながる。
 偶数章は変名「矢吹駆」の国内での話。出獄後、かつて指導していた革命組織から接触され、同時に同棲していた女性と再会する。現指導者を「強さ」で打倒することにより再び組織の、テロリズムに傾斜する運動を始める。印象的なのは途中のスパイ査問であって、この陰惨さと執拗さ、そして当事者(査問するものとされるもの、暴力を振るうものと振るわれるもの)の心理的な倒錯の叙述は圧倒的。ここは埴谷雄高「死霊」、大江健三郎「洪水はわが魂に及び」などの文学、立花隆日本共産党の研究」「中核vs核マル」などのノンフィクションに記されたリンチ描写を想起しながら読み込もう。彼らは4名の極小メンバーだけで(究極の革命組織は結社でなければならないという綱領に基づく)、爆弾闘争に向かう。この国の巨大資本で、国内海外に公害を垂れ流す企業をターゲットにする。当初は今後の闘争「宣言」程度の意味であり、他者危害を目的にはしていなかったが、参謀格のメンバーの「背信」により一般市民、ただの従業員を巻き込んだ無差別殺傷テロリズムに変容する。1975年前後に相次いだ新左翼による企業爆破テロ事件を思い出すこと。さっそく公安などの捜査が始まり、組織メンバーは逮捕、自殺、自爆する。主人公は海外に脱出する。
立花隆「日本共産党の研究 3」(講談社文庫) - odd_hatchの読書ノート
 奇数章は、東南アジアのどこかの島のリゾートホテル。主人公は「革命」の止揚を図り最終的な「存在の革命」の実現は「完璧な自殺」でもって成就すると考える。しかしそれを実現するためには、充実した生を経験する必要がある。ということで、ホテルの賭博場に行き、全財産をかけたルーレット勝負に挑む。ここではもっぱら彼の思弁が語られる。彼によると革命というのは、現政権を打倒する行為やその後の新政治体制を作ることだけではない。それは革命のほんの一部。革命は(1)自己の革命、(2)社会の革命、(3)存在の革命の3つの階梯を踏んでいかなければならない。通常言われるような革命は社会の革命の一部に過ぎず、その参加者は自己のルサンチマンとか不満をぶつけているだけ。そうではなく、自己を革命家として変容させることが重要であり、そこではa.家族の所有の禁止、b.定職(労働)の所有の禁止を持って生きなければならない。ここは「バイバイエンジェル」に登場する「赤い死」の主張と同じ。家族の所有の禁止というのは、ある種の宗教団体とかイスラエルキブツなどで実践されていることだ。定職の所有の禁止=労働の禁止というのは、マルクスの考える「賃金奴隷制」の廃止と同意味だろう。まあこんな方法で国家と労働を止揚した生物にならなければならない。いずれにしろシモーヌ・ヴェーユのいうような、人間は「重力」にとらわれていて、常に堕落・退廃に向かっているという考えに近い。そこから抜け出すためには、自己の改革、革命者(職業革命家のような定職者ではない)への変容を実行するということになる。
 そのような「革命」志向も全財産、生命をかけた賭博の結果が出る直前の一瞬における充実にはほとんど無意味であることになる。ドストエフスキー「白痴」にあるような永遠を圧縮した一瞬のような神秘体験を経たのち、彼は「完璧な自殺」の観念を捨てることになる。このあたりは多くの宗教家も経験したことに類似しているかもしれない。たとえばパウロの改心にあたる神秘体験とか。あるいはPKDのピンクの光の体験とか。注意するのは、駆の本質直感はルーレットの目を正しく予測しているのだが、彼の精神(でいいのか?)はそれを裏切る選択をする。そのような破滅を欲望するときに生は輝かしい一瞬を垣間見せる、らしい。ないしは破滅や死に近づいたときにか。いずれにしろこののちの駆は、欲望を断念しながらも、至高の生を生きることを実現しようとしたらしい。
 このような魂の遍歴により、革命による自己変革と存在の止揚(とまとめていいのかしら)に挫折する。賭博場の至高の一瞬の意味があまりに重大であった。となると、彼の冒険は宗教的な神秘体験を苦行によって経験すること(ヒマラヤのチベット仏教寺における体験、さらに地吹雪による存在の空虚認識の体験)、西洋哲学でほとんど唯一「存在」の核心に理性的にアプローチしようとする「現象学」への傾倒というのは理解できるコースである。
 なお、国内編において同棲する女性との間で「革命」に関する議論がある。ここでは「観念的な殺人」や「党派観念」を揚期する考えとして「愛」がすこし語られる。肉体同士の交合とその神秘体験が存在の核心に触れるのだ、という考えかな。この思想はのちに「ヴァンパイア戦争」の九鬼が反復し、「哲学者の密室」のラストシーンにつながるものだ。あと、埴谷雄高「死霊」の第八章「月光のなかで」で津田安壽子が赤子を抱いたときの平安の感覚につながるのではないか、とも妄想した。
 問題はおそらく最初に書かれた小説であるために(それまでアジびらや政治雑誌の論文などは書いていたにしても)、ひどくよみずらい。ただ、これを書かなければその後の膨大な小説を書けなかったと思われる。万人向けとは言えないが、「テロルの現象学」や「バイバイエンジェル」の秘密結社の綱領などを理解する手助けになるので、興味のある人はどうぞ。