odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

ホルヘ・ルイス・ボルヘス「伝奇集」(岩波文庫)「工匠集」 一個の固有名にたくさんの情報を圧縮。固有名から広がる連想やイメージが豊穣にあり、読者が想像を楽しむ。

工匠集(1944年)

プロローグ ・・・ 「出来は多少ましだが、この本の作品は前の本におさめられた作品と同工異曲である。」とはなんと御謙遜を。「ショーペンハウアー、ド・クィンシー、スティーヴンソン、モースナー、ショー、チェスタートン、レオン・ブロワなどが、わたしが絶えず読み返している作家たち」だそうで、のちに自身で編纂した叢書がつくられた(翻訳あり)。

記憶の人フネス ・・・ 事故にあった青年は過去の記憶を失うが、代わりにそのあとの体験をすべて記憶する能力を身に着ける。「彼は、多様で、瞬間的で、耐えがたいほど精級な世界の孤独かつ明噺な傍観者だった(P159)」。記憶と思考(さまざまな相違を忘れること、一般化すること、抽象化すること)の違い。

刀の形 ・・・ 顔に刀傷をもったアイルランド人に会う。彼は重い口で、「ヴィンセント・ムーン」という卑劣漢の話をする。これはマチズモの話。最後の一行でひっくり返りが起きる。チェスタトンの「折れた剣」をちょっと思い出した。

裏切り者と英雄のテーマ ・・・ 要領を得ない話だなあと思ってネットで見ると、こんな感じか。アイルランド独立の英雄キルパトリックが裏切り者を探させると、自分自身であることが分かる。キルパトリックは裏切り者の処刑を劇にして、そこで死のうとする。ノーランに演出させたが、シェイクスピアの作品の模倣となった。劇的な味わいにかけているのは、真実を明らかにする手がかりであるだろうと推測する。ま、演技者と演出家の関係が入れ替わり立ち代わりで、決定できなくなって混乱したという事態(だと思う)。チェスタトンにこんな趣向がありそうだが、なんらかの「真実」を書き残すのがチェスタトンの流儀。

死とコンパス ・・・ 律法学者ヤルモリンスキー博士とアセベドが刺殺されたとき、名探偵レンロットはユダヤ教の文書の研究を開始した。死体のそばに「御名の第○の文字は語られた」のメモがあったから。最後の殺人のあと犯人の潜むアジトに向かう。という探偵小説が進行する。物証ではなく神意とか文書を研究する探偵は、ほかにもいるねえ。小栗虫太郎「黒死館殺人事件」クイーン「ダブル・ダブル」など。この掌編で驚愕するのは、探偵の推理の軌跡を推理した犯人が探偵の思惑通りに犯罪を実行するという前代未聞の解決になっているところ。「一本の直線でできていて、目に見えなくて、切れ目もない、迷路(P198)」のなんとイマジナリーなことか。この迷路の三次元版が、砂漠というわけだ(ボルヘスの小品にあったけどタイトルを忘れた(調べたら「二人の王様と二つの迷宮」とのこと。「エル・アレフ」か「ボルヘスと私」に所収。でもこの二冊をおれは所有したことはない。ではおれはどこで読んだのか。)
<追記2019/10/1>
 調べたら、「ラテンアメリカの文学1」集英社のハードカバーでした。ここに「エル・アレフ」が収録されている。

隠れた奇跡 ・・・ ナチスによるチェコ併合の日、ドイツ神秘主義の研究者でありユダヤの血を引く中根のとこが捕らえられ、銃殺が決まる。未完成の戯曲があるのが心残りで、夢の中で神に完成のための1年間の猶予を願う。銃弾が発射されると同時に時が止まり、男は戯曲の完成に心血を注ぐ。サルトル「壁」ににた状況でも、話はまるで異なる。

ユダについての三つの解釈 ・・・ イスカリオテのユダをどう解釈するか、近代になってさまざまな読み直しが行われている。ここにいる神学者もそうで、ユダの解釈を何度も発表するが、世間は無関心のままだった。作家は20世紀の終わりに発見されたグノーシス文献である「ユダの福音書」を見ることはなかったのだよなあ。どんな感想をもったかしら?

結末 ・・・ 半身不随になった男のところに黒人が現れ、7年前の決闘の続きをしようという。夕暮れの平原。言葉の網の中で、だれがだれなのかが分からなくなり、誰にでもなり替われる。

フェニックス宗 ・・・ 歴史にあらわれることのないフェニックス宗のサマリー。独自であるが、かならず別の宗団に同化するので区別できない教団。自分が所属しているかどうかも信者にはわからない。この宗派のアイデア二次利用したのがコリン・ウィルソン「迷宮の神」にでてくる「不死鳥教団」。

南部 ・・・ 敗血症で死にかけた男が治って、南の田舎町にいくと、ならず者に因縁を付けられ、横からほおりこまれたナイフで決闘することになる。これから起こることと、敗血症治療の際に見た自分の死が重なる。アルゼンチンの南はより寒い荒れた土地に行くこと。(解説をみたら、階段で頭をぶつけて敗血症になったというのはボルヘス自身に起きていた)


 解説には訳者自身の手で、生涯・著作・作品解題などが紹介されている。読みの素人である自分には付け加えることはないので、併せて読んでもらえばOK。
 巻末に訳注がついていて、作品中の固有名詞の出典や人物紹介が載せられている。註のつけられた箇所がたくさんあって、ボルヘスが知っているというのに驚くが(それを調べる努力にも)、一個の固有名は読者の眼に素通りするのに、いかにたくさんの情報を圧縮しているかにも驚く。当然作品のテーマに関係しているのだが、その固有名から広がる連想やイメージが豊穣にあり、読者が想像を楽しんだ後で作品に戻ると、作品の深みというか別の灯が射しているというか新しいものに見えるというか、そんな仕掛け。なので、読者もまたたくさんの読書をして、知識を持ってから、再読するとボルヘスの作品は別の・新たな輝きを見せるという仕儀になる。そういう作品はまあ、まずない。読書のプロが敬愛するのがよくわかる。
 ただ、自分はボルヘスのような芸術そのものをいつくしむように小説を読まない・読めないようにしてきたので、過去の読書の時ほどのめりこめなかった.

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