odd_hatchの読書ノート

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ジャン・ポール・サルトル「壁」(人文書院)

水いらず1938 ・・・ 頭のいい学生が、物語(ストーリー)はないけど小説(ノヴェル)を書いてみたというのかな。リュリュとアンリの若い夫婦。アンリは不能でリュリュは憐憫とも嫌悪ともいえる感情を持っている(本当に?)。で、リュリュは友人リレットと話をしているうちに、アンリを嫌っていることに気づく。リュリュとアンリの最後の夜。部屋を出て行くリュリュ。パリに残されたリレットがリュリュのことを思い出す。ほとんどは内面描写だけど、表層の言葉の流れだけ。読者に伝わるのは、こいつら何も考えていないな、感情に流されているだけだな(それは読者自身の実存のあり方なのだが)ということと、ここにいることに対する強い嫌悪、自分が自分であること、自分が肉体の牢獄から抜けられないことへの嫌悪。そんなところ。

壁1937 ・・・ 高校の教科書に載っていたな。懐かしい。スペイン市民戦争。義勇軍に参加した「私」は捕えられ、死刑を宣告された。仮の牢獄の地下室に、3人が押し込まれベルギー人(フランス人は彼らをジョークの種にする)の牧師と一晩を過ごす。夜明けに死刑になると決まった人間はどのような行動をとるか。サルトルはひたすら肉体と外面を描写する。汗をかくとか、イライラするとか、不眠になるとか。これはやはりハイデガーの内面化された死にたいする批判かな。ある偶然(口からでまかせ)が行方知れずの別の指導者を告発することになり、「私」は一人死刑を免れる。そのとき「私」は笑い転げたのだが、なぜだろう。高校教科書の質問にあったが、まだよくわからない。とはいえ、フランクル「夜と霧」ソルジェニツィン収容所群島」、峠三吉「原爆詩集」を読了すると、これは深き淵を充分に覗いているとは思えない。

部屋1938 ・・・ 第1部はブルジョアの夫婦の会話。一人娘がある男と同棲している。母は娘が男に抱かれたことを恐怖し、父は男がしばらくすると発狂することを恐怖している。彼らは娘を説得しようとするが功を奏しない。第2部は娘の視点で男を観察する。男は奇妙なことを口走り、娘を別の人間であると思い込んでいる。そして娘は男に翻弄されることに倦み、彼が発狂したとき、殺すだろうと予感する。いずれも一人の視点から描写され、そこから離れない。すなわち他者理解の困難が読者に見えてくるという仕掛けになり、ここには探偵=神はいないサスペンスの世界であると認識する。なお、若い白井浩司がこの短編の冒頭にでてくる「トルコ菓子」としたお菓子はなにかと尋ねるシーンが堀田善衛「若き日の詩人たちの肖像」に出てくる。

エロストラート ・・・ アンドレ・グリュックスマンのコメント「世界貿易センタービルの崩壊は、エロストラート症候群が世界中に蔓延したことを示すものだ。これは、記憶に残るような破壊を実行することで、みずからを不死にしようとする病だ。エロストラートは紀元前三五六年に、世界七不思議のひとつであるエフェソスのディアーナ神殿に火をかけた。http://polylogos.org/chronique/201.html」 理由はよくわからないが、殺人をする権利を有していると妄想する男。拳銃を購入してから、事件を起こすまでの内面描写。彼は事件を起こした後に自殺しようと考えている。自殺することで、彼は神や宿命を克服できると考えたからだろう。しかし、彼の観念や妄想を肉体が裏切る。まるでハドリー・チェイスの犯罪譚。ボリス・ヴィアンのほうがハードボイルドを書かせるとうまいな。ここでも不能が問題になっている。

一指導者の幼年時代 ・・・ 子供のころから自意識過剰な男がいる。彼は女の子として育てられ(たしか病弱な子がちゃんと育つようにという風習だったかな、ジイドがそう育てられた)、のちにまあ常習的なうそつきになっていく。そして人びとを手玉に取る方法を取得し、女遊びをして、ついには自分の思想と関係なしに民族主義右派のリーダーになっていく、というような話(というのは途中で飽きて読むのをやめたから)。訳者の中村真一郎ジョイス「若い詩人の肖像」と比較していたが、自分ならマン「詐欺師フェリークス・クルルの告白」だな。

 「壁」が全体のモチーフか。短編「壁」の壁とは、銃殺される直前に背中に感じるものであり、逃走しようとする男を拒み、銃弾を打ち込ませるもの。銃殺される人間=死すべき人間=すべての人を拒む「現実」の謂いか。「部屋」においては人と人の間にあるもので、交換・交通を拒否することども。まあエヴァンゲリオンのATフィールドだ。他者の内部に行くことを拒んでいるもの。それを資本主義の疎外というべきか、実存主義の孤独というべきかはわからないけど。まあ、僕ら読者には理解可能な概念だ。
 「壁」は短編の起承転結をきっちり踏まえたものだけど、その他はその種の韻律を踏まえていないというか、もっと長いものになるはずを途中で放棄したかという印象。あえて「実存主義」や「アンガージュ」などの彼の主題のキーワードをカッコに入れて読んでみると、同世代の作家、ガスカールとかポール・ニザンとかボリス・ヴィアンとかと比較して、「小説」の職人とは思えなかったなあ。どうもエリート主義とかブルジョア育ちとか、人生の苦慮を知らない頭のいい若者が書いているのだなあと見えたのでした。自分の読んでいない戯曲や時事評論のほうがよいらしい。
 どうでもいいだろうけど、「水入らず」の冒頭を読んでいて、大江健三郎「われらの時代」を思い出した。若いころの後者が文体と人物をここら辺に依拠していたのだなあとほほえましかった。