odd_hatchの読書ノート

エントリーは2600を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2021/9/25

ジャック・フットレル「思考機械の事件簿III」(創元推理文庫)

 「思考機械」という詩的なことば(シュールリアリズムかダダの詩人が使いそうじゃないか!)に引かれて、「ブラウン神父」譚のような人工的な短編であるだろうと10代のときに考えていた。そのために、ずっと手を付けていなかった。最近100円で入手。
 驚いたのは挿絵にでてきたオーガスタス・S・F・X・ヴァン・ドゥーゼン教授の風貌。短背、禿げ上がった額、もじゃもじゃの白髪、眼鏡の隙間から上目使いに見上げるまなざしの邪悪なこと。これは1950−60年代B級怪物映画のマッドサイエンティストではないか。史上最も風采の上がらない探偵ではないかしら(後のほうではもう少し若くなっているのではあるが)。文章も平易で、状況描写もごくありきたりのもので、「詩的」「思弁的」にはほど遠い、通俗ミステリでした。しかも、1900年代初頭に書かれたのであって、洗練さのない無骨でストレートなミステリだった。その点では今日のミステリで読みなれている人には「読む価値なし(どこかのサイトの感想)」であるだろう。(まあ「13号独房の問題」を除いては、という制限付きで。)
 それでも面白いと思った点。ワトソン役としてハッチントン・ハッチという新聞記者がいる。この若造は粗忽で騒々しい奴で、事件に巻き込まれてはあわててドタバタしているのだが、それが物語を推進する力になっている。だから最後にドゥーゼン教授がデウス・エクス・マキーナよろしく述べる宣託が引き立つことになる。ホームズ探偵譚では、ホームズ自身が事件をかき回す役割をして、ワトソンはずっと唖然としているのだ。このあたりの役割交代は作者の意図的なものだろう(と思いたい)。
 書かれた時代は前述のように1900年代初頭。19世紀の世界秩序が残っていた最後の時代になる(ホームズ譚の10から20年後)。このときには電話が普及し始めていて、貴族と企業、官庁の有線ネットワークができていた。それは一部の家庭に電気が通っていたことも意味し、前述ホームズ譚や「黄色い部屋の謎」ではガス灯にランプであったのが、電球の照明になり、市内を馬車と電車が交錯していた。新聞、雑誌のメディアも部数を大きく伸ばしていた。その点では、平穏な時代・文化の爛熟の時代であったのだ。
 思考機械譚に限らず、ホームズのライバルたちの話には、貴族の夫婦の危機が描かれることが多い。一見仲睦まじい夫婦であっても、家の中では、あるいは個人の気持ちの中では不和が隠されている。それがときに噴出して、事件になってしまう。これは、そっくりそのままフロイトのヒステリー研究と精神分析に連なるものではないか。フロイト超自我−自我−イドというのはロンドンやウィーンの貴族の「家」の構造と一体であるのかもしれない。