odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

ミシェル・ルブラン「殺人四重奏」(創元推理文庫) 意地の悪い女優を殺したと4人の関係者が自白する。誰が本当の犯人?

 「人気絶頂の映画女優シルヴィーが殺された。報せをうけた映画監督、脚本家、俳優たちの表情は硬い。素人から、瞬くうちにスターの階段を駆けあがったシルヴィー。傷つかずにやりすごせた者など、はたしていたのか? かくて、殺したのは自分だと皆が言う、巧緻な物語の幕があがる。フランス推理小説大賞受賞、華麗な技巧の傑作。」
殺人四重奏 - ミッシェル・ルブラン/鈴木豊 訳|東京創元社

 これは小粋なサスペンスだ。90分くらいのフランス映画(ゴダールの出てくる前のタッチで)にするとよい、それも特別有名な俳優が出てくるのではなく、映像や語り口に特徴のあるようなものであればなおさらに。
 意地の悪い女優が殺される。ありふれた話だ。しかし、彼女を殺したと自白する監督・女優・脚本家が現れるが、4人の自白が行われる。しかし、彼らの告白は一致しない。ではいったい誰が殺したのか。最後の1ページでようやく判明する。そこにいたるまでのナラティブの面白さ、設計の見事さ。そして有名女優の裏面にひそんだ機会主義者としての顔。彼らはいずれも女優の踏み台にされ、深く傷ついていた。
 1950年代のミステリーやサスペンスが面白いのは、シチュエーションや語り口に工夫が凝らしてあること。ここでは複数の証言の食い違いであるとか、映画・演劇界の舞台裏を使うとか、告白の文体を職業にあわせていろいろ変えていることとか、そういう点。通常こういう実験的な手法を使うと、物語を読む面白さは後ろにいってしまいがちだが、彼らエンターテイメントの作家はそういうことにはならない。そして最後には、いくつものどんでん返しが用意されていて、「ヤラレタ」という感じを味わったとたんに終了するというサービス振り。これを読んで深刻になることもなく、上質の舞台を楽しんだという感じが残り、次の食事や酒が楽しみになるという次第。
 もうひとつの特徴は、50年代のエンターテイメントの世界は、モラリッシュで上品であるということ。暴力は生じるがそれは風のようにすぐに通り抜けてしまうもので、われわれの生活を脅かすものではない(しかし当時は冷戦のまっさいちゅう)。本質的には安心と慰めのある世界。まあ、ハドリー・チェイスミッキー・スピレーンのような例外はいるけど。いや、こちらのほうが売れていて、ルブランやジャブリゾのほうが例外なのかな。
 (だからフィリップ・K・ディックの小説は異質で、当時の読者はとまどったのだな、と唐突な感想を付け加える。)