odd_hatchの読書ノート

エントリーは3200を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2024/11/5

浜尾四郎「日本探偵小説全集 5」(創元推理文庫)-2「殺人鬼」 「グリーン家」の強い影響は受けていても、完全な模倣にはなっていない犯人当て小説。

 東京地検の元検事でいまは私立探偵の藤枝真太郎のオフィスに、家が不穏であるので調査と警備をお願いしたいという若い女性がやってきた。聞けば秋川製紙株式会社の社長の娘。この絶世の美人に、藤枝の親友・小川雅夫は一目ぼれ。藤枝に依頼を受けるように薦めた。

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 秋川家は創業一代の大富豪。当主駿三は45歳の若さであるが神経衰弱が亢進して、社長業を止めている。最近、次女さだ子に縁談があり、居候の大学院生・伊達正男と婚約している。しかし妻・徳子はこの縁談に反対。資産の三分の一を分けるのがおかしいというのだ。これにはさだ子と険悪が状態にある長女・ひろ子(藤枝への依頼人)も同調。三女・初江と長男・駿太郎はティーンエイジャーであって、いまのところ意見はない。さて事件は、駿三とさだ子に脅迫状が届くことにある。三角形の封蝋をみて駿三は血相を変えた。藤枝らに依頼のあった翌日、妻・徳子が就寝中に毒殺。病弱で服薬が多かったが、中身が入れ替えられていたらしい。数日後、夕暮れの団欒中に、家を抜け出した駿太郎が裸に向かれたうえ絞殺されてて、その近くでは女中の佐田やす子も絞殺されていた。いずれも秘密の呼び出しを受けたために、広大な敷地に出たと思われるが、だれがやったかはわからない。三女・初江が西洋風呂で溺死し、藤枝らは「風呂場の花嫁」とつぶやく。もちろん「浴槽の花嫁」事件であり、牧逸馬が「世界怪奇実話」の一編で雑誌「新青年」に紹介している。とうとう、脅迫状の予告した5月1日が訪れ、重大な秘密を見せようという駿三が書斎にこもると、突然の悲鳴に物音。部屋にはいると、駿三は恐怖の表情でショック死していた。
 事件の梗概をまとめると、このようになる。険悪な家族でつぎつぎと殺人事件が起こり、館のなかに「殺人鬼」が跳梁跋扈するというのは、ひろ子の愛読するヴァン・ダインの「グリーン家殺人事件」そのもの(ちなみに本作中で犯人が明かされているので、先に「グリーン家」を読むこと)。1928年にアメリカで出版されたものが翌年には邦訳があった(九鬼紫郎「探偵小説百科」)。大変な評判を呼んだそうで、探偵小説の愛好家の常識になっていたのがわかる。
 この本邦作は1931年に名古屋新聞に半年かけて連載されたもので、この作が「グリーン家」と異なるのは、学生書生や女中など家族以外のものにも役割が与えられるところ。秋川家に対抗する伊達家との長年の確執が明らかになり、館の周辺をその係累がうろうろとしていて、さらにさだ子の依頼した別の探偵も出てきて、警察と二人の探偵による推理合戦が繰り広げられる。くわえると、作品の趣向やプロットは、このあとに書かれたクイーンの長編に近い。「グリーン家」の強い影響は受けていても、完全な模倣にはなっていない。
 21世紀のすれっからしの読者からすれば、仕掛けは簡単に見えてしまうのではないかな(といったが、いつものように自分は犯人当てに失敗)。ただ、こういう閉鎖的な空間で人が次々殺されるという趣向を日本の読者は好むのと、戦前探偵小説ではここまで犯人当てに固執し、意外な犯人の創出を試みた長編はまずないので、評価は高い(小酒井不木「疑問の黒枠」木々高太郎「人生の阿呆」蒼井雄「船富家の惨劇」くらいか。小栗虫太郎「黒死館殺人事件」は別格。乱歩には翻案しかないし、横溝が書くのは戦後になってから)。
 とはいえ、自分は初読も再読も読むのがつらくて。記述の大半が藤枝と小川の推理談義。秋川家の事件の描写は調書か新聞記事を読んでいるような味気ないもの。探偵と記述者以外の人たちが記号のごとき存在のあいまいな人たち。とてもではないが感情移入できない。それは新聞連載という制限であってときどき前回までのあらすじをいれないと読者が混乱するからだろう。および当時の文学の主流の自然主義リアリズムの影響もあると思う。
 さらに、動機のわかりにくさ。動機の存在が40年も前にさかのぼるのは興ざめ。殺し方や時刻錯誤トリックにこだわりすぎるのも同様。なぜ主要ターゲット以外の人たちを殺したのかが説明不十分。ここは坂口安吾が日本の探偵小説に不満をもつ下記エッセイの指摘とおりだとおもう。
坂口安吾 推理小説について
 結果、リアリズムの文体でありながら、おとぎ話を聞かされるという齟齬がでてしまった。

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 大正教養時代の反映か、そこかしこの蘊蓄や教養がおもしろい。藤枝や小川は学生時代(1900-10年ころ)にイプセンロマン・ロラン、ストリンドベルリ、ベルグソン、オイケンを読んでいたというので、当時の流行が分かる。


 駿太郎が部屋にいると思わせるトリックにはSP蓄音機がつかわれる。聞くのはショパンの葬送行進曲。「かけていたSPがパデレフスキーでよかった。パハマンだと聞き取れないから(うろ覚え)」というのもクラオタにはほほえましい。あらえびす「名曲決定盤」にあるように、パハマンの機械吹込みは音が悪く、パデレフスキーの新録はよく聞き取れるから。こういうのも当時の読者はしっていたのだろう。
パハマン演奏の葬送行進曲(録音年不明。1910年前後と推測)

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パデレフスキー演奏の葬送行進曲(1928年)

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 パハマンとパデレフスキは、中村紘子「ピアニストという蛮族がいる」(文芸春秋社)に詳しい。