甲賀三郎(1893-1945)は戦前の探偵小説作家。技手になった公務員時代に大下宇陀児や江戸川乱歩との付き合いがあり、30歳のときに「真珠塔の秘密」でデビュー。人気作家になる。享年51歳という若さで死去。
琉璃のパイプ 1924 ・・・ 台風の夜、ある家で火災が発生。そこに男女、そして子供の死体がみつかった。留守を預かる管理人一家。ある新聞記者が現場でちぎれたノートを見つける。そこから最近おきた万引き事件に白昼強殺事件に関係があるとわかり、新聞記者は一日の取材で犯人を見つけてしまう。その数日後、事件を知った「私」のもとに分厚い封書が届く。なんとも迂遠な書き方。「私」が知ったことをその順番でメリハリなく書くので、概要をなかなかつかめない。ゴシックロマンスや草紙の書き方だね(時間が前後するが、 坂口安吾「坂口安吾全集 12」(ちくま文庫)-「明治開化安吾捕物帖」1 が同じ書き方だった。乱歩と横溝のストーリーテリング技術は見事だとわかる)。関東大震災の二年後の発表。自警団、夜警団が出てくる。
支倉事件 1927 ・・・ 読売新聞に連載。この年に正力松太郎が虎の門事件の警備責任から引責辞職したあと社主になったので、手柄話を書かせたということらしい。元になったのは島倉儀平事件。ある宣教師が聖書の窃盗事件を起こす。出頭の前に逃走。以後警察を嘲弄する手紙を送りつけるが、逮捕される。その間に放火、詐欺、強姦、殺人、死体遺棄放火殺人事件などの疑いがもたれる。神楽坂署(正力が署長)拘留中に自白。しかし裁判では自白を否認し、冤罪を主張。獄中から関係者に嫌がらせや脅迫の手紙を2000通以上発送した。二審が決心する直前に、獄内で自殺。この奇矯な人物(嘘をつき、人をだまし、他人に強圧的・支配的で、執拗で、自信が強く、他人に共感しない)は、現在でも似た人は多くいそう。本来なら一対一であってはならないのであるが、大正時代(逮捕が大正6年)にはそういう知識はなかった。そのうえ、自白を得た時点で検察にまわしたので、物証に乏しく、裁判でそこを突かれる。この人が無罪であるか有罪であるかは判断つかない。むしろ、正力を立てるために著者が書いた大正から昭和初期の警察には問題点だらけ。密室の取り調べでは、別件逮捕(容疑は道交法違反)、長時間拘束、自白誘導、取引、拷問示唆、被害者とされる人骨を顔に押し付けるなど、人権無視のことばかり。刑務所においても、同等の事例が書かれる。書かれた時代(昭和2年)を考慮すれば、歴史的資料ということもできるが、あまり気分はよくない。のちに正力は大政翼賛会総務であったり、CIAへの協力者となり、自由民主党総裁をねらったりした。右翼の「黒幕」みたいな存在になった。その片鱗が正力30代前半の少壮時を書いたこの小説で見えてくる。いやあ、被告にも警察にも共感できず(むしろ嫌悪感をもつ)、しんどい読書でした。ちなみに、この国の探偵小説勃興期のこの時期、小説よりもこういう犯罪実話が喜ばれたとのこと。
蜘妹 1930 ・・・ 物理化学の博士が突如引退して、円形の塔をつくって毒グモの研究を始めた。ある晩、唯一の友人の博士が当から転落した。「私」は放置された塔で真相を知る。犯罪隠匿よりもゼロ時間へ(@クリスティ)至る心理に興味の主眼。それより乱歩「パノラマ島」「鏡地獄」のような引きこもりの夢想がおもしろい。
黄鳥の嘆き 1935 ・・・ 二川子爵のひとり息子は雪渓を掘る仕事にかかっている。突然睡眠薬で自殺したという報が入る。数日して、友人野村の父(二川家の顧問弁護士)と死んだ子爵の息子から分厚い手紙が届く。30年前からの恩讐が書かれていた。なんて大時代な物語。出生に疑惑を持つというのは横溝正史「面影双紙」1930年に似ている。手紙という告白の持つ迫力(嘘が書かれていない、真実のみがあるという読者の思い込みを強化)。
青服の男 ・・・ 田舎町で青服の男が突然死。しかしその男はもともと名乗っていた男ではないのがわかり、なんだかんだあって真相がわかる(いいかげんに読み飛ばした)。似たような趣向はチェスタトンにあった。こちらは冗長で、とても遅いテンポなので退屈。あとこのころには文学にしか現れない田舎方言ができていた。
以下は青空文庫 作家別作品リスト:甲賀 三郎 にあるものから。
真珠塔の秘密 1923 ・・・ 美術展の目玉は真珠でできた塔。欲しいという外国人がいるので、模造品をつくったら、展示会で模造品にすり替えられていた。本物はいったいどこへ。
ニッケルの文鎮 1926 ・・・ 物理の先生の女中のモノローグ。ある晩、先生が自殺した。書生の二人は警察に連絡もしないで家探し。ようやく警察の捜査が始まると、ひとりがもう片方を犯人と指摘した。そのあとの真相。冗長、仕掛けはルヴェル風。
贋紙幣事件 1930 ・・・ 村でニセ札が使われた。印刷所もあるらしい。犬の足裏の汚れ、盗電などを調べながら、森少年は真相に至る。「少年倶楽部」に掲載された少年小説。これと都筑道夫の和木探偵もの(1960年ころから)には大した距離がない。
罠に掛った人 1931 ・・・ 不況で生活苦になった夫婦。生きていく甲斐がないと思い詰めて、高利貸しを殺すことにする。夫は途中金を拾い家に帰ると妻が殺しにでかけている。止めなければ・・・。殺人犯にはならなかったものの。当時の世相の反映。21世紀の10年代にはこれがリアルにありそう。怖い。
血液型殺人事件 1934 ・・・ 法医学の泰斗・毛沼博士が泥酔した翌朝、ガス中毒で死んでいるのが発見された。事故死ということになったが、ライバルの笠神博士の動向がおかしい。そこで二人に師事している「私」が調べてみることにした。奇怪なのは私の血液型はB型なのに、両親はAとOなのだ(いまなら高校の生物で習うことが当時の先端知識)。なんともテンポののろい話。親の世代の隠し事を調べるうちに、自分の正体に気付くエディプスの物語。
1930年代に「本格」「変格」の探偵諸説論争をし、「本格」優位を主張した作家。でも、こうやって実作を読むと、主張とは必ずしもあわない。多くが犯人の心理に注目。犯人当てには凝っているが、論理的な謎解きをするわけではない。技手であったことからか、機械的・物理的なトリックが多く、基礎知識を持たないものにはちんぷんかんぷん(同時期の小酒井不木が医学的な知識を使ったのと同趣向)。
読みながら思ったのは、デビューのころは私小説の全盛期。半径3mくらいのできごとと自分の心理のちまちまを書く小説に飽き足らない人が、とくに「理系」の人が小説を書くとこんなふうになるのだろうなあ。大きな出来事を楽しく書いて、波乱万丈に、という意気込みであるのだろうが、この19世紀生まれの人が書くにはそれまでの文学運動や文体が大きく影響していて、ブレーキがかかったみたい。文体が古くて、物語はせせこましく、型にはまった心理描写。
(それを思うと、江戸川乱歩と横溝正史の文体は新しく、古びない。もしかすると、1980年代の「新本格」の小説も100年後に読んだら、今2017年に甲賀三郎を読むような古めかしさを感じるかもしれない。)
ただ、私小説ではないこしらえものの小説であり、犯罪をテーマにすると「社会」を発見するかもしれない。「贋紙幣事件」「罠に掛った人」のように。でも当時のプロレタリア文学のように社会変革を志向することはないだろうから、どこかでブレーキがかかり煮え切らない小説になったかも。木々高太郎「人生の阿保」、佐々木俊郎「仮装観桜会」他いくつかみたいに。
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