odd_hatchの読書ノート

エントリーは2400を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2020/10/13

レイモンド・チャンドラー「かわいい女」(創元推理文庫)

 兄の行方を捜してほしいと、かわいい娘が依頼してきた。電話で断った(この会話が絶妙のうまさ)あと、娘は事務所にきて、20ドル札をおいていく。まずは娘の兄オリンの住むアパートに行くと、麻薬中毒らしい管理人に邪見にされ、隣室の男に話を聞くとオリンを知っている。部屋を出ると、管理人は殺され、部屋に戻るとなにものかに殴打され、目を覚ますと隣室の男も殺されている。凶器はアイスピック(この翻訳では氷かき)。隣室の男のかつらに、ネガの預け証を見つける。ホテル・ディックの線から、隣室の男を訪ねた車があることがわかり、そこから映画女優にたどり着く。彼女の内の一名は、隣室の男の写真に写っていた。一緒にいたのは町のギャング。
 そこに、隣室の男が最後の電話を掛けた相手の医師や、俳優のエージェントをしていて映画界の黒幕になっている男や、何かあくどいことを企んでいるらしいレストランの経営者(のちに殺される)や、ひとりで1500館の映画館を持つ映画製作もやる会社の社長(この人物の描写は見事)などがでてきて、だんだん話の流れがわからなくなる。オリンは潜伏先で殺されているのが分かる。映画女優はマーロウに言い寄ったり、マーロウにキスされたり、ウソをついたりと、出現ごとに豹変する。ついには、マーロウに発射されたばかりの拳銃を押しつけて、姿を消し、そこにあった死体を通報したら、警察に拘留される。そこまでのどん底のあと、マーロウは真相に思い当たり、もう一度走り回ることになる。

 後半をはしょったサマリーになったのは、この作家の常としてストーリーが散漫なため。たぶん隣室の男が隠そうとした写真は、映画女優のプライベートを撮影したパパラッチのものであったのだが、一緒に写っていたのがギャングのボスたち。それが暴露されると危険、ということでマーロウの先回りをし、関係者にいろいろな手を打ち、それぞれが自分の得になるように勝手に行動して、事件が錯綜したようなのだが、そのことを作家は書かない。ほのめかしするだけ。代わりに細部の描写に集中する。これは自分の好みには合わないなあ。(作家が注力した細部は見事で、依頼者の娘との複数回の会話はみごとだし、なぜ登場したのかよくわからない映画会社社長の人間不信、ビジネス不信も優れた造形。また事務所で一人寝するマーロウの独白も男の独身者には切実きわまりない。)
 もうひとつの不満は、事件によって浮かび上がるものがとても些末で、個人的である点。もちろん金を得るのは生活のために重要であるとしてもね。事件の解決によって、個人的な所有や名誉の欲望があらわになったり、みかけとうらはらの流されやすい性格がうかびあがったりしても。そのうえ、危険な事態になっても、事件の関係者は闘わない。酒やドラッグにふけり、裁断されるのを待っているだけ。せいぜい機会主義者のようにそのつどの都合で迎合したり、裏切ったり。行動や思想の参考になる人物がいない(マーロウですらも)。だから、読後には「で、それはおれ(読者)とどんな関係があるの?」と思うのだ。比較するのはチャンドラーには酷かもしれないが、ハメットやマッギヴァーンの社会悪の告発や正義の実現の可能性、ロス・マクドナルドの家族の崩壊や強力な父権の喪失などの大きなテーマが浮かび上がるのとはずいぶん違う。人は細部の描写やマーロウの性格に興味を持つようだが、ここには自分は興味をもてない。どうも自分はこの作家と相性が良くない。1949年作。
 このあとチャンドラーはハリウッドに行って、映画の脚本を書く仕事を引き受ける。