odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

カルラ・ヘッカー「フルトヴェングラーとの対話」(音楽之友社) 長年の付き合いがあった女性作家による思い出。戦中演奏会を聞いた人による迫真の記録。

 カルラ・ヘッカーは20世紀前半のドイツの女性作家。父に音楽家を持つので、素養は十分。1942年からフルトヴェングラーと懇意になり、指揮者との対話を継続的に雑誌や新聞に連載していった。その交友は指揮者の死去まで続き、1961年にこの本にまとめられた。翻訳初出は1967年で、どうやら絶版の様子。

 たぶんフルトヴェングラーの研究書や伝記はたくさんあると思うが(新刊書店に行かないので知らない)、1980年ころまではこれとクルト・リース「フルトヴェングラー」(みすず書房)くらいしかなかった。なので、当時のフルトヴェングラー紹介記事にはこの本に由来するエピソードを読むことがあった。有名なのは、第2次大戦最後のベルリンの演奏会。1945年1月23日。空襲に備えて午後3時開演。途中で停電が起こり、モーツァルト変ホ長調交響曲第2楽章の途中で止まる。

「とうとう優しいヴァイオリンの旋律も絶え果てた。フルトヴェングラーは振り向いた。彼のまなざしは聴衆と沈黙したオーケストラの上を迷った。(略)戦争、この血なまぐさい現実が、今やはっきりと精神的なものを打ち負かしたのだ(P68)」。

 聴衆は去らず、1時間後に演奏会は再開される。

「プログラムの最後に予定されていたブラームス交響曲で始めた時には、だれ一人それをふしぎには思わなかった。あのモーツァルトの優美、『清らかな喜びに満ち足りた』音楽は、もはやこの町では無縁のものだったのだ(P69)」

 あと同じく戦時中のバイロイトで「マイスタジンガー」を振った時の話、1947年5月25日のベルリン・フィル復帰演奏会(当時貨幣と同じ価値を持っていたコーヒーやタバコを切符売りにもって人々はチケットを購入した)、1954年のパリ演奏旅行(吉田秀和が聞いている)、同じ時期のローマ演奏旅行なども心を打つエピソード。ヘッカーとフルトヴェングラーの交友が始まったころは、エリーザベトとの再婚直後であるが、ほとんどエリーザベトは登場しない。
 さて、フルトヴェングラーの言葉で重要と思ったのは、

「私はいつでも『存在するもの』からではなく、『生成しつつあるもの』から出発します。私の思うに、音楽とは決してできあがっているものではない、それは第一小節の音が鳴り始めた瞬間から発展しはじめ、それに続くすべての部分はここからはじまるのです(略)重要なのは全体の気分、曲全体の雰囲気で、それが完全に意識されていなければならないのです(P118)」
「真の芸術はつねになんらかの仕方で超越的な世界に由来する(P158)」。

 ここから自分の妄想を展開すると、フルトヴェングラーが考える音楽は、聞き手や演奏者の日常性を突破して超越的な世界に触れる稀有な体験となるものであるのだと思う。それを「価値体験」(コリン・ウィルソンがいう意味において)といってよいだろう。日常性に頽落して、ルーティンの繰り返しになっている退屈した生をきらめきのある瞬間にすることだ。たぶんそういう音楽の超越性とか価値体験を目指す演奏家、音楽家というのはたくさんいたのだろうけど、それを何度も実現でき、かつ録音されたものでもその片鱗を感じさせることのできたのはこの指揮者くらい。
 この種の考えの根底には、ロマン主義的な心性があるはずで、19世紀の「ドイツ」という場所に彼がいたことが重要。彼にとっては「ドイツ」は芸術を価値体験にすることのできるトポスであって、場所・人・過去の伝統そういった芸術を成り立たせることごとが備わっている唯一の場所だから。彼が繰り返し「ドイツ芸術」というとき、単に楽譜や演奏家、聴衆などだけにとどまらないもっと大きなくくりで見ていると思う。そう考えてみると、フルトヴェングラーがドイツを離れなかった心情がわかるのではないかしら。
 もちろんこの種の考えは、当時でも少数者のもの(たとえば、亡命東欧人のセルやオーマンディホロヴィッツなどには理解しがたいだろう)であり、今ではこういう風に芸術を考える人もいないと思う。


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