死の問題にとりつかれた一人の青年が永生を夢みて不老長寿の研究を始める。研究は前頭前部葉の秘密に逢着し、彼は意識をほとんど無限に拡大し、過去を透視できるようになる。パラドックスを伴わない真の時間旅行がここに初めて実現する。だが意外な妨害が……。『アウトサイダー』の著者が描く、壮大な人間進化のヴィジョン。訳者あとがき=中村保男
賢者の石 - コリン・ウィルソン/中村保男 訳|東京創元社
なぜ20歳の自分はこの本にかくも魅了されたか。いくつかを列記すると
・「大人」は精神をないがしろにして、物質の充実を自己目的化して堕落している。
・科学の方法では精神を理解することはできない。もちろん現実の問題を解決することはできない。
・そのことに気付いている「わたし」はすぐれている。
・そのことに気付いている「わたし」は精神の進化を達成することができる。
・そのことに気付いている「わたし」には同じ目的意識を持つ「仲間」がいる。
・宇宙的な目的を理解し、その達成に参加することにより、自分は不死になることができる。
こんなところだろう。
物語の後半は、ラブクラフトのクトゥルー神話をなぞった超歴史的・宇宙的ビジョンが語られるのだが、それは主題ではないようだ。むしろ、前半に詳細に展開される「意識の進化」(ウィルソンの思想の中核にあたる)が重要であるとされる。「価値体験」*1を繰り返すことによって、本質を幻視し、えられた直観こそが「真実」であるのだということらしい。このあたりは「アウトサイダー」以来のウィルソンの思想(おかげで「意識」する人間は不死であるとなるし、近年ではガンも意識でもって克服できると吹聴しているらしい)の繰り返し。実現する太古の知恵として、ニセ科学・疑似学問の主題が現れる。すなわち、ツングース隕石(宇宙船の爆発とされる)、シェークスピア=ベーコン説、人類以前の超古代文明、ロボトミーのごとき脳外科手術、ヴォイニッチ写本、「波動」、などなど。
1960年代から科学批判が現れ、同時に太古の思想や幻視の思想に多くの人が魅かれた。作者は後者の運動にかかわった重要人物(なにしろ「オカルト」という本を出して、この国にこの言葉を定着させたのだった)。自分もたぶんそんな「感染症」に罹った口であるのだが、いつのまにか「治癒」したということになる。彼らの議論のつじつまがあっていないとか、現在の科学の知見で説明できることに超自然的な説明をすることを知ったとか、仕事が忙しくてこの種の放談につきあう時間がなくなったとか、恋愛と失恋を繰り返したとか、まあいろいろあるだろう。もっとも大きな理由は、この「わたし」がそれほど大したものではないと考えるようになったからだろう。別に宇宙的な目的とか超歴史的なプロジェクトに参加して不老不死を獲得しなくてもかまわない、宇宙的な時間では泡の一粒でしかない存在にすぎなくて結構、今の哀れな存在のままで結構、そう考えるようになったから。一時期、非常に影響を受けたけど、いまではもういらない。さようなら、コリン・ウィルソン。
いくつか。
・この本にはたくさんのクラシック作曲家の名前が現れる。ディーリアス、エルガー、ヴォーン=ウィリアムズらの英国作曲家、シベリウスとブルックナーの高評価(とりわけ後者に関する文章は面白い。ブルックナーの音楽は自然描写ではない、自然になろうとする意識だ。フルトヴェングラーのが最高。ワルターやクレンペラーの解釈は間違い、など)。のちの「音楽を語る」で同じことが語られる。
・もうひとつ。この本に入れ込んだのは、内省的な人間にとって、主人公の半生がなんともうらやましいこと。幼少のころから知的能力に優れていて、若い時からパトロンが現れ知的教育を施され、成年に達したら思いがけない遺産を得て、労働しないで済むようになる。そのあとは、大量の資産をベースにやりたい放題、しかも知的な美女をめとることができ、世界の危機を救う結社を作ることになる。こんなおとぎ話は、引きこもりにとっては天国なんだよね。
2016/09/02 山田正紀「神狩り」(角川文庫) 1974年
追記2011/7/19
オカルトやニセ科学に一時期傾倒し、のちにそれを克服したというエントリーがいくつか上がっているのをみた。自分のこの記述もそういうもののひとつになるかもしれない。
人に黒歴史あり - rosechild’s blog
追記2013/12/9
コリン・ウィルソン死去。2013年12月5日。85歳。いろいろ勉強になりました。ありがとうございます。