odd_hatchの読書ノート

エントリーは2600を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2021/9/25

吉田秀和「二十世紀の音楽」(岩波新書)

 振り返ると1950年代は古典(クラシック)音楽と現代(コンテンポラリー)音楽の転換点だった。後追いでそれはわかるのであって、その渦中にある者にとっては期待するものであったり、唾棄するものであったり、実験であったり、でたらめであったりしたのだろう。そのような渦中にあるものの、同時代のレポートがこれになる。

 抽象的にいうと、第2次大戦を境に音楽は変貌した/しつつある。整理すると変化したポイントはいくつかあって、1)音楽語法の国際性、2)作曲家の前衛、3)聴衆と演奏家の保守性、4)テクノロジーの影響、5)芸術の音楽産業化、6)余暇の産業化あたりにまとめられる。そのうえで、著者は、「二十世紀の音楽」の現状をa.演奏家、b.作曲家、c.聴衆と社会の3つの局面にわけて説明する。このあたりのまとめが見事。ふつう「二十世紀の音楽」を語るとなると、作曲者とその作品、音楽語法とその流派、みたいなまとめにするだろう。もちろんそのような説明はここにもあって、20世紀前半をロマン派/印象主義音楽への反発と克服とみなし、その流派を十二音音楽の一派、新古典主義の一派、ストラビンスキーとその折衷派のようにまとめる。力をいれているのは、十二音音楽を推進したシェーンベルクとウェーべルン、ストラビンスキー、ヒンデミットについて。バルトークは言及が少ない。そのうえで、1945年以降に現れた若者たちを紹介。シュトックハウゼン、ノーノ、ブーレ(まま:ピエール・ブレーズのこと)、ダラピッコラなどが注目株。これは、1954年の外遊で聴いた演奏会と知り合った評論家との会話、さまざまな本で知ったことなのだろう。かわりにジョン・ケージにはあまり言及していない。ここらの情報はトリビアすぎて、クラオタにしか通用しないのだろうなあ。
 ここで面白いみかたは、上記4、5、6あたりの音楽の外の変化を指摘すること。指摘にあたって音楽社会学みたいな分析が行われている。このころから夏の音楽祭がさかんになっていて、バイロイトザルツブルグルツェルンなどがとりあげられる。スティーヴン・ギャラップ「音楽祭の社会史」(法政大学出版局)で、のちに浩瀚にまとめられる題材が圧縮されてまとめられているので注目。あとは、ラジオ、レコード、映画などのテクノロジーと文化産業が作品と作曲家のあり方を変えているというのも。この時代だと、音楽のテクノロジー浸食は19世紀的な文化と精神を浸食するものとして忌避されることが多かった。
 さて、以下では著者について。いままでは音楽雑誌や演奏会パンフレットに書いていて、専門家やマニアが読むことを想定していた。ここでは新書。今までより読者の層が広くなり、必ずしも音楽の述語を知っているわけではない。そこで「です・ます」文体を採用し、極力観念的なことばを使わないようにしている。「音楽紀行」と同じく、外遊時代の経験が多く詰められているが、依頼を受けてから書き上げるまでに5年間を要した。あとがきによると、本を書くことは短期間であっという間に終えたようだが、その準備に時間がかかった。それはなるほど上のような音楽社会学のような視点を持つことであるだろうけど、自分は文体を発見することに時間がかかったのではないかと思う。著者紹介をみると、この時期(1957年初出)までの単独著作は「主題と変奏」ともう一冊。ということは、この書けなかった時期の鍛錬とか研究が彼の文体とスタイルと見出したのではないかと愚考。ともあれ、ここから我々の良く知る「吉田秀和」は生まれたのだな。内容ともども興味深いのだが、あいにく1950年代前半の情報を記載しているとなると、もはや一般的ではなく1970年代でもう品切れ、絶版だったのでは。
 あとこの時期に、著者はさかんに翻訳している。クセジュ文庫にたくさんあった。フランス文学を専攻していたのでフランス語文献を訳し、ドイツ人の奥さんをめとったのでドイツ語の文献も訳した。この翻訳という作業も、彼の文体とスタイルを見出すのに役立ったと思う。