ハーバード大学での講義録をまとめて1957年に発表。コペルニクスの「革命」とは何か?ということを考えた。重要なのは2点で、ひとつは現代の知識で彼とその知見を評価しないこと。現代の視点や価値が投影されて、遅れた彼ら-進んだ我々という偏見をもってしまう(こういうのを歴史的遠近法とか遠近法的倒錯と呼ぶのだっけ)。なので、コペルニクスまでの天文学を見直すとき、彼らの知識と考えを追体験するように読む。実はこれはなかなか大変で、ときに冗漫と思われる描写も我慢しなければならない。もうひとつは「概念図式」というアイデアで、要するにある技術者や専門家の集団が共有している考え(とでもいえばよいのかなあ)で、この概念図式はなかなか強固で(だから集団が共有しているのだ)、変化が難しい。のちに「パラダイム」にまとめられる。
さて本文を読むことにしよう。
第1章 古代における2つの球の宇宙 ・・・ 古代では思想的宇宙論と天文観測の結果が一致しているかどうかはあまり重要ではなかった。でもギリシャはそれを一致させようとした珍しい例で、のちに西洋に伝わる。二つの球は観測者のいる地球と、惑星や太陽も含まれる恒星天球。このふたつの球の間に人がいる。
第2章 惑星の問題 ・・・ 章の終わりのさりげない一行が重要だな。1章の「二つの球の宇宙」モデルは天文現象だけでなく、地上の運動から神学まで有効なモデルに拡張されていたという。なので、観測結果(惑星の逆行、輝きの変化、黄道を通過する期間の不規則など)がモデルの予測と一致しなくなっても、廃棄することが難しかった。あと、天動説では導円、周転円、エカントなどなどをモデルに付け加えていった。すごいなあと思ったのは、そのモデルによる惑星や太陽の動きを古代からの天文学者や暦の役人はイメージできたことか。「概念図式」は経済性(事象の説明が簡単)と肥沃性(未解決の現象の説明が可能でありそうなこと)、十分性(説明可能な現象の範囲が広いこと)が重要。でも、それだけでは新しい概念図式に変化することはない。
第3章 アリストテレスの思想における2つの球の宇宙 ・・・ 革命の前の宇宙論の典型としてアリストテレスのそれを検討。自分が図式化すると、ポイントは宇宙の充満(真空嫌悪)のアイデアで、そこから彼の運動論(物体はその本性に基づいてあるべき場所に戻ろうとする)、宇宙の有限性、地球の特殊性(宇宙の中心、不動性)、などが展開される。それが首尾一貫した体系であったことと、人の体験から生まれる素朴主義的な確信と一致していることなども重要。アリストテレスとは無関係に発展していた占星術と親和的で、古代から中世の知識人、教養人に強い影響を持っていた。
第4章 伝統の改鋳-アリストテレスからコペルニクス革命へ ・・・ さて2世紀のプトレマイオスからさき、天文学や宇宙論の研究は停滞する。理由は、ローマ帝国の滅亡によるヨーロッパの生産性の低下(人口の現状維持が精いっぱい)、カソリック教会の影響(科学への無関心、研究の停止、多くの本の消滅など)あたり。変化は、まず生産革命(農具の開発、農地利用の効率化など)、イスラム社会との交易(およびイスラム文化の流入)、航海家からの正確な地図と暦の要求など。まずアリストテレスとプトレマイオスの再発見とその著述の矛盾克服が行われる。で、のちにプラトンの著作が翻訳され新プラトン主義が発生。これは現世の出来事より、精神界やイデアの普遍性を探求するが、そのときにピタゴラスの宇宙論の影響も加わる。すなわち宇宙は法則や規則に則った秩序がある。そのとき宇宙のイデアのシンボルとして太陽が重要な意味を持ち、宇宙論では太陽が中心になる。天文学とはまだ合致しないが、コペルニクスが新プラトン主義者であったことはのちに重要。ヨーロッパ中世の精神史や科学史の記述はなかなか難しいし煩雑になるのだが、これはうまくまとめているなあ、という感想。
前半終了。まだコペルニクスに至らない。
ここまでの話で重要と思うのは
・アリストテレスとプトレマイオスの宇宙論や運動論は、その議論の中では合理的で、人の素朴な自然主義的な「自然」や現象の見方と一致していて説得力があった。それは惑星の運動から地上の物体の運動までを一貫した理論で説明できるものだった。決して「遅れた」「非科学的」な考えであるとは言えない。古代や中世の人々も合理的な思考をしていたのであって、その要求にこたえるものだった。
・その宇宙論や天文学の体系も批判や修正の要求がでるようになる。ひとつは、技術の高度化や産業からの要請に基づくもの。観測精度の高まりや人工生産物の巨大化、社会の複雑化などによって、より正確な予測を求められる。最初は、理論の部分的な修正で対応可能であるが、あまりに複雑になり、観測と理論の不一致がめだつようになってくる。もうひとつは、外部の思考による影響。アリストテレスとプトレマイオスの本だけを読んでいるうちは理論や体系に懐疑的ではないが(とはいえこの二人の間に矛盾があり、弥縫できないだろうという予感はあったみたい)、プラトンや古代の文芸に書かれた別の宇宙論を考えるうちに、既存の概念図式とは別の発想をするようになる。
・コペルニクスの革新は個人的な発想に還元できるものではない。上記のような歴史、そして彼の周囲にある知的環境などの影響が大きい。コペルニクス自身が占星術師であり、新プラトン主義者であったのは、彼の革新と無関係ではない。
トーマス・クーン「コペルニクス革命」(講談社学術文庫)→ https://amzn.to/3W4Be5C
トーマス・クーン「科学革命の構造」(みすず書房)→ https://amzn.to/3JvRHrL https://amzn.to/3U2E1K0
野家啓一「パラダイムとは何か」(講談社学術文庫)→ https://amzn.to/3W3Wjgi
ハーバート・バターフィールド「近代科学の誕生 上下」(講談社学術文庫)→ https://amzn.to/4b2kPme https://amzn.to/3Q8gyFP https://amzn.to/3UmToOx