odd_hatchの読書ノート

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トーマス・クーン「コペルニクス革命」(講談社学術文庫)-2 コペルニクス自身は「革新」を主張しない。影響を受けた人たちがのちに新しい宇宙観をつくる。

 続いて後半はコペルニクスの革新とその影響について。面白いのは、コペルニクスはのちの「革新」にあたることを一切主張していなかった。のちの人は、コペルニクスの宇宙観(地球を宇宙の中心から外し、球体であるとする)がもつ可能性に魅かれて、新しい発見をその上に構築していった。ここは高校教科書の記述と大きく異なるところなので、注意すべし。

第5章 コペルニクスの革新 ・・・ コペルニクスの主著「回転について」には、今日「コペルニクス革命」として知られている本質的要素の大部分が書かれていない。すなわち「コペルニクス革命」はこの本を読んだ人が言わせたことの中にある。「回転について」は革命的ではなく革命を生み出した。
 コペルニクスが新しい宇宙モデルを提唱するのは、アリストテレスプトレマイオスの体系が散漫であることと観測結果と一致しない(とはいえ彼の時代までの観測データは極めて不正確だった)ことにあった。あいにくのことながら、彼の提案は太陽と地球の位置を交換し運動の説明を変更することであったが、宇宙論は決して新規ではなくより古い体系に似ていた。さらに惑星の導円を真円であると説明したために、周転円を導入(全部で30個も)せざるをえず、数学的説明のややこしさと観測結果の精度はプトレマイオスのそれと大差がなかった。理論としては経済性がなかった。その点では彼は最後のプトレマイオス主義の天文学者とみなせる。
 一方、彼の本を読んだ後継者は、第1章の彼の宇宙論には興味を持たなかった。地球が動くという指摘とそれを数学的に記述するところに着目した。そのときには、惑星の逆行を簡便に説明し、惑星の軌道の相対的大きさを数学的に論証でき、地球に3つの運動(自転、公転、歳差運動)があるという運動論の簡潔さ、が重要とみえた。

第6章 コペルニクス天文学の理解 ・・・ 16世紀の半ば、1543年にコペルニクス死去。同年に「回転について」出版。この本の天文学者への反響は小さかったが、コペルニクス主義者による計算が次第に使われた。むしろ教会関係者からの反対が強く、最初はプロテスタントから、のちにカソリック教会も。カソリック教会は19世紀初頭まで地球の公転を説明する本の出版を許さなかった。こうした宗教的不寛容の頂点はガリレイの自説の撤回と「投獄」。ちなみに16世紀はカソリックプロテスタントの反目が最も激しい時代(堀田義衛「城館の人」、渡辺一夫「ヒューマニズム考」
 続いて天文学者の反応。ここではティコ・ブラーエ、ケプラーガリレオが紹介。ブラーエの時代に超新星と彗星の観察が行われ、プトレマイオスの宇宙観に疑惑がもたれるようになる。ケプラーは惑星の運動の規則性を見出し、火星の軌道計算を正確にした(一方、彼は新ピタゴラス主義者でもあり、宇宙の数学的規則性を説明する第3の法則をもっとも重要と考えていたらしい)。ガリレイは望遠鏡で惑星の観測を行い、木星の衛星、金星の月の満ち欠けを発見。これはコペルニクスの宇宙が惑星と衛星で入れ子になっていると思われた。望遠鏡は大衆まで普及し、アマチュア天文観察家を誕生させる。とはいえ、コペルニクスの革命が浸透するまで(たとえば大学でプトレマイオスの講義が消えるとか、プトレマイオス主義の天文学者がいないくなるとか、天文学の新著がコペルニクス天文学に基づいたものだけになるとか)、18世紀の100年を必要とする。その時代に、ガリレイの受難もあった。

第7章 新しい宇宙 ・・・ コペルニクスの宇宙観(地球を宇宙の中心から外し、球体であるとする)に影響を受けた人たちは新しい宇宙観をつくる。地球と太陽の位置の逆転、地上-天上の差異の解消、無限宇宙、粒子宇宙、真空の存在、機械的宇宙、などなど。なお重要なのはコペルニクスの16世紀から17世紀ではこの宇宙観はまだ新プラトン主義の表れでもあった。カソリックプロテスタント神学者たちはアリストテレスプトレマイオスの宇宙の概念図式のもとにいたが、コペルニクス主義者の多くが新プラトン主義者であった。そこから理神論が生まれるのは18世紀になってからだろうな。というわけで、まだまだ天文学や物理学、力学は哲学思想の一分野でもあったわけだ。その典型をデカルトニュートンにみることができる。またニュートンの無限の真空宇宙とそこを運動する粒子というアイデアは18世紀の人権思想(ここではジェファーソン)に影響を与えているらしい。天文学の発見や観測機器の普及は市民の関心を呼び、天文学の講演や啓蒙書の出版で市民は新しい宇宙論を受け入れていった。とりあえずニュートン古典力学を作ったところで記述はおしまい。


 コペルニクスの評価をそれこそ「コペルニクス革命」的にひっくり返してくれる本。それが可能になったのは、新資料の発見ではなく、アリストテレスコペルニクスの本を再読することだというのが面白い。さらに周辺にも目配りしていて、教会の考え、ベーコン・デカルトその他の西洋哲学、社会風潮などの記述もあり、歴史的なパースペクティブを広げてくれる。科学は象牙の塔で専門家が内輪で面倒な議論をしているだけ、という思い込みを壊して、人のすることだもの、社会や別の組織の影響も受けるよなあという弊本だが忘れられがちなことを思い出させる。「遠近法的倒錯」というのはしばしばやってしまうのだ。
 「概念図式」は、どんなに奇妙なアイデアで、人間の日常の体験や感覚と一致しないところがあっても、「もっともらしさ」があれば人々に受け入れられる。体系の首尾一貫性とか現象の記述や将来予測などができればOKというわけ。だから現代の人間からみるとプトレマイオスの宇宙は非常に奇妙であるが、当時の人には十分合理的な説明であったのだ。それでも新現象の発見や観測の精緻化などが起こると、既存の「概念図式」では説明が煩雑になり、計算が面倒になり、それでも現象を説明できなくなってくる。そのときに「概念図式」の転換が起こる。転換のスピードは予測できないし、どの「概念図式」に移動するかはその渦中には判断できない。で後から見ると、選ばれた新しい「概念図式」には経済性と肥沃性があることが重要。経済性は、説明が簡単になることであり、肥沃性はその図式で新現象や説明不可能だった現象を説明できること(可能性がありそうだということでOK)。この「コペルニクス革命」では「概念図式」の説明は不十分で、観念としても練れていない。なので、ここをしっかりと書いたのが「科学革命の構造」ということになる。
 高校の物理、化学と倫理社会、および西洋史の知識を持っていれば、記載されていることを理解するのは難しくない。400ページは読みでがあるので、科学史・科学批判に興味のある人は読むべし。

2018/05/29 トーマス・クーン「科学革命の構造」(みすず書房)-1 1962年
2018/05/31 トーマス・クーン「科学革命の構造」(みすず書房)-2 1962年
2018/06/01 トーマス・クーン「科学革命の構造」(みすず書房)-3 1962年


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 脱線すると、「概念図式」と「パラダイム」は1980年代に流行語になって、科学史以外の分野でも使われるようになり、いまではビジネス本とニセ科学本で頻出する。いわく「イノベーションのためのパラダイムシフト!」「○○(ニセ科学の主張)にむけたパラダイム転換!」みたいな。あまりに元の意義から離れた使い方になっているので、科学哲学と科学史以外で使われると筆者と主張全体を信用しないようになってしまった。