読了2回目。前回は非常に興奮したのだが、今回は冷静に。
主題は、16世紀の科学革命(コペルニクス、ケプラー、ガリレオなど)が中世の混迷した非合理的思考を批判、排除するなかから生まれたというこれまでの科学の発達史の説明は不十分。むしろ、彼らはプラトニズムやヘルメス学、錬金術、占星術などのオカルトめいた思想に親近感を持っていた。それを歴史において説明しようという試み。およそ「科学史」の書物において、これほど異端の説が紹介されたことはまずない。
・13世紀に、アラビア語のアリストテレス著作がラテン語に翻訳された。それの影響を受けて、キリスト教のアリストテレス解釈が本流になった。この時代は、錬金術や占星術などのオカルトや神秘思想は弾圧された(同じ著者の「ペスト大流行」)。
・16世紀に、プラトンとヘルメス学の著作がイタリアやスペインで翻訳され、南ヨーロッパ中で読まれた。プラトンのイデアとキリスト教の霊の思想の親近性からか、とくに学者の間で流行した。
・初期の科学者たちは、プラトニズムやその他の神秘思想をキリスト教の教義と融合させようという意欲を持っていた。多くの場合、キリスト教の神学が訓詁学的な装いを持っていたので、これらの新規思想の持ち主の「合理性」「実証主義」などは後の「自然科学」に取り込まれていった。
・初期の「自然科学」は、科学と神秘思想のアマルガムのようになっていた。これが払拭されたのは、18世紀後半からの啓蒙主義の時代。ここで、科学は神を棚上げするようになり、神秘思想と縁が切れるようになった(以前読んだバルザック「セラフィタ」がそのころか。完全に縁を切るようになるのは、20世紀に入らないといけないようなのだが)。
・これが書かれたのは、1970年代から80年代初頭にかけて。科学集団と権力の癒着した状態を批判する「科学批判」運動においては、このような歴史の読み替えは戦略として、有効だった。科学の側にいて、科学の影響をこうむる人たちに被害を及ぼすようなことを正当化する人たちには、このような批判で彼らの正当性を覆すことができる。
・ところが、21世紀はふたたび非合理的な思想がはやるようになってきていて、しかもそれらが科学を装い、社会に害をもたらすようになっている。そのときにニセ科学本体やニセ科学批判を批判するものたちが、この著作にかかれたような科学と神秘思想がアマルガムであったことを指摘して、自分を正当化するようになっている。のちに科学と神秘思想が分けられたという経緯(著者によると啓蒙時代の「聖俗革命」)を知らないか、知らないふりをしているのだ。