odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

「けいおん!」が面白い(何周遅れ?)

 おくればせながらアニメ「けいおん!」が面白くなった。
 きっかけはニコニコ動画のMADだが、マンガを買い、Amazon.comでUSA版DVDを購入した(国内版だと中古で3-4万円かかるのが、送料込みで1万円だった)。

 同じ音楽を主題にしたアニメに「のだめカンタービレ」があるけど、こちらにはほとんど興味をもたなかった。ああ、いつものドジな普通で天然の女の子が、天才性を周囲の力添えで発見して、成功するという話なのね、しかもクラシックの演奏家はのだめのようなキャリアを積むのが普通(諏訪内晶子「ヴァイオリンと翔る」NHKライブラリ小澤征爾「ボクの音楽武者修行」新潮文庫など)。となると、自分には目新しさがなかったなあ、という次第。
 自分は「けいおん!」の物語とは真逆。男子校で、運動部で、体育会系のハードな練習の日々を送ってきた。クラブのメンバーとは濃密な時間を過ごしたというものの、卒業したくないとか卒業しないでくださいなどという感情とは無縁だった。それに、日々ほとんど練習しないのに本番では神がかり的ないいプレイができるというのも、自分の経験ではありえないことだった。そんなところがこの物語にのめりこむ理由にもなっているとおもう。

 さて、いくつか考えたことがあるので。
1.大人や親のいない生活
 その種のアニメや漫画はほかにもたくさんあるわけで別に目新しくもない。数名の大人も、生徒にものわかりがよくて、権威や強制や叱咤とは無縁。メンターとしての説教もしない。そういうのが高校生の心象風景なのだろうなあ。


2.なかよしグループを作って濃密な時間をすごす
 これもとくに「けいおん!」に限ったことではない。自分のマンガ生活だと、庄司陽子「生徒諸君」あだち充陽あたり良好」あたりが嚆矢だったとおもう。ほぼ同年齢の主人公たちのつくるなかよしグループは魅力的だったなあ、と思い出して遠い目をしてみる。
 それより前のマンガだとなかなか高校生の日常生活が描かれることはない。むしろTVドラマを思い出すのだが、クラスの全体に問題が発生する。そのときにはクラス全員で事に当たるとか、クラスの中の対立が止揚されるというのが主題になっていて、なかよしグループはでてこないかむしろ問題解決の邪魔になっていたのではなかったかな。
 で、今回のなかよしグループについてだけど、クラス全体や学校全体の問題が彼女らに来ることはない(真鍋や曽我部が処理してしまうのだろうあな)。その点では保護されている。そうしたうえでのグループ内の濃厚な友情。純が「軽音部のみんななかよしだよね、入る余地なくてちょっと悔しい」というぐらいの親密な関係。人数が4-5人というごく少数なので、派閥争いやいじめが起きないのだろうなあ。そのおかげで挫折とその克服が起こらない。互いのかばいあいと同情があるからね。そういうのに高校生のユートピアをみることができるのかな。


3.恋愛がない、というけど
 それをいうなら「性」「暴力」「死」も巧妙に隠蔽されているのだよ、ということにしよう。恋愛がないことに特別な意味を持たせるのではなく、ほかにも隠されているものがあるのが重要。
 「生徒諸君」には「性」「暴力」「死」が全部でてきた。そこに強い印象をうけたなあ。これらが降りかかって、上記のなかよしグループのユートピアを相対化する見方を登場人物たちに持たすのだった。まあ、大人になるのはそういうのを体験することなのだろう。


4.幼児神がコミュニティを変える物語
 軽音部に入った3人は、それぞれ欠陥を抱えていて、ひとりでは、あるいは3人でもなにかを実現するのが困難だった。たとえばキーボード、ベース、ドラムの編成はドアーズ(こちらはベースなしでリードギター)やYMOと同じだし、ジャズのピアノトリオと同じ。だから、音楽をやりたいなら、どうにかすることはできるのだ。「外バン」も選択肢になる。でもそうすると、彼女らだけのなかよしグループではいられなくなる。
 それに、3人はうちわ(インサイダー)ではリーダーシップやムードメイカーの役割を果たせるけど、その外には広がらない。うちわで閉じこもって、外に向けたコミュニケーションや宣伝をしないのだね。危機管理やリスク管理のマネジメントも不得意(だから部としてしばらく認められないし、講堂使用許可も出し忘れるし)。3人だと、うまく働かないグループであった。
 その状況を変えるのが唯という幼児神。彼女が登場し、「天然」ぶりでうちわをひっかきまわす。そのドタバタは外にまで広がっていく。その結果、軽音部の3人も外と交流するようになり、苦手を克服し(コミュニケーションとかマネジメントとか)、クラブ活動でも大学受験でも成功を収めていく。
 幼児神の特長は、周りを幸福にするけど、自分自身を救うことはできない。なので、唯はいつまでも楽譜は読めないし、数学は苦手で、寝坊もする。誰かのヘルプを必要とする。そういうやっかいな存在。そのかわりに周りに幸福をもたらす。この国だと「座敷童」という存在だし、アメリカだと「天使」と呼ぶのかな。周りの人は幼児神のもたらすもめごとや失敗の後始末をするのだけど、そのこと自体がグループや共同体をハッピーにするのだ。(おおくのエピソードは、唯が失敗する/忘れる/トラブルを起こす→メンバーが巻き込まれる→メンバーが葛藤する→メンバーが解決のために苦労する→メンバーが弱点を克服する、というパターンなのだ)
 幼児神は文学にも神話にもたくさん登場する。典型的なのは映画の寅さんだな。そういう神話的な物語がここに再話されているのが面白かった。
 なので、彼女らの一つ下の世代(のちにわかばガールズと呼ばれるグループ)には興味がわかなかった。というのは、次の世代の3人はとくに欠陥をかかえているわけではないから。一人で自立した生活をしているし、自分の将来や進路を自発的に選択するし、なによりひとりでも三人でもなにかを企画し実現する力をもっているから(修学旅行で先輩が不在の最中、三人で退屈しているとき、自ずとセッションを組んでしまうのが典型)。なので、彼女らには幼児神は不要。まあ、年は若いけど、彼女らは「大人」であって、クールな友情でOKで、不足しているのは経験のみという具合だから。まあ、彼女らのなかよしグループは安定していて、放課後ティータイムのドタバタや濃厚な感情はないのだよね。彼女らが放課後ティータイムのメンバーに憧れるのそのあたり。