odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

広田和子「証言記録 従軍慰安婦・看護婦」(新人物文庫) 慰安婦は自発的に参加したわけではないし、高給ではない。戦後沈黙を余儀なくされ、支援と救済システムから取りこぼされる。

 文庫になったのは2009年だが、もとは1975年の出版。インタビューや聞き取りは1970年ころから開始されている。1945年敗戦から25年たったころ(同時に大阪万博終了を境に、テレビのドラマやアニメ、エンタメ小説から戦争記憶が描かれなくなったころ)から行われた。戦争に狩り出されたもの(このインタビューを読むと、「自発的」とは全くいえない)たちは40代後半から50代になっていた。上官であったものは60代。その年齢になってようやく語りだすことができる。

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 通常の戦争体験と異なり、兵士や軍人の悪行や、女性の体験を語ることはとても難しかった。いくつかの理由が本書から見いだせる。
 引上げや帰還時に上官から「緘口令」が敷かれたこと。戦争犯罪や付随する犯罪を語ることが責任者に止められ、それは四半世紀を過ぎても効果があったのだ。
 次には戦争体験を語ることが世間からの蔑視や差別を誘発したこと。とくに慰安婦であったものにはその職務に対する蔑視や差別があったのと同時に、大金を稼いだというやっかみなども含まれ、社会的な制裁を受ける。その恐れが行動を委縮させる(このころ公害被害者にも同様の差別があった)。
 加えて、体験者自身がもつ「より過酷な人がいたので私の体験はたいしたことではない」という意識。彼ら、彼女らは多くの死者を見てきたのであった。彼ら、彼女を救うために犠牲になることを厭わなかった人がいた。彼らに対する感謝や自己非難などがあって、口にするのをためらわせることになった。
 彼ら、彼女らは戦後復興の社会では冷遇された(元軍人に恩給や年金はでても、民間人は対象外)上に、彼ら彼女らを支援し救済する社会的なシステムがなかったのだ。それが、このような証言記録の少ない理由なのだろう。


 本書で語られる体験はすさまじい。たとえば、昭和20年になってすべての前線防御が崩壊し、撤退を余儀なくされ、民間人も町や基地を捨てて、敵を逃れる。敗戦後はかつての敵軍に拘留され、俘虜として収容される。その体験は、大岡昇平「野火」「俘虜記」、高杉一郎「極光のかげに」などで知っていたのだが、本書で証言した女性たちも全く同じ体験をしたのであった。むしろ女性であるということで、男や兵隊以上に過酷な体験を押し付けられている。すなわち女性であれば、食事や水くみなどが要求され、負傷兵の看護なども行う。配給する食事の量にも差が付けられる。軍隊には階級ごとの区別がすさまじく、ことに日本軍では生活全般にわたっていじめや制裁がおこなわれていたわけだが、それが軍人と民間人、健常者と負傷者、ことに男と女に、差別と制裁の構造ができていたのだった。それに組み込まれた女性(従軍慰安婦や看護婦など)はさまざまな差別を受けることになる。そのひどいことといったら! 四半世紀立ったからの彼女らの述懐では、ことさらにひどさや辛さを荒立てることがないのだが(むしろ生き延びた自身を恥じるように語る)、男以上の苦痛と虐待を受けていることがわかる。
 また、これらの従軍した女性たちは高給であったとか、自発的参加であったなどといわれる。それによって彼女らの国家や軍隊の告発や体験が無効であるかと思わせる言説であるが、その非難が誤りであることもここではっきりする。従軍慰安婦に参加したものの多くは、内地で借金漬けになっていて支払が困難であるものらだった。経済的理由で参加したものに「自発的」というのはおかしい。士官・将官向けの慰安婦は高給ではあった(朝鮮人慰安婦や一般兵士向け慰安婦などはそれより安い)が、内地に持ち帰ることができない。軍票や現物で持ち帰れたものは少数。昭和20年になって現地にいたものは、撤退行軍中に紙幣も現物も捨てることになった。仕事で得た金を内地に持ち帰ったものがいても、戦後のインフレで資産価値はなくなった。そのような経験を経たものに、戦争で儲けたなどとはいえない。そのうえ、現代のセックスワーカーのような十分な保護と休養は与えられなかったので、身体を酷使する仕事は高齢になると身体の不調として現れる。それに撤退から敗戦、収容、帰還までの飢餓や不衛生な環境などが身体を蝕む。
 彼女ら生き延びてインタビューを受けたものは、とくに頑健であるとかトレーニングを積んでいたとかという特別な人たちであったわけではない。高校生や大学生の年齢にある者たちだった。それが、国家や軍の甘言に乗せられて、資産を失い、言語に絶する体験を強いられる。それはごく狭い範囲の生まれの人々。彼女らにことさらな差別やサバイバルを強いた国家に怒りを覚える。
 また、本書などが出ることで、女性の戦争体験と差別が明らかになったが、それを受け入れる側にも問題があった。上記のような非難を浴びせるものがある一方、彼らを支援する側も一般的な性差別の問題に拡大してしまう。被害者を救済する視点を持たないまま、運動を行っていたようなのだ。すなわち、被害の実態調査、被害者の現状把握、支援・救済の制度、申告システム、再発防止の教育・啓発、加害者への処罰など必要と思われる措置が行われなった。具体的に行われるようになるのは1990年代ころから。被害者が高齢者になってからのこと。
 「従軍慰安婦・看護婦」には近代から現代日本戦争犯罪と性差別が凝縮されている。きちんと知ることが大事。まずはそこから初める。それがこの国が戦争犯罪と組織的な性差別を再発させないことにつながる。

 

 

<追記 2022/9/2>

木坂順一郎「太平洋戦争 昭和の歴史7」(小学館文庫)から。

 

2017/05/23 吉見義明「従軍慰安婦」(岩波新書) 1995年

2019/05/07 大沼保昭「「慰安婦」問題とは何だったのか」(中公新書) 2007年