odd_hatchの読書ノート

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吉川英治「牢獄の花嫁」(青空文庫) 黒岩涙香「死美人」の翻案。藩のお家騒動に変えたら、法治主義や官僚制を無視して権力体制の強化になってしまった。

 黒岩涙香の「死美人」に触発されて、吉川英治が昭和6年1931年に雑誌「キング」に一年間連載した。「死美人」もまたボアゴベの長編の翻案で、元の作があるのだが、その仔細は黒岩涙香「死美人」のエントリーを参照してください。

2022/04/29 黒岩涙香「死美人」(旺文社文庫)-1 1891年
2022/04/28 黒岩涙香「死美人」(旺文社文庫)-2 1891年
2022/04/27 黒岩涙香「死美人」(旺文社文庫)-3 1891年

 

 涙香の作は原作の通り1880年代のフランスのパリだが、ここでは18世紀後半の江戸になる(平賀源内の名が出てきたので、その時代)。冒頭から半分までは、涙香「死美人」の第1部と同じ。すなわち夜中に同心が鎧櫃を担ぐ男を誰何したところ、美人の死体が発見される。唖で聾なので、塙江漢老人(元与力)の知恵で放免して尾行して、新たな死体を発見。死美人の名前も判明。奉行所の手に余ったので、塙老人の推挙で羅門塔十郎に知恵を借りることにした。死体が持っていた手紙などから、塙老人の息子郁次郎が犯人とされ、捕縛される。郁次郎は花世の許嫁であるが、死美人のことを以前から恋慕していたのだ。ついに、処刑判決が出て、執行が目前にせまる。
 以降はすこしずつ「死美人」の原作から話がずれる。羅門が別に調べていたのは、中国地方のある藩のお家騒動。当主がなくなったのであるが、後継ぎがいない。昔江戸で放縦生活をしていた時に、私生児を生ませたが、子供4人を生んだのち死亡を行方知れずになってしまった。10年以内に家の跡継ぎを決めないをお家断絶になるが、それまでにどうにか孫を見つけ出したい。それを快く思わない家老は捜査の邪魔をしていた。
 事件には花世の影がちらほら。でもこの美女が悪事にかかわっているとは思われず、死美人と同じく人差し指を切り取られた娘が次々殺されているのを見ると、花世と同じ顔の女性が覆面の首領とともに暗躍していると知れる。
 塙老人の命令を受けて、その女性を監視している元同心は、新たな人差し指を送るのを奪取して、かわりに藩に注進するつもりであったが、情報を受けた家老の手によってとらえられる(黒田官兵衛の獄中シーンそっくりの監禁)。餓死寸前を助けられたが、そこにはなんと死んだはずの元同心の相棒と、唖で聾の男。奸計はすべて明らかだという彼らの言をきき、同心は江戸に向かう。一方、塙老人は占い師に化けて女性が足を出すのをまっていた。郁次郎の処刑まであと数日・・・
 大きな変更点は、探偵が捜索しているのが藩の跡継ぎであること。フランスでは個人の財産なのが、この国では家の継続になるというところ。権力の暗躍という悪が出てきて話はおおきくなったが、冒頭の事件と塙老人の奮闘とのかかわりが薄くなって、物語が散漫になった。行方不明の継嗣は人差し指に入れ墨様の色があるという設定がある。これは跡継ぎ探しの時代小説、伝奇小説の常とう手段。目に見えるスティグマが流離した貴種である証になる。それは4人いたということになるが、花世と覆面の首領に従う悪女のほかは死体となって表れるだけ。すなわち倉場倉太郎と珠子のエピソードはばっさり取り除かれた。代わりにいかにも時代小説にでてくるような下民を登場させる。彼らが薄っぺらいキャラクターなので、サスペンス色は薄れたな。さらに変更したのは、主犯を最後まで隠したこと。ボアゴベ=涙香の作では半ばで明らかになるの所を隠し通す。犯人あての趣向が貫徹していたのはよいところ。連載当時に探偵小説は流行っていたので、作者が取り込んだのか?

 大衆小説家・吉川英治の作品を読んだのは初めて。いささかがっかり。というのも、大げさな悲憤慷慨の会話(歌舞伎の影響?)と、映画のト書きのような地の文で退屈なのだ。涙香のような文章を読む楽しみに欠けた。
 ことにダメだと思ったのは、処刑前日に塙老人は事件を管轄する奉行所を飛び越えて、その上の老中に直訴して執行延期を獲得したこと。昔なじみのより上位の権力者にすり寄ることで目的を達成したが、法治主義や官僚制を無視してしまった。直接の権力ではないその上の権力にすり寄るので、権力体制を強化させてしまう。法や制度を無視された現場の官僚はのちに報復を試みるだろう。継続的な治安を維持する際に、法や制度を無視するやりかたはよくないのだ。本書に限らず「水戸黄門」「暴れん坊将軍」「一心太助」などはみなこういうやりかた。自由主義でも民主主義でもないやり方しか提示できない。この国に公的領域で公的自由(政治参加など)を楽しむ市民が生まれない理由のひとつ。

 

 

 吉川英治「牢獄の花嫁」は何度も映像化されているようだ。

1931/昭和6年、東隆史監督 阪東妻三郎と鈴木澄子出演
https://twitter.com/1632bdkrst/status/889732274014388224

1939/昭和14年、荒井良平監督 阪東妻三郎主演
https://www.amazon.co.jp/dp/B001GF9HK2

1955/昭和30年、内出好吉監督 市川歌右衛門、伏見専太郎出演

ja.wikipedia.org

1968/昭和43年 TBSドラマ 岡田英次、御木本伸介出演
https://www.jidaigeki.com/program/detail/jd11000796_0001.html

1981/昭和56年 丹波企画・松竹・フジテレビドラマ     丹波哲郎坂口良子地井武男神山繁出演
http://www.tvdrama-db.com/drama_info/p/id-18709